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リモートのコミュニケーションって難しいよね。


体は動かさなくて便利になった。でも心は結構疲れる。

リモートの時代が来たね。

例のやつが発生して、もう4ヶ月くらい経ちました。気がつけば、2020年ももう半分を過ぎている。あいつのせいで、1年の3分の1くらいやられている。きゃあ。

今では当たり前になったけど、ビデオ通話アプリでやりとりをすることが当たり前になって、また新しい時代の到来を感じている。

一昔前は、とりあえず会おうとか、ビデオ通話なんて恥ずかしいとか言われていたよね。今では、会わなくてよくね?とか、ライン電話よりも、zoomやmeetを使ってやりとりすることが増えた。

便利になったこともたくさんある。わざわざ人と会うために移動する時間が省けた。遠いところにいる人とも連絡が取りやすくなった。オンライン飲みなんてものも開かれるようになった。

最近は、例のやつも収束してきたので、人に会う機会がちょいちょいあるけれど、久々にあっている感じはしなかった。いつも画面で顔を合わせ、くだわない話をして笑ったり、悩みを相談したりしていたからだろうか。

顔を合わせるだけで、心の距離って保たれてるんだなあって思った。

リモートの自分とリアルな自分

便利になった一方で、色々と手間が増えてもいる。

電波が悪くて聞こえないこと。音ズレが起こること。会話がかぶさること。身振り手振りがあまり使えないこと。小声で話すことができなくて、聞き取りにくいことは聞き返されたりすること。視線誘導で行動できないこと。

結構精神にくることもたまにあるよね。

僕も気を使うタイプだから、コミュニケーションがうまくいかないと、ちょっとしんどくなる。

電波が悪いことは、自分のせいじゃないし本当にどうしようもなくて申し訳ない。小声で話したくだらないことを聞き返されることもちょっと恥ずかしい。視線誘導できないから、小ネタも使えない。

リアルとリモートで違う部分はたくさんある。

その中で、リアルとリモートで違うと思う自分を見つけた。

会話がかぶさったときは、リアルの時は譲ることが多い。リモートだとその反対で、自分の意見をとりあえず言い切ったりする。

リアルだったら、相手の表情が見えて、コミュニケーションが取れるから、言葉のないところで「ごめんね」「ありがとう」って会話ができる。

リモートだとそれができない。

だから、とりあえずリモートの時は、一旦自分の意見を言い切って、その後その人の意見をちゃんと回収するように促す。リモートなりのできる配慮ではないだろうか。

それと、個人的にリモートとリアルで、顔を合わせているかとか雰囲気に飲み込まれているかによって、自分の心のゆとりも違うのかもしれない。

リアルだと圧迫感ある時もあるが、リモートは完全に自分の世界だから。

抵抗より順応を

リモートになってやりにくいことは増えてきた。早くリアルで人と会いたい。こんなことやりたくない。

でも一方で便利になった部分も増えた。

今までのものがいいかどうかは、その人次第だけど、新しいものが間違っていると抵抗するんじゃなくて、新しいものとこれまでのものどちらがいいのかを判別した上で、より親しみやすく、馴染みやすいという選択をしていくことがこれからの世の中を渡り歩くのに必要なのではないだろうか。

新しいものへの好奇心と適応力はこれからも必要になってくるだろうな。

いやいや言っててもなんもならないやん。


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