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Vol.17 終活のデメリット 自分編

自分にとってのデメリット

これまでは終活のメリットを話してきましたが、では終活のデメリットとはなんでしょうか。
デメリットはあまり多くはないのですが、それでも表面化することがあるので、それを解説してみたいと思います。
終活のメリットの時と同様に、自分編と家族編に分けてみましょう。
内容はメリットの時の裏返しというわけではないので、ご自身でも考えてみてください。

死を意識してしまう

まずは今までの生活では、どちらかと言えば避けてきた「死」を意識してしまう事です。
遠くにおぼろげに感じていた「死」そのものを直視しなければならない終活は、ややもすると負の側面ばかりを意識するようになってしまうことがあります。
また近しい人が亡くなったりすると、心理的ダメージが大きくなることもあります。

この先長生きしても良いことないし

とくに生活に余裕がない場合、終活を行うことで、さまざまな状況を詳らかになってしまします。
その結果、見ないようにしてきた未来が見えてしまうことがあります。
その内容によっては生きる希望を失ってしまうこともあるでしょう。
世界情勢の中でさまざまな物価が上昇して、生活費の負担も厳しくなっている方も増えている現状です。
だからといって、人間はそう簡単に都合よくは死にません。
私もそうですが、理想は「達者でポックリ」「ピンピンコロリ」です。
最後の後始末を済ませたら「キレイにおさらば」したいと思っていますが、実際にどうなるかは分かりません。
それでも、なにかしらの良いことがあると思って生きるしかないのが、人間かなと思います。

長く生きるのもタダではない

先ほど都合よく死にはしないと言いましたが、そうなるとかかるものがかかってきます。
長生きするのもタダではありません。
今のこの国は、将来にわたって国民全員が年齢に関係なく国を支える仕組みになっています。
年齢別人口比率が理想的な分布から大きく外れているため、少ない人数で多くを支えなければならなくなっているので、支えられる側も少なからず負担するようになっているからです。
たしかに負担をものともしない裕福な方もいますが、そんな方ばかりではありません。
国の施策も消費税の逆進性を見て見ぬふりをして将来の税率をなし崩しで上げようとしています。
すると、今よりも生活費の家計への負担が大きくなり、当然ながら今から先の生活が苦しくなるのが見えてしまいます。
そんな現実を目の当たりにしなければならないのも、終活の一面だと言えます。

費用がかかる

日々の生活に汲汲としていないとしても、終活を進めるうえで費用がかかることがあります。
ここで一例として挙げるのは介護費用と遺言書です。
介護の回(Vol.9)遺言書の回(Vol.6)でも触れていますが、今回は費用面から考えてみましょう。

介護も遺言書も費用がかかる

亡くなってしまわなくても、自分が自分でなくなってしまうときのことを考えると、介護は考えなければならない事柄です。
私は両親ともに59歳で亡くしたので、介護にあたることはありませんでしたが、義父が自宅療養しているときの義母は、さまざまな苦労があったと聞いています。
また友人知人のなかでも、親御さんの介護でご苦労されている話を聞くことも増えてきました。
そんな時に介護に関しての決めごとは大事です。
「親の面倒は子供がみるもの」と国は考えていますが、それは理想論であり、現実は社会生活や経済活動を犠牲にして介護を成り立たせて、国民の苦労は二の次だと言えるような施策が続いています。
そんな時に「無理して自分の面倒を見なくていい」「施設に入れることに罪悪感を感じる必要はない」と考えを共有しておくだけでも家族は気持ちが楽になるものです。
とは言え、そのためにはそれなりのお金がかかります。
終活を始めると同時に、保険などで手当てする場合でも保険料としてお金がかかるので、その工面も頭の痛いところでしょう。

また遺言書も全て自分で作成して文書的に問題がない場合でも、保管をしっかりしなくてはなりませんし、簡単に法的拘束力を発揮させるために公正証書遺言書を作った場合は公証役場で預かってもらう必要があります。
また司法書士や弁護士、税理士などに作成を依頼する場合もお金がかかります。
正しく自分の思った通りに資産を残すための経費と考えれば安いものかもしれませんが、出ていくものに変わりはありません

始めなければ掛からなかったのに、と思うかもしれませんが、いずれ家族の誰かが負担する経費の先延ばしです。
その点だけは理解しておきましょう。


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