弱者は勝ち方すらも選べない
※こちらは2018年に別ブログでupした記事を再編集したもの
物議をよんだポーランド戦
ワールドカップ2018ロシア大会もあっという間に日程が消化されていき、グループステージは全日程を終えた。(というか決勝トーナメントがもう始まっている)
日本にいる人にとっては比較的見やすい時間帯に試合が開催されていることもあり、なんだかんだ盛り上がっている。 日本代表においても、下馬評を覆す決勝トーナメント進出という結果を残し、来るベルギー戦に向けて注目が集まっている。
そんな中、世界中で物議をよんだのがポーランド戦のラスト約10分である。改めて説明する必要もないだろうが、同時刻に開催されていたコロンビアvsセネガル戦の試合状況を踏まえて、日本代表は0-1のまま試合を終わらせること、つまり敗北を選んだ。
最終的にそのまま試合が終わったため決勝トーナメント進出が決まったが、セネガルが追い付けば敗退となっていただけに、相当なリスクを背負った選択だったといえる。
この試合運びに対して寄せられている主な批判のポイントは以下の通りであると思う。
①自力で決勝トーナメント進出を決めることもできた状況で、他力にゆだねるというリスクある決断をしたこと
②最後までその試合における勝利を目指さず、敗北を選んだということ
①については、確かにリスクもあった。一方で、日本がポーランドに対して攻め続けることにリスクが無かったかといえば、もちろんそうではない。前のめりに攻めることでカウンターをくらい、2失点目を喫するリスクは大いにあった。
日本が2失点目を喫するリスクとコロンビアが追い付かれるリスク。コロンビア、セネガル、ポーランドそれぞれと実際に対戦した(していた)彼らが、そのリスクを比べたうえで下した決断だった。
「博打」とも評される決断であったが、恐らく分析班も含めて状況を判断した結果であったのだろう。確かに引き分けでも良かった試合で先制点を奪われたというそれまでの試合については批判されても致し方ないが、最終的に決勝トーナメント進出を獲得したという今となっては、「勝てば官軍」である。
②について考えたとき、前提となる目標や立ち位置を正しく認識していなければ評価を誤る。まず日本代表があの時点で掲げていたミッションは「グループステージ3試合を終えた結果、決勝トーナメントに進出すること」であった。
グループステージの90分×3試合、計270分をこの目標のためにどのように過ごすか、西野監督をはじめとするスタッフ陣は様々なパターンをシミュレーションしていたことだろう。彼らが求めていた結果は「1試合それぞれの結果」ではなく、「決勝トーナメント進出」である。
そしてもう一つ踏まえておく必要があるのは、「日本代表は弱い」ということである。ここで言う「弱い」は1試合の結果どうこうを指しているのではない。そのチームを構成する一人一人の選手や、代表チームとして積み重ねてきた実績からくる一般的な評価である。
考えなければならないのは、その「弱い」チームが勝ち方/負け方を選べる立場にあるのかということである。「例え負けたとしても美しく散ることこそが本望」のような考え方は一つ目の前提に合致しないので今回のケースから除外する。
そうしたとき、強者であればまだしも、弱者には「どのように勝つか」「どのように負けるか」を選ぶ余裕があるとは思えない。
果たさなければならない目の前のミッションに「決勝トーナメント進出」を設定している以上、レギュレーション・ルールの範囲であればあらゆる手段を講じて、ミッション達成を目指すべきである。
もちろん、もし最大のミッションを「結果いかんに関わらず、1試合1試合の勝利を求めて戦う」に設定しているのであれば話は違ってくる。
くどいようではあるが、「決勝トーナメント進出」が目標である。そして日本代表が弱者であったがために、「どのような試合で決勝トーナメント進出するか」を選ぶことができなかった。それだけである。
グループステージ第3試合のラスト10分時点で日本代表に残されていた選択肢を、①の通り4チームの実力とその試合運びを分析した結果、この判断に至ったのである。
達成したいことを明確に設定し、達成に向けた自分の立ち位置を分析することはどの世界でも重要なことである。もちろん、長期的な話をすればその立ち位置を変える(強くなる)取り組みは必要であるが、今回の議論とは直接関係しない。
最後に余談ではあるが、ハリルホジッチ元監督の解任や、今回の件を通して様々な人の手記を読む機会があった。自分と意見が同じかどうかは別とし、多くのおもしろい記事、書き手の方々を発見する良い機会となり、有難い限りである。
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