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Vol.15 終活のメリット 自分編

自分のためのメリット

終活をする事で得する事はなんでしょう。
そのメリットはいくつかありますが、大きく分けてして自分のためと、家族のための二つになると思います。
そこでまずは自分のための利点を挙げてみましょう。

死に対する不安が解消される

終活は理想の終わり方に向かって誰にも迷惑をかけないように準備することです。
つまり、しっかり準備をする事で、冷静に状況を判断する事ができるようになります。
確かに何かやり残したことがある方は、残りの時間がこんなに少ないのかと焦る場面もあるでしょう。
しかし焦ると言うのは、そこまでの距離感を正しく把握できていることの証拠です。
漠然と不安を抱えているのにくらべれば、不安の種は数十分の1です。
そして死にまつわる事象を解決していくことで、少なからず不安の種を減らすことができます。

これまであった身近な人の死を考える

ショッキングな表現かもしれませんが、皆さんは亡くなった方の体に触れたことはありますか。
私は亡くなった父と母、そして叔父の体に触れたことがあります。
その経験は「死」を身近に感じ、考える機会となりました。
正直に言いますが、触れる瞬間に心の中に一切のためらいが無かったかと言えばウソになります。
なにか触れてはいけないものに触れる時のような、なんとなくチリチリとした感覚がよみがえります。

また中学、高校と同じ学校に通った同級生が亡くなった時も、死を考える機会でした。
子供が生まれて間もないクリスマスの夜、帰宅途中にオートバイの交通事故で無くなった友人を思うと、何ともいたたまれない気持ちになります。
そして義父の葬儀に際しては、数十年ぶりに訪れた身内の死に家族としてのあり方を考えさせられました。

そのどれもが代えがたい経験で、それら死に対面する毎に自分の心の置き所を考える良い機会になったことは確かです。
そこから私の出した結論は、稚拙ではありますが「この瞬間は目の前から消えていなくなってしまったけれど、考え方を変えればいつも一緒にいられるようになったのだから、寂しいことではない」と思う事でした。
それまでは「行ってきます」から「ただいま」までの間のように、物理的に離れ離れになることがあったわけですが、これからは心理的な距離さえ見失わなければ、いつも一緒です。
いつでも見守られていると感じることで、その存在を保つことができるようになったと考えれば寂しいことはありません。
〇〇ロスという言葉があります。
生活習慣の一部になっている人やペット、モノやコトが無くなると喪失感に襲われる症状を指します。
それも心の置き所で解決できるのではないか、と私は考えています。
そして終活の一部として自分に取り込めば良いと考えています。

充実したこれからの生活を送ることができる

準備をすれば心が軽くなります。
悟りを開くほどの達観した心理状態にはなれないでしょうが、全ての準備が終われば、あとは後顧の憂いなく死を迎えるだけです。
そこまで来ると「さぁあと何年、生きられるかなぁ」と楽しみになるでしょう。
つまり「死」に対して前向きになれるわけです。
人生に対して後悔のない人はいないと思います。
それでも終活を経て「最後だけど、ここまで頑張った」と言えるようになると思います。
あとは自分の体が動くギリギリまで、残す情報の更新と微調整で済みます。
自身で事業をされている方でも、リタイヤされた方でも、健康に注意しながら日々を楽しむことができるようになるでしょう。

そんなに余裕がある人ばかりではない、とお𠮟りを受けるかもしれません。
しかし、なんの準備もなく自分の死に対峙するより、少しであっても精神的に楽になるのであれば、終活はやらないよりはやった方が良いと考えます。


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