見出し画像

風穴をあけろ!50歳まだヒットを狙うミュージシャンの軌跡⑰サービス精神と反骨精神(5話) SEiZI/晴志

さて、前回の続き。

転校2日目の先生の仕打ちはトラウマにはなったものの、そんなもんでへこたれる俺ではなかった。
前回と同じ、また1から登ってゆくのさ。

親父は戦後満州から引き上げてきた家族の長男で、当時貧しくて、大学にも行くことができず、家族のために働くことを優先させ、電電公社に入社。
自分が働いて学費を稼ぎ、自分の弟を金沢大学に通わせた、そんな「根性」の人だ。

そんな親父だったので、とにかく勉強には厳しかったし、スポーツや勝負事も絶対に自分に負けるな!!と、わりと何事にもスパルタで、早いうちから家庭教師をつけられていた。

おかげで、やはり俺は、勉強もできたし、スポーツもできたので
新しい学校でも地位を少しずつ上げていった。
こんなのは朝飯前だ。

もともと、格闘技や、ジャッキーチェンやブルース・リーが大好きだったこともあり、道場なんかには通わせてもらえなかったので、とにかく、そんな本を読み漁って、映画を見て技を覚えた。

俺は初日のあの「情けない2日間を拭い去り」たくて
みんなの記憶から「あのこと」を無くしたくてある計画を立てた。

「あいつは少林寺拳法をやっている」
そんな噂を自分で流したのだ(笑)

案の定、いろんな奴が決闘を申し込んできた。
放課後は一対一の喧嘩三昧の日々が続いた。

一対一なら自信があった。
ま、それなりにだいたい降参させた。
勝率95%くらいってところか(笑)
条件は「公表しないこと」
でも、中には
「あいつは普通の喧嘩で少林寺の技を使った」
と言いふらすやつもいた。
なんちゃって少林寺なのに(笑)
でもそれは俺には好都合だった。
噂ほどいいもんはない😁
俺はこの頃から「軍師」だったのだ。

小学校6年生からは、とにかく走り込んだ。
パワーリストにパワーアンクル(手足につける鉛の入った重いリスト&アンクルバンド)をお年玉で購入し、それをつけて朝3キロ、夜5キロ、オヤジの自転車の伴奏で毎日走り込んだ。

好きな言葉は「根性」「努力」
今思えば親父の思う壺だった(笑)

そして、中学校へ進学。
俺がトップへ登るための一大イベントがあった。
「文殊山強歩大会」
学校の校庭から、裏山の文殊山のてっぺんまでの全校あげてのマラソン大会。

もちろん目指すは「一位」
俺はこのためにトレーニングをしてきたのだ。

ちょっと汚い手も使ったが(2位の奴が近づいてきた時に一緒に行こうと誘った。そして、ゴール寸前の200メートルで勝負をつけた)(笑)
一位だけは譲るわけには行かなかった。

汚い手を使っても(これがあとあとバチが当たるんだろうな)
結果は見事に一位!!

明るい未来が待っていた。
最初の全校集会で1位で表彰される。
ヒーローだったよ。

いろんな部活から声がかかった。
俺は超ホープだったのだ。
本当はサッカーがやりたかったのだが、田舎の中学校にはそんなおしゃれな部活動はなかった。

陸上部の顧問の先生と先輩たちが直々にスカウトに来た。

俺は陸上部への入部を決めた。

素敵な中学校生活が始まった。

ちなみに山ちゃんも陸上部に入った。
それも嬉しかったなぁ。

ちなみに2位の彼も、ね。


と、今日はここまで(笑)

人生って「マラソン」に似ていると思う。
自分のそんな過去もあってこの曲にたどり着いた気がする。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?