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僕が見ているあなたは誰なのか。

うつ病になって、人間の認知の脆さが気になった。

うつ病という診断名がついたのは11月15日。
しかし自分のコンディションは10月初旬からずっと地獄だった。
この状態に名前がついたのが11月15日。
この日に急に鬱になったわけではない。

ずっと地獄だったと書いているように、自分が認識している僕はもうずっと限界だった。10月頃から限界だということも上司に伝えていたが、その時は流された。
そして彼らは僕を見ていう。「まだできる〜!俺を見ろって〜。若いうちの苦労は買ってでもするもんだ!」こんな言葉が好きらしい。
しかしまた、”うつ病”と告げた時には随分と心配そうに「そうだよなー、ずっと無理させてきてたもんなぁ。」という。

僕が証言する僕。
彼らが見た僕。
診断名がついた僕。

彼らは一つ目の僕のことを相手にしなかったし、二つ目の僕に対してまだ大丈夫だと判断を下し、三つ目の僕に同情している。

僕はこの文章を書いて、何も会社の人たちを責めたいわけでない。
ただ僕は、人間の認知ってこれくらい曖昧で良い加減だということをちゃんと知っておかなければ、知らないうちに人を傷つけてしまったり、気づいた時には後戻りできなかったりすると思う。

「まさか自殺するとは思いませんでした。先週まで元気に登校していたように見えたのですが、、。」
そんな言葉では取り戻せない。

たぶん、こういうことが世の中に溢れている。僕たちは人の状態なんてうまく認知できない。

「○○ちゃんはすぐ悲劇のヒロインぶるから」とか「あの人大袈裟だからね〜」そんな言葉で誰かが感じていることをそのまま飲み込もうとしない。
それでいて自分から見えるその人の像は丸呑みしたりする。
けどそこにまた診断名がついたりするとすぐに手のひらを返す。

みんな頭の中で見たい人を見ている。

僕に必要なあなたじゃなくて、実態のあなたをきちんと見れているのか。そのあなたはどうやって見れば良いのだろうか。それは友人の証言だろうか、あなたの言葉だろうか、何かのアンケートだろうか。常にいろんなバイアスにかかっていることを前提に、自分からの見え方だけを信じず、もっといろんな角度からあなたのことを捉える必要があるのかもしれない。

僕が見ているあなたは誰なんだろう。

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