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雨が上がり,蜘蛛の巣の中に僕がいた。

灰色の雲が通り過ぎた頃、雨を纏った蜘蛛の巣は何か小洒落た装飾品を身につけたようで、蜘蛛の糸と糸が交差するところには水滴が光を反射していた。虫と雨が創った小さな粒なのに、空も木も、ビルも道路も、僕も他人もその中に映っていて、僕にはそれが、その水滴が僕のように見えた。

(上の画像がイメージです。)


自分の存在を疑うときは、もっとイメージ的で、宇宙的で、「水晶に映ったあなたの前世はケセランパセラン…」みたいな、そんな時かと思っていたのだけど、その瞬間は思ったよりもロジカルだった。

いつも自分の人生がなんでこんなに辛いのかわからない。それで、自分の全てを、特に心の全てを解剖できれば辛さの正体がわかるんじゃないかと思ってそのヒントを探りにいろんな人のnoteを読み漁っている。

100個のnoteがあれば100個の理由があっていいと思っていて、「私の人生が辛いのは両親のせいだ。」「教育のせいだ。」「日本のせいだ。」「資本主義のせいだ。」「アメリカのせいだ。」「宇宙のせいだ。」「会社のせいだ。」「神様のせいだ」「病気のせいだ。」

いろんなものがあって、どれもその人の心情や考えが滲み出てのものだから、僕がとやかく言うものではないし、言う資格もないし、ただただ覗かせてもらっている。いろんな角度から考えるのは楽しい。

だけど、「私が辛いのは私のせいだ。」という人だけには、いつも、「それだけはないと思う。」って思うのだけれど、コメントに「そんなことないと思います!」って書いても「私のせいだ」って思っている時のそんなコメントはむしろ「うるせーなぁ」というか、薬になる確率よりも毒になる確率が高いと思うから、そっとスキだけ押している。


いろんな人のnoteを見ながら、「うん。結局は全部が僕を作っているな」と思った。

親の影響は確実に受けている。けど、その親も叔父やじいちゃんばあちゃん、さらにじいちゃんばあちゃんもその親の親の、、と永遠に続く。

自分も教育や社会から影響を受けていれば、自分の親も教育や社会から影響を受けている。

そしてその教育や社会を形作っている日本という国も、いろんな国の影響を受けていて、それは地理的な広さだけではなく、時間という軸で見てもホモサピエンスが誕生しどうやって大陸を渡ってきたか、みたいなところから、ザビエルが日本に上陸したところも含めて、全部全部が繋がって今の日本がある。

だから、自分は自分ではないというか、自分が自分であるためには、あなたがあなたであって、父が父であって、日本が日本であって、ザビエルがザビエルであって、そうやっていろんなものの交差点が僕だ。その無限の糸と糸の交差点の上で"現在"いまを反射している水滴にたまたま「聖矢」という名前が付いたのだと感じる。

だから「俺は自分にしかできないことをする!」って言っている人を見ると、なんかその人が全部一人で、自分自身で自分を築いているみたいで傲慢な考え方だなと思うようになった。

『あなたにしかできないこと』は、あなたの母があなたの母であって、アメリカがアメリカであって、エジソンがエジソンであって、そんな無限の糸の交差点に雨が降らないとあなたは、個性の規定どころか、存在すらできないんじゃないの?
「自分にしかできないこと」は無限の糸の交差点の上にある水滴が何かを反射しているからこそ成り立つということを、謙虚に受け止めたい。


あぁ、このことについてもっと書きたい。
とりあえず、無限の糸の交差点の上で周囲を反射している水滴として生きることは、今のところ僕は奇跡的なことで、とても美しく、楽しいことだと思っている。

加えて、この考え方をしていくと、自分は今まで辛い時、誰か組織や人をせめようとする癖があったのだけど、その人も無限の糸の交差点の上の水滴として存在しているだけだと思うと、なんか責めるのも可哀想に思えてきた。その人もその人になろうとしてその人になったわけじゃない。
まぁそのこともまた今度書こう。

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