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「状況が悪い」と「状況は改善されている」は両立する。

タイトル通り、「状況が悪い」と「現状は改善されている」は両立する。

例えば、僕は去年の11月からうつ病を患っている。やる気、食欲の低下、人と関わることへのトラウマ、人が多くいる場所や満員電車に乗ると動悸や冷や汗の症状が出たり、不眠症にもいまだ悩まされている。僕の状態は悪い。

しかし、朝起きると同時に込み上げる吐き気は無くなった。都会から地元の農村地帯に戻ってきて、隣の家の人や街をすれ違う人ととの距離が空き、他人という存在への恐怖心からも解放されつつある。食事の量も少しずつではあるが増えてきているし、映画を見たりすることもできるようになった。状態は改善されている。

こうやってみると状況が悪いことと改善していることの二つが両立するのは伝わるかと思う。それでも、少しトピックが変わるとどうだろうか。

「職場環境が悪い」「職場環境は改善している」
「家族の仲が悪い」「家族仲は改善している」
「政治の汚職が悪い」「政治の汚職が改善している」
「○○は性格が悪い」「○○の性格は良くなってきてる」

こういったことももちろん成立する。
しかし、つい上記のことになると前者の「状況が悪い」という部分だけに注目してしまう気がするのは気のせいだろうか。

改善しているという事実があっても、「そんなものは関係ない。実際いまが悪いじゃないか。」そのようなスタンスを取ってしまうことはないだろうか。ついできていない部分だけに目がいってしまう。改善しているという事実が見えなくなってしまう。今までに何度も経験してきたし今でもそう捉えているものがたくさんあることに気づいた。

おそらく、誰か他人のできていない部分、特に正常なあるべき状態として潔癖さや完璧さを求めてしまう政治家や上司、親などに対してはつい悪い部分、できていない部分に目がゆき、改善されている部分が見れなくなる。

では逆の立場であればどうだろう。自分に苦手なこと、社会的規範やモラルの面から見てできていないことがあって、指摘されながら少しずつ自分のダメな部分を改善している時、自分の中では少しずつ変化している感覚があるのにまだ治っていない部分だけを指摘された時、僕たちはどう感じるだろうか。

「悪い状況」と「改善されている状況」は同時に成立する。
これは紛れもない事実であるが、何度読み返しても一瞬「ん?」と止まってしまうような、矛盾を直感では感じる。しかし考えてみれば両立するのはわかる。

しかたないのだと思う。直感的に、「悪い」と「改善している」は両立しないように見える。だから、数秒を取れるかどうかだと思う。他人を見て「悪いじゃないか!」と思った時に「改善しているという事実もあるのでは」と立ち止まる数秒。

この数秒を取れるかどうか。この積み重ねは多くの揉め事を抑制し、多くの人に優しさを与えるのではないか。

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