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車窓に見つけた紫陽花と朧げな井の頭線

あと2分で西永福駅に着く京王井の頭線。この電車に揺られていると山手線や小田急線じゃ描き出せない複雑なコンテクストが電車の揺れに身を任せて脳味噌からポタリポタリ、タプンタプン、と溢れてくる。僕の大好きな映画の主人公たちはなぜみんな京王線沿いに住むのだろう。車窓に見つけた紫陽花に映画のストーリーが勝手に重なり、その鮮やかな紫色や水色に意味を付け加えていく。電車は西永福駅に着いた。


久しぶりの京王線だった。西永福駅に用があり吉祥寺から約10分ほど、電車に乗って移動していた。

あと1つで西永福というタイミングで、車窓に紫陽花を見つけた。ちょうど停止信号に捕まり電車は束の間の休憩。思わず車窓の紫陽花にスマホのカメラを向けた。夕刻、西日のせいで窓が反射してしまいうまく紫陽花が映らない。それでもシャッターを切ると、不思議なものが写った。

車窓に見つけた紫陽花。反射する両開きの扉、アイドルタイムで休憩している吊り革、知らない会社の何を主張してるのかわからない広告、どこかに住むどこかにゆく人、それ以外誰もいない臙脂色のシート。どうしても紫陽花だけが写るよりそれらが写ったこの写真の方が美しいと思った。


紫陽花は綺麗だと思う。美しいと思う。ただそこにいるだけで。それは誰もが知っていると思う。でも、僕の好きな映画の主人公たちはよく京王線沿いに住むから、「『花束みたいな恋をした』の二人がこの紫陽花を見つければ別れなかったのかな」とか、「『明け方の若者たち』の主人公はこの紫陽花を見れば立ち直れるだろうか」とか。そんなことを考えるとこの紫陽花がもっと美しく見えてくる。これを僕は、「紫陽花を”京王線フィルター”を通して見ると別の美しさが見えてくる」と考えた。

その美しさはただ”目に見える”ってだけじゃなくて、オーラ的にはオレンジや暗い紺を纏っていて、静かな音楽が似合って、梅雨の時期の紫陽花も魅力的だけど深夜23時過ぎの紫陽花をイメージさせる。

そのものが持つ美しさとは別に、何らかのフィルターを通すことで別の角度から新しい美しさ、魅力が現れる。こんなに豊かで楽しいことがあるのか。


誰かの隠れた魅力を引き出す人にたまに会う。人の美しさを引き出す人。紫陽花の持つ美しさとは別に、京王線というフィルターを通すことで紫陽花の別の美しさが見えてくるように、彼の魅力はAだけだと思ってたのにその人と関わっている彼を見るとBやCやDなど、新しい魅力がどんどん溢れてくる。

そうやって、誰にも見つけられない誰かの美しさを引き出して、他の人にも認知できるようにする人に憧れている。

パッと見て誰にでもわかる、わかりやすくて、共有しやすくて、換金しやすい魅力だけじゃなくて、僕だけが引き出せるあなたの魅力を引き出して、それを誰かに伝えたいだけなのに。

そうすれば僕もあなたももっともっとイキイキと鮮やかにこの世で生きていけるはずなのに。自分の実力不足に打ちのめされながらそれでも全ての人に隠された魅力があると信じることを僕はまだやめない。京王線の車窓のような人間になりたい。僕だけが知っている紫陽花の美しさがある。

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