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【大人の歴史シリーズ】#1 人類史上最も大きな富を築いた男 ジョン・ロックフェラー

※この記事の読書時間は約10分です。
みなさんはジョン・ロックフェラーを知っていますか?
20世紀最大にして莫大な富を築いた大資本家ジョン・ロックフェラー

アメリカを作り上げた男
世界一の慈善事業家
資本主義の悪魔
石油王
稀代の大資本家

多くの言葉で象徴される彼の人生はどんな人生だったのでしょうか?

この記事は、時代背景とともに紹介する歴史人物に焦点を当てて、よりコアな歴史の事実を知りたい人向けの記事になります。
所々稚拙な表現もありますが、暖かい目でご一読ください。


■ 人類史上最大の資本家ジョン・ロックフェラー

たかが5セントと思うかもしれないが軽んじるべきではない。
これは1ドルの年利なのだ。

今回の主役、"人類史上最も大きな富を築いた男" ジョン・ロックフェラーが語った言葉です。 

石油事業で財をなした彼は「アメリカを作り上げた男」と呼ばれるに至り、その富は現代の価値で約22兆円以上と言われています。

そして、彼らの子孫もまた世界で大きな権力を握ることになります。
世界最大の慈善団体「ロックフェラー財団」の会長として世界中の社会事業を先導したもの、
アメリカ副大統領に就任したもの、
他にも、マンハッタン銀行頭取、州知事など。

"一族の祖" ジョン・ロックフェラー
彼はどのようにして莫大な資産を手にしたのでしょうか?
それを紐解く鍵として、彼の生い立ちからみていきましょう。


■ ジョン・ロックフェラーの商才と頭脳


”彼は几帳面すぎるほど細かく、1セントの差も決して無視しなかった”

1839年、アメリカ生まれの彼の出生はアメリカではそれほど裕福な家庭ではありませんでした。6人の子供の2番目として生まれ、当時は非常に貧しかったそうです。

そういった家庭環境から、彼は7歳から商売を始めたと言われています。

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上の写真は当時彼が記した出納帳です。
かなり細かくしっかりと記録していますね。
冒頭の言葉は、彼の友人が彼を表現した言葉です。
幼い頃から商売の基本を身に付けていたのが伺えます。

この几帳面と細かさがのちの「石油王」の基礎となり、「悪魔」とも呼ばれるきっかけになります。



"石油が世界を変えた"
彼が20才の頃に転機が訪れます。
当時、世界のエネルギー産業は石炭でした。ただし石油の存在は、当時から「燃える水」として知られており、その可能性は世界中の資産家が注目していました。彼もまたこのエネルギーに着目します。

とはいえ、当時の石油事業は採掘技術が今ほど発展していないので、大金を投入しても出ることはほとんどありませんでした。名だたる資産家が大金を費やしてもその大金を捨てるようなもので、博打要素が強い投機事業だったのです。

彼が石油事業に乗り出した1つのきっかけは、19世紀半ばにペンシルバニア州にあるドレーク油田で石油が掘り出された時でした。

彼はリスクの高い石油の採掘に直接手をつけず、掘り出された石油を買取って精製し、純度の高い石油に仕上げて販売する手法を取ります。
そのために、彼は優秀な科学者を採用し、どんな不純物を含む原油も純度の高い石油に精製する自社の精製術を磨く事に注力します。

この方法が成功し、彼の石油は質の高い石油として市場でも競争力のある商品として知られる事になります。

そしてこの時、彼は自社製品のブランディングに取り組みます。
設立した会社を「standard石油社」と銘打ち、自社の製品こそが世界基準だと広めました。

さらに、マーケティング力も優れていました。
鉄道会社と手を組んで、運送費を下げさせる事で、安売り手法でライバル企業をことごとく潰していきます。

この手法から、彼が40才になる頃には全米の石油事業の90%を彼の会社が独占するに至り、「石油王」として不動の地位を築く事になります。

彼は誰よりも早く"石油産業"に目をつけ、それまで主流だった石炭で動く時代を一変させました。
そして、もう1つ変えたことがあります。
それは当時の主流思考、地域一強ビジネスから、世界一強ビジネスへシフトさせたことです。

鉄道や化学、情報を駆使することで、従来とは段違いのスピード感でマーケティング・ブランディングを実践した事により、他社よりも強大な影響力と認知度を獲得するに至ります。まさに、彼の商才、頭脳と言えるでしょう。

しかし、彼のやり方は徹底的で残酷な手法だったこともあり、石油王と呼ばれる一方で「資本主義の悪魔」とも呼ばれました。

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当時のstandard石油社の風刺画です。
ご覧の通り、当時のstandard石油社はライバル企業を次々と支配し、いかにアメリカ全土に大きな影響力を持っていたかがわかりますね。


ちなみに、当時ロックフェラーがとった手法は、
賄賂の他にも恐喝、スパイ、価格操作、贔屓的なリベート(手数料)などもあり、これにより訴訟回避も意のままでした。自社独占のためにあらゆる手法をとってstandard石油社を優位にさせたそうです。

こういう背景もあり、standard石油社はメディアや団体、国家などあらゆるところから非難を浴びることとなります。


■ 強大な圧力と障壁 社会信用の回復  

石油ビジネスはロックフェラーを資本家としての地位を確かなものとしました。しかし、石油はそれでも危険と隣り合わせの事業であった事に変わりはありませんでした。
全米各地で石油による火事や災害が発生。労働環境も悪いため、労働者からの非難も次第に強くなっていきます。ヨーロッパでのストライキ運動の広がりを受けて、全米でもストライキが多発する事となります。

会社も鎮圧部隊を投入するなど、多くの死傷者が出ました。
当時、全盲ろう者で社会運動家であったヘレンケラーも、ロックフェラーを激しく非難しました。

女性と子供達をあんなに無慈悲に虐殺するなんて、ミスター・ロックフェラーは資本主義の化け物です。慈善事業の裏では、無力な人が殺されるのを許しているのです。

資本主義社会をうまく利用し、石油王として君臨したロックフェラーは意に介さず、着実に資本力を高めていきます。

しかし、standard石油社の広大な影響力はついに国家をもおびやかす事となります。石油王として君臨するロックフェラーの言動や行動、果ては噂までもアメリカ政府の信用問題に繋がるようになり、政府も危機感を募らせます。

1911年、アメリカ政府は独占禁止法を制定。standard石油社は解体される事になります。ロックフェラーは全ての役職から解任されました。


しかし、あまりにも大きな力を持った彼の影響力は、この程度では揺るぎませんでした。

非難がどれだけ激しかろうと、我々は全世界に伝道を行ったのだ。
standard石油こそが石油産業の救世主であり、石油産業を恥ずべき投機的事業から立派な産業に変えたのだ。

晩年のロックフェラーが語った言葉です。
大衆車が大量に普及したアメリカでは石油はなくてはならないものとなりました。時代背景とともに石油の需要は進化し、新産業として成長する航空業界、大戦期には戦闘機、戦車、戦艦にも大きな影響力をもち、もはや国家の判断でさえも、石油が全ての鍵を握る事となり、全業界のインフラ基盤として、石油は絶対的地位を築くこととなります。

資本家としてのロックフェラーの地位は世界から保障されていました。

一方で、人道を軽視する経営手腕は、ビジネスの基盤となる労働力・競争力の低下を引き起こしていました。


慈善活動家としてのロックフェラーの素顔
晩年のロックフェラーは病との戦いの影響もあり、自身の資産を社会信用の回復に注力します。

ロックフェラーは出会った人々に5セントを渡すのを習慣としていました。
慈悲の心を示すためでした。子供から大人まで、20,000 ~ 30,000個は配ったと言われています。

これを単なるパフォーマンスと語る作家も多数いますが、
ロックフェラーは信仰心の厚いプロテスタントでもありました。
若い頃から収入の10分の1を協会に寄付していたという事実もあります。

大衆から「資本主義の悪魔」と呼ばれた男が誰よりも神に寄付をした、という点は非常に面白いですね。

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写真はアメリカ合衆国ニューヨーク州にある高層ビル「ロックフェラーセンター」。この建物は、1929年に起きた世界恐慌の翌年にあたる1930年に建設が開始されました。その後、建設完了までの9年間、多くの人に安定した職を提供し大恐慌時代の雇用回復に努めました。
そして、当時の人々が、感謝の気持ちを形にしようとして飾ったのが、写真にあるクリスマスツリーです。現代まで続く「クリスマスツリー点燈式」は、クリスマスの季節になると必ず行われ、観光名物となっています。

金を稼ぐ力は神が私に与えてくださったものだ。
人類の幸福のために役立てよと。
だからこの才能を伸ばし金をもっと稼ぐことで、稼いだお金を隣人のために使わなければならない。

晩年の回想録で彼が語った言葉です。
冷酷な手腕で不動の地位を築いたビジネス面とは裏腹に、晩年の彼は社会のためにお金を費やす社会事業家としての顔もあり、彼の評価もまた様々となりました。


■ 彼の死後と21世紀にも残る彼の功績


"10万ドルを貯めることと100歳まで生きることが目標だ"

若い頃、彼が語った目標です。
残念ながら彼は1937年5月に97才でこの世を去ります。
往年の彼への評価は慈善活動、社会活動もあって様々な意見があります。

彼の問題、そしてなぜ彼が相反する反応を引き起こし続けるかは、彼の良い面はとことん良く、悪い面はそれと同じくらい悪かったためである。史上これほど矛盾した人物は他にいない。

伝記作家ロン・チャーナウは彼をこのように評価しました。

事実、例えば彼と競合した人々の中には破産に追い込まれた者がいる一方で、スタンダード・オイルの株式を対価として得た者もいれば、一部には同社の重役になり裕福になった者もいます。また政治家や作家には、ロックフェラーと良好な関係を築いた者は多額の資金援助も受けたこともありました。先述の建設投資も多くの人の雇用環境を守りました。



彼の慈善事業への投資が現代社会の影響力にも
ちょっと余談ですが、2020年より新型コロナウイルスが世界を混乱させています。その状況をいち早くwebベースで世界に公開したのがジョンズホプキンス大学ですが、この大学に当時アメリカ初の公衆衛生大学院を創設する資金を提供したのがロックフェラー財団です。潤沢な資金により、資金援助を受けた当時は世界トップクラスの研究設備を有していました。

他にも、シカゴ大学は元々はバプテスト系の小さな大学として存在していましたが財政難で1886年に一時閉鎖しています。そこで、ロックフェラーが8000万ドルを寄付したことで、世界的な大学としての地位を築く事となります。

莫大な資金で圧倒的な事業の成長を支援した彼は、一方で非効率で浪費的かつ情緒的な事業への投資は嫌いました。

非効率な学校、場所が悪い学校、不要な学校を助けるのは無駄である…全国的な高等教育システム増強のための浅はかな教育プロジェクトで金を浪費するくらいなら、もっと適切な我々のニーズにあった金の使い道があったはずだ。

その言葉通り、彼の社会事業投資のほとんどがワンポイント投資でした。しかし、彼は非常に効率的で緻密で几帳面な性格ゆえに、投資を決めたところのほとんどは事業として大きく成長したのもまた事実でした。

スタンダード石油解体後
彼の功績の象徴となったスタンダード石油社も、解体後、現在のコノコフィリップスの一部となったコノコ、BPの一部となったアモコ、エクソンモービルの一部となったエッソとモービル、シェブロン、ペンゾイルといった石油企業となり、現代においてもアメリカを含めた世界経済に影響を与えています。


■ 最後に

幼い頃から商才を磨き、類まれな判断力とビジネス思考で人類史上最大の資産家となったジョン・ロックフェラー。

時代の流れを感じとる嗅覚とセンスは、いずれは世界を動かす大きな影響力となり、残された莫大な遺産は子孫に引き継がれ、現代でもあらゆる業界を牛耳る一族として成長することとなりました。

神によって与えられたとする商才は、今でも世界の多くの人々に影響を与えていることでしょう。

成功の秘訣は、あたりまえのことを、とびっきり上手にすることだ。
10セントを大切にしない心が、君をボーイのままにしているんだよ。
「偉大なもの」のために「良いもの」を諦めることを恐れてはいけない。

人物略歴

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名前:ジョン・デイヴィソン・ロックフェラー・シニア
生没:1839年7月8日 - 1937年5月23日(97才)

・1870年にスタンダード・オイル社を創業。
 ピーク時はアメリカの石油の90%を占め、全米初のトラストを結成。
・1897年に事実上引退し、慈善活動に力を入れる。
・石油事業の高まりにより、アメリカ人初の10億ドル超えの資本家となる。
・彼が亡くなった1937年の遺産額は14億ドル以上。
 当時の国家財政の1.5%を有した。
 物価の変動を考慮すると史上最大の資産を持つ富豪とされている。
・医療・教育・科学研究促進などを目的とした財団を創設。
 医学研究を推進し、鉤虫症や黄熱病の根絶に貢献。
・彼は酒とタバコを嗜まなかったという。


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偉大な人物の生き様に触れて、少しでも多くの人にとって有意義な人生になるように祈ります。

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