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数学の波

幼い頃、海外にいると算数の神と崇められていた。でも私はただ日本人の平均的な算数の能力を持っているだけなのにと思っていたが、自分が当然のように満点をとったりしていつもびっくりされ、天狗になった。

それはわかりやすく言えば、SATというアメリカ版共通テストは内容だけでいうと日本の中学の範囲が占める割合が大きい。
これは一体験者として本当に数学は算数に近いものがほとんどだった。
これは日米の数学という科目の捉え方の差であるためそれを話せば長くなるため割愛するが、面白い内容なのでまた別の記事で書きます!

話を戻すと、どうってことのない一般的な算数の能力を持つ私はずっと自分を数学の神だと思い込んでた。でも、日本に帰国して痛い目に合う。

日本に帰ってきてもまだ数学の神だと思っていた私は現実を突きつけられる。地元の公立に編入という形で正式にみんなの仲間入りすることになってちょっとした試験を受けた。なぜか小さい小学校で算数だけクラスが3つにわかれてた。当然一番上に入ると思ったら一番下に配属された。

一番上は受験用みたいな感じでもう習うことはないという感じで演習という名の自習という形の授業。真ん中は教科書をベースに応用にチャレンジする。一番下のクラスは教科書を一日1ページずつ進めて、のんびり学習指導要領並みのペースで進んでった。そこでは置いて行かれることはなかったため、数学はもちろん得意ではなかったが、好きではいた。

なんとなく中学受験して入った学校は第2志望だったため余裕で一位だろとまた激しい勘違いをしてるとまたクラスでビリになり夏休みの補習期間は一日中、学校にいた。

数学の補習ではプリントが渡されて解けるまで終われないという形で裏を返せば終わった人から来なくて良いという仕組みだった。真面目な友達はどんどん来なくなっても特になんとも思わず、真面目に解いてもどうせ終わらないと思って一切プリントをやらないで、ボールペンを改造して謎の手製の銃みたいなのを作って遊んで、夏が終わりかけてた。

そんな様子を見かけた親は心配になり、家で数学の夏期講習がはじまった。数学の方程式を=の反対側に移項するときは符号が逆になる、マイナス×マイナスはプラスになることを知らなかった自分に圧をかけながら半泣きになりながら、地獄の講習は終わった。

それからは特に数学に関して何か思い入れがあったわけではないが、なんとなく得意になってた。そしてコロナ禍に入ったのを機に数学の勉強のペースが遅くなったことでいつの間にかどんどん進みたいのに進まないというイライラを覚え、学校に支給された某有名動画配信サービスをみたがつまらなくてやめた。

何週間経った後やっぱり先に進めたくて、丁度つまずいてた分野をYouTubeで検索すると「とある男が授業をしてみた」さんの動画が出てきたのでみたら革命だった。今までわからなかったことが一気にわかるようになって数学に対して楽しいという気持ちを抱くようになった。それ以来授業範囲だけでなく復習や予習も自主的に進めたことで、中学卒業時には数学のテストで学年1位になった

思ってもいなかった学年1位の光景に完全に天狗になっていた私は高校で痛い目を見る。慢心のままあまり勉強せず高校で定期テストに臨んだところ、平均点以下をとってしまった。このことをしばらく引きずって数学を嫌いになりかけたが、とある名言「ここで諦めたら試合終了」のように逆にこの出来事に燃えた私は他の科目を捨ててまで数学の勉強にいそしんだ。

それ以来、順位や点数ももちろんモチベーションの一つにはなるが、それだけでなく楽しいということが一番のやる気に繋がるのではないかと思うようになった。

これ以降私は得意=好きという殻を破り、勉強に楽しさが芽生え、常に気持ちをキープしたまま勉強をするようになったのである。


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