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心の傷跡の数はやさしさの数。

noteを始めてから1週間ちょっと経っただろうか。
noteを書く時間だけはいろんなことを忘れられるので大事な時間になっている。

noteを書いていると、自分の痛みを少しずつ言葉にすることができている。
病院に行って自分よりつらい人がいることを想像するとつらいと言っていいのか分からなくなるなんて、恥ずかしくて口が裂けても言いたくなかったことだけど、書いてみると意外すっきりしたり、いくつか"スキ"がつくと、「まぁこう感じてもいいってことなのかな」と受け入れることができたりする。(noteの”いいね”じゃなくて、”スキ”っていうの最高だよね。)

それと、他に精神疾患を抱えている方のnoteを読む時間もすごく助けになっている。「辛い時にはこうしましょう!」っていう体験談や対策法ももちろん助かるのだが、僕は意外と、ただただご自身の辛さや状況、鬱になった経緯などが書かれているnoteが好きだ。

それは誰かの傷をなぞることで初めて「あ、なるほど。自分もこういう思考のクセや感じ方のクセがあるかも」と自分の傷跡にも気付けたり、シンプルに「わかる〜!つらいよね〜。」と心が救われたりする。

「死にたい」って言えないよね。死にたい夜なんていくつもあるのに。だから思う存分に「死にたい」って書いてあるnoteを見ると、「生きてくれーー!」って願いをこめてスキを押している。そうやってお互いに背をもたれながら生きている日があっても良いじゃないのね。

いろんな人のnoteを読み漁っていると、鬱になりやすい人はこういう思考の癖があるな、とかいうものが見えてくる。大体は、気を使いすぎる人や、優しすぎる人、考えすぎて言葉にできないことが頭の中を巡ってしまう人などが多いなと思った。
それによってたくさんの心の傷を負っている。

でも僕は最近、この傷跡が、優しさにも見えてきた。
noteを読んでいると、「長文すいません」とか「今日はネガティブなので苦手な方はお控えください」とか、「いや良いのよ良いのよ!」ってくらい誰かに気を遣っている。多分過去に負った傷の名残だと思う。

コメント欄を読んでいても「自分ごとですいません」とか「駄文失礼しました」とか、本当にいろんな傷を負ってきたのだろうなということが見て取れる。
みんな本当に優しい。

多分この人たちはうつ病とか完治しても優しいだろうな。と勝手に想像している。

それは、傷跡の数は寄り添える痛みの数だと思っているから。傷跡が一個しかない人は、誰かの痛みに対しても「この痛みでしょ?」と一個しか手持ちがない。でも、傷跡が10個ある人は「うーん、どの痛みかなあ。」とその人の本当の痛みに寄り添える可能性が高い。

だから僕も、たくさん傷ついて、その分いつか誰かの痛みに寄り添える人間になれたら良いなと思う。

そのためにも、今はゆっくり時間をかけて自分の痛みを言葉にしていく。誰かの傷跡もなぞりながら、たくさんの痛みを知る期間にする。そんな時間があっても良いと思う。

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