間違えて乗ったバスが気づかせてくれた。
今日は、分け合って市内のバスに乗った。初めて乗ったものだから、少し緊張した。ギリギリになって焦る癖があるので、事前に時間に大幅に余裕を持って家を出た。
幸いここは日本なので、困ったら誰かに聞こうの精神で地図を見たりスマホを見たりして、目的のバス停を探した。自分のよくないところは、本当かどうかの確信が60%くらいでも行動してしまい、まあ良いかと思ってしまうこところだ。今回も目的のバス停かどうかが不安になりながらも、とりあえずバス停に待機していた。幸いにも今回は目的のバスに乗れたようで、所定の場所に30分以上前に着いたのでむしろ時間を持て余して暇になっていた。
つい2年前、スコットランドに留学していたときもそんなノリでバス停に乗った。スコットランドの学校に行くためのバスに乗るのだが、いつも乗るバス停には、行き先がバラバラのバスが複数台停まるところでもあった。
事前に同じホームステイ先の日本人の友達に大学に行くバスの番号を聞いていたのだけれど、スマホで検索するとなんとなく目的の場所に行けそうだと思い、違う番号のバスに乗ってしまった。海外なので、マップ検索の文字も英語だったために、適当な判断を行なった。案の定、大学とは真逆に方向に進んだため、急いで降りた。
バス停の区間は同じ距離になってるわけでもないので、全く見たことのない場所に降りてしまった。どこかわからない、言葉も流暢に通じないところに一人でポツンと立っていた。急いで近くにいた住民に、ジェスチャーや英単語を並べて質問をして、行き先を探した。あの時は焦った。もしその時スマホの電池がなくなっていたら、もし真っ暗な夜にひとりになっていたらと思うと、ちょっとだけゾッとする。
言われたことには忠実に従ったほうが良かったと思った経験だった。
でも一方で、刺激的な思い出になった。今までにしたことのないことができた。今まで通ってない街を見て、知らない人に話しかけることができて、大学に行くだけでは知らなかった行動をすることができた。もし道を外していなかったらそんなことはできなかったし、そんな経験があるからこそ大丈夫だと思えることもあった。
新天地で全くツテのない場所から自ら目的のために行動することって、それくらい難しいんだろう。今は暖かい環境でぬくぬくと過ごしているなあと切に思う。
いつまで僕は、緩い環境で自分を止まらせているのだろう。それが悪いと言ってるわけでは全くないのだけれど。
バスを乗り間違えるくらいの大失敗をしてもいいから、スマホをなくしたっていいから、そうしたワクワクしたものが今、目の前にはないのをとても感じる。
たまには、いつも乗らないバスに乗ってみてもいいんじゃないかな。
今僕が乗っているバスはいつものバスだろうか、初めて乗るバスだろうか。これからどこに向かうのだろうか。
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