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風穴をあけろ!50歳まだヒットを狙うミュージシャンの軌跡⑭サービス精神と反骨精神(2話) SEiZI/晴志

前回は被災地だった東北への最初の演奏活動の日のことを書いた。
「サービス精神」=「人のために頑張ること」
それが「応援されること」につながるのではないのかな?と。
それが結果、俺たちを奮い立たせた。

俺たちは北上音楽祭として、時にはソーセージとして、3カ月に1度
最低でも年に4回は、必ず東北に通った。

福島県、宮城県、岩手県。
一カ所にボランティアに通う団体は多かったが
俺たちはミュージシャン団体なのでまさに「ツアー」的に各所を回った。

クリスマスには毎年「赤と黄色のソーセージサンタ」になって子供たちにプレゼントを配るのに大忙しだった。

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昼間は仮設住宅や学校や施設、
夜はライブハウスやライブバー
宿泊は仮設住宅の集会所が多かった。

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夜のライブがない日は仮設住宅の皆さんと飲んだり、子供たちと遊んだり。

それが結果、「仮設住宅ではちょっと有名な正義のヒーロー」なって行った。
俺たちはオリジナルのロックバンドだから
コピーや有名な曲はほとんどやらなかった。
ほぼ、自分たちのオリジナルソング。

意外かもしれないが、それがめちゃくちゃ受けた!
おじいちゃんもおばぁちゃんも毎回、大爆笑で手拍子、一緒に歌うのは当たり前!立ち上がって踊りだす人もいれば、子供たちも大喜び。
おじいちゃんのばぁちゃんまで拳を振り上げる!!

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全国どこのライブハウスよりも「ロックのコンサート」だった。
ライブの後は子供たちとめちゃくちゃ遊んだ。
夜は仮設住宅で大人たちと酒を飲みかわす。

それが、今でも続く家族ぐるみの信頼の付き合いに繋がっていった。

この頃からSNSが発達してたおかげで俺たちの活動はすぐに全国の自分たちのお客様に伝わった。俺たちがツアーで歌いに行くと、「東北はどうなってる?俺たちが手伝えることはあるか?」というお客様の声もすごく多くなってきた。
これが後々「活動支援募金」や、「東北の子供たちに楽器をプレゼントする」プロジェクトに繋がっていったのだ。

半面、中には勘違い?というか、否定的な声もあった。
SNSで挙げた「子供たちと遊んでる」写真や「仮設住宅で地元の人たちとの宴会写真」に対して
「お前ら、何しに被災地に行ってるんだ!?遊びに行ってるのか!!?酒なんか飲みやがって」
そんな声もたまにはあった。
まさにご時世の縮図だね。酒は悪!みんなおとなしくしてろ!!??
風評被害も甚だしい!俺はそういうやつらにははっきりと「バカか?」と言ってきた。

「子供たちは思い切り遊びたいんだよ!!大人たちも一緒に酒酌み交わし話がしたいんだよ!そんなこともわからねぇのか?ボランティアなんて糞くらえ!!結局は人と人なんだよ!!」
ってね。

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そんなこともあって「ボランティア」的な考えではなく「親戚の家族に会いに行く」ような感覚になっていった。

「東北支援」という名で、いろんなミュージシャンが被災地に歌いに行くようになった頃、ある仮設住宅のおばちゃんに言われた。

「最近はいろんな人が歌いに来るようになってね、中には押しつけがましい人もいて・・・。最悪なのは、私たちを泣かそうとして、悲しい歌うたって、途中から自分が泣き出すのよ・・・。あたしらは、もう泣き疲れてるの!私たちは笑いたいのよ!騒ぎたいの!!
でもソーセージは毎回、笑わせてくれるし、いつもみんなで大騒ぎだからみんな大好きなのよ!だからみんな待ってるし応援するのよ」
って。

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嬉しかったなぁ!!
その仮設のクリスマス会のプログラムに
「面白バンド(ソーセージのみなさん)」って書いてあったのは納得(笑)

若松会

さて、俺たちが「この人たちのために何としても売れなきゃ!!」と思ったきっかけの言葉がある。

ある仮設住宅のおじいちゃん
「わしらが生きとるうちに、お前ら頑張って紅白とか出ろよ!!
わしら仮設のみんなでバス借り切って応援に行くからな!約束やぞ!!」

仮設に住む子供たち
「学校に行ってソーセージがきたよ!一緒に遊んだよ!って言っても仮設以外の子たちは知らないよ。悔しいから早くテレビに出て有名になって!もっと自慢したい!!」

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そりゃそうだよな・・・。すげぇ悔しかったよ。

売れる=テレビに出る。
仮設住宅のおじいちゃんおばぁちゃんや子供たちにとっては
やっぱ「TV」なんだよね。だって、全部流されちゃってて
最初に買うのは、生活用品にテレビでしょ?
パソコンなんて、まずネットが来てないんだからさ!!

TVに出るにはどうしたらいいか!?

やっぱりそうなると、自分たちのインディーズレーベルではなくて
やっぱメジャーレーベル。
それにはまず事務所だな。

これがきっかけで、俺たちは音楽事務所を転々とすることになったのだ。
そりゃ、無茶もするし無理もするよね。
ちなみにこの頃には、俺の体はもう完全に壊れていたのだ。
でもね・・・
こんな大変な目にあった人たちの前で「痛い」とか「しんどい」って言ってられないじゃんね(笑)




ま、今回はこの辺で・・・。


当時の東北での活動についてのインタビュー動画です。
よかったら見てくださいね!


最新の僕のミュージックビデオが発表になりました。
ぜひ御覧くださいね。


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