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人生経験と魅力的な人

変化していかなくていいのかという悩み

最近の苛立ちは、時間を活かしきれてない感じが嫌だなぁということ。膨大な損失、壮大な無駄を犯してしまった感。後悔。昔から成長してない。

人はそう簡単には成長しないのだろうか。

しかし、一年前まで不安と忙しさと人間関係で病んでいたやつが「時間を活かしたい」、ね。
あまりに贅沢千万である。
喉元過ぎれば熱さを忘れるとはまさにこのこと。心配しなくても嫌でもまたすぐに忙しくなるし、不安にもなるのですよ。時間を活かしきれないとか言ってる場合じゃないくらい、激流に飲まれて本気を出さなければならない時は来るのだ。追い詰められれば渋々と、トボトボと動くもので。ちょっとでもいいから何かやってみようという気になるのである。
病まないことが一番大事。今がかつての状態に比べてどれだけ精神的に楽になったか。うっかりしてるとまた悪い方向に引っ張られるぞ。私の心は悪いものに蓋をしたパンドラの箱である。いつ再び爆発しても、別におかしくはない。

今の自分は状況的にもそこまで悪くないと思う。ならば何故、「変わりたいなー」なんて思うのか。このモヤモヤの正体は。

モヤモヤの正体

その答えは「価値観」なんだろう。
人生経験は豊かな方が良い、という価値観である。
いや当たり前やん、何を今更。という感じだが、なんだかんだで気にしていることなのだ。経験の薄さ、時間を無駄にしてきたこと。自分は楽しいことを知らないのではないか、という漠然とした危機感。

経験値の引き出しは、多い方が人として魅力的だよなぁ。これに尽きる。これを気にしているのである。恥ずかしながらろくに多くを経験せず、知らないまま二十代後半になった。
最近読書好き、漫画好きと言われる芸人達が、私の長らく敬愛するバラエティトーク番組に出ていた。ゴルフ、バスケ、音楽など、共通の趣味趣向を持った芸人達が話し合うという番組。やはり時代は引き出しの多さや新しいものに対する吸収力なのか。

かといって新しい経験をそこまでしたいか?

新しいものをインプットするのも一苦労である。なんだか時間が勿体無いからやってみようという気持ちの動力だけで、自分の中に色々新たなものを吸収していくのは大変なことだ。
そもそも別にそこまで成長するのが好きじゃないのかも。
だけどまだ、魅力的になりたいなーとか人生を豊かに!とか考える気力が残っているのには感謝するべきかも知れない。例えそれが、世間の超強い潮風に流されて、自分だって本当はやればできるんだぞ!と思い込まされているだけだとしても。
その気力のおかげでたまにいいことがあるから。

新しい映画を見たり新しい本を読んだり、そういう最低限の生活にプラスして何かを蓄積することは、本来とてもワクワクすることなのだろう。新しい人と知り合ったりするのもそうかも知れない。
それは当たり前のことでなく、むしろそれが出来ていたら最高峰の強さを手に入れたと言ってもいいと思う。おまけに精神を病まなければもはや言うことはない。

まぁでも面倒くささもやっぱりある。行動しなきゃなーとか学ばなきゃなーとか、引き出しを豊かにして魅力的になりたいなーとか。そう言うのは全部面倒臭いことに変わりはない。それが強迫感になってもつまらない。
しばしこのモヤモヤとは付き合っていくしかないようだ。

モヤモヤが吹き飛ぶ瞬間

だが、そういえば。
この前銭湯に行った時、窓が空いていて気持ちのいい夜風が入ってきた。冷えた外気と銭湯の暖かさが合わさり、露天風呂のような状態になっていた。夜の澄んだ空気が少しだけ街の騒音や花の香りを運んでくる。
その瞬間だけは、私が世界で一番幸せな人間だと感じたのをよく覚えている。
それは引き出しを豊かにして魅力的な人間になるよりも、自分の中の価値観に抗うよりも、よほど確実で有無を言わさない、圧倒的な幸福感だった。
体は正直だね、と言うやつだった。

これを執筆中に本を一冊読み終えた。読書をして、この先はどうなるのだろうとワクワクする感性が自分の中に残っていることが素直に嬉しい。最後まで読んだ感想としてはちょっといまひとつだなと感じたけれど、まず読破できたことが嬉しい。

結局引き出しは増えるのか

さて、こうした小さなこと(読書とか)の積み重ねで引き出しは増えていくのだろうか。あるいは時間を大切に出来た、と感じられるのだろうか。
しかしながらそんなことを考えているうちに、またワクワクした気分がなくなっていくのだった。なんかすごくつまらない発想だなーと我ながら呆れてしまうのである。

ありきたりな感想だけど、体験とか経験とかは無理に価値を見出したり糧にするのではなく「楽しむ」だけに留めておくのが体に良さそうだ。
まぁ、その上で、気が向いた時だけでもいいから理想とする自分に近づけるように頑張ってくれや。と自分に曖昧な約束を取り付けるのだった。

ちなみにW杯の観戦は普通に楽しめることが分かった。楽しいことはたくさんある。