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結果02-2:「文化百貨店」における山崎晴太郎の話術

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本連載は、アートディレクターの山崎晴太郎が、社会学者加藤晃生との出会いにより、自身の理論化されなていない活動をアカデミズムに客観視してみたい。そしてそれを言語化し構造化したもの見てみたいという、純粋な知的欲求に基づき始まった連載である。あわよくば、それが後世のクリエイティブを志す人たちへの一つの武器となることを願いつつ。
山崎晴太郎 序文|『透明な好奇心』参照

考察
考察1:加藤による考察

 これらの結果から、以下のようなことを指摘出来るだろう。

① 「文化百貨店」における山崎の話術の全体の構成は、浦沢直樹ゲスト回を見た限りにおいては社会調査法における半構造化面接法や自由面接法の構造に極めて近い。すなわち、アイスブレーキング(*23)、事前に用意された質問、そこから発展させた質問という流れである。

② この3段階の構造を注意深く見ると、二つから最大七つのセクションが繋がって一つのまとまり(シリーズ)を構成していることがわかる。セクションが繋がるとは、直前のセクションから話題やスコープ、概念など何らかの要素を次のセクションが継承しているという意味である。

③ シリーズには2分前後の短いものと、4分を超える長いものがある。

④ シリーズ中のセクションの連鎖においては、予め決められた質問の他、本稿で質問の変形、絞り込み、展開、パラフレーズと定義した四つの技法が用いられている。

このようにして見ると、ある種の名人芸のように考えられてきた山崎のホスト術も、実際には以下に示すような合理的な構造をもっていると考えうる。

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これまで面接調査の技法の教育は「習うより慣れろ」という考え方が強く、加藤自身も大学ではそのようにして指導を行ってきた。だが、このようにして要素分解を行ってみると、面接調査を構成しているそれぞれの要素は簡単な仕組みで出来ていることがわかる。質的調査法の理論というものも数多くありはするのだが、それらは調査をする以前の調査倫理の問題であったり、調査が終わった後の記述の方法や分析の方法、あるいは研究成果を発表する際の「見るもの/見られるもの」「語るもの/語られるもの」といった権力性の問題が主であり、調査が進んでいるまさにその瞬間に調査者はどのようにして調査を遂行しているのか、という問題については、あまり語られてこなかったように思う。

要素の定義が可能であり、それらの要素の仕組みが明らかであれば、それが実際の面接調査において成功したか失敗したか(あるいは、成立したかしなかったか)も判定可能である。となれば、ルーブリックを設定することで面接法の学習者は自身の面接調査の出来不出来を要素ごとに検証することが出来るし、また「アイスブレーキング」「変形」「絞り込み」「展開」「パラフレーズ」「シリーズ構築」といった諸々の技法は、個々に訓練・習得が可能なのではないだろうか。


考察2:山崎による考察

演劇的なコミュニケーション

 こうして改めて自身を振り返ってみると、今でこそオーラルコミュニケーションの部分をかなり高く評価してもらっていると感じるけれど、ここに至るまでのプロセスは紆余曲折があったことに気づく。それらの中でも極めて大きな要素となっているのが、演劇の経験だろう。

僕は幼児期から大学まで長年演劇をやっていて、その中で様々な役柄に挑戦していた。例えば二枚目の人、年配の人、子供、老婆、おこりんぼ、優しい人、おバカなキャラなどだ。白雪姫の王子様の役を担当した時に、当時の皇太子殿下の手の振り方や笑顔の定着をトレースしたのも懐かしい。国籍も時代背景も年齢も性別も性格も多種多様なそれらの役柄を演じ分けるという試みが、現在の僕のオーラルコミュニケーションの基礎訓練の一つになっていた可能性はある。

ここでは浦沢さんと自分の会話の分析を読んで思いついたことを、演劇の経験と結びつけて一つずつ考えてみたい。


1:思考のトレースと舞台の構築

アートディレクターや経営者、あるいはラジオのトークショーのホストといった仕事の中で僕は色々な人と話すし、それが僕の一つの仕事の核になっているとも言える。その時、僕が無意識のうちにやっているのは、対話の相手の思考をトレースすることだろう。相手の思考をトレースしながら、相手の言葉を自分の言葉で言い換えてみせて、自分がきちんとトレース出来ているかを確認する。さらには相手が話している文脈の先にあるであろうと思われるものを敢えて相手より先に発話することで、相手の思考を活性化させる。このようにして、自分と相手の思考を徹底的に同一化させていく。(この部分については、連載のパートナーである加藤から、それは社会学者のアルフレッド・シュッツが論じた「他我の一般定立」「対面状況」「汝志向」「われわれ関係」という一連の概念(*24)と極めて似た考え方であると教えられた)

僕はこのプロセスにかなり時間を使っていると思う。ブランディングパートナーとしての仕事は、経営者と対話をしながら進めることが多いのだが、例えばあるクライアントの社長とのミーティングは、オンタイムの時間を2時間取り、さらにその後に一緒に食事に行って、会議室とは異なる環境で様々な発話をぶつけることもある。話し合いに参加しているのは同じ僕とクライアントなのだから、わざわざ環境を変えなくても同じ話は出来るはずだ。しかし、同じ発話であっても、会議室と食事の場では、異なる反応や言葉になったりする。こと経営に関していえば、明確に構造を持ったものが社内外に発信されていきくわけだが、その前段階の経営者の頭の中は基本的に曖昧である。その曖昧な概念を文節化して吐露する時、発話する人が置かれた環境によって分節の区切り方が異なるからだ。

このようにして膨大な対話を重ねていくと、意識のすり合わせのレベルはかなり高いレベルで共有化されていく。

おそらく僕はこれを、自分と相手の対話の「舞台」を作る作業だと考えているのだろう。

少しわかりにくい喩えになるかもしれないが、それはこういうことだ。

ここに一本の戯曲があるとする(戯曲がどのようなものかイメージしづらければ、「虚空文庫」(*25) に行くと良いだろう。名だたる劇作家の戯曲が無料でダウンロード出来る)。北村想の「想稿・銀河鉄道の夜」ならば主要な登場人物は14人だ。では、14人の役者を集めてこの戯曲を渡したならば、その場ですぐに「想稿・銀河鉄道の夜」を上演出来るだろうか? それは無理だ。演出家や裏方の人びとと話し合い、そして何よりも役者と役者の間の意識を徹底的にすり合わせて、舞台に関わる全ての人間の中に共通の、一つのイメージとしての「想稿・銀河鉄道の夜」を作り上げなければならない。

僕が仕事の中で行っている、パートナーとの「思考のトレース」「意識のすり合わせ」の作業は、まさにこれなのだ。僕がかつて役者として取り組んでいた、自分以外の様々な役柄を演じるという作業は、おそらくは現在の仕事上の様々なパートナーの思考をトレースする能力の土台となっている。ただし、現在の僕は役者であった時の僕のように、様々な役柄を言語表現・身体表現として表出しているわけではない。そうした「演じ分け」の能力は今は僕の内側でだけ動いていて、表に出ているのは皆さんがご存知の「山崎晴太郎」という、一つのキャラクターだけだ。どうしてそうなったのかはわからないが、これもいつの間にか、自分が使いやすい形にまとめ上げたのだろうと考えている。

2:舞台の進化

 では、そのようにして作り上げられた「舞台」は、それが完成形なのだろうか。

 膨大な時間を費やして究極の精度まですり合わせられた、僕とクライアントの意識という「舞台」は、そこが終着点、目的地なのだろうか。違う。そこは出発点なのだ。再び戯曲の喩えで説明してみよう。

 これは演劇に詳しい人なら常識の範疇と思うが、舞台は日々、変化する。同じ戯曲、同じ演出家、同じ役者、同じ裏方(これを称して「座組」と呼ぶ。ビジネスにおける「座組」はここから来ている)で演じていてもだ。今の演劇では公演期間中に一部の役者を入れ替えるのが当たり前だから、まずは役者が異なることでも舞台は変わるし、同じ役者の構成でも、舞台ごとに演技の微小な差異があり、それらが集まって大きな違いを生み出す。プロの役者に言わせれば「全ての公演が全く別物」なのだ。だから、熱心なファンは全公演のチケットを通しで買ったりもする。

 僕とクライアントの作る「舞台」も同じだ。意識のすり合わせを繰り返して「舞台」の初日が開幕する。そこから僕は、自分が持っている他の色々な引き出しを開けては、クライアントが適度な違和感を覚えるような発話をぶつけていく。言ってみればプロの劇団が公演期間中に役者の一部を入れ替えていくようなものだ。この作業によって僕とクライアントの作る「舞台」は更に進化し、深まり、それが最終的には大きな価値を生み出すことになる。

 ちなみに、ラジオのトークショーホストとしての僕とアートディレクターとしての僕では、話をしている時の感覚が若干異なっている。ラジオでは、来ていただいたゲストの方の思考をシャドーイングしていく感覚が強い。新しい言語を学ぶ時に、お手本に続けて真似をして発話するあれである。ゲストの方の思考をシャドーイングしながら、ゲストと自分の間の時間的な遅延をどんどん短くしていく。その思考の遅延が限りなくゼロに近くなった状態が、「舞台」の開幕、初日だ。そこから、今度は僕自身のテンションを少しずつ上げていくことで対話の体温が上がり、ゲストのホンネを引き出すことが出来る。

 一方、アートディレクターとしての僕は、思考の遅延を無くした後はラジオとは逆で、トーンを意識的に落としている。これも演劇的な喩えになるが、ラジオでは僕とゲストの真上にスポットライトを当てるのに対し、アートディレクターとしてクライアントと話をしている時は、僕たちの立っている場所の照明は少し落としてもらって、僕たちの目線の先にスポットライトを当てる感じだ。この時の僕の役割は、照明が暗くなることへのクライアントの不安を打ち消すことと、スポットライトを当てている場所、つまり未来の方にクライアントの目線を向けることである。

3:言葉と言葉の間にあるもの

浦沢さんとの対話の書き起こしを見て改めて実感したことだが、僕はこのような仕事上の会話でも、とにかく落ち着きが無い。すぐに浦沢さんのお話にかぶせて「なるほどなるほどなるほど」とか「ほうほうほう」とか「へえー」と口にしてしまうし、浦沢さんの発話が終わらないうちに発話してしまう。今風に言うと「ガヤが多い」というやつだ。これは前々から自分の短所として認識していた部分で、これまでの人生の中で「沈黙は金」という言葉を何度心の中で反芻したかわからない。

 このような自分の癖は、舞台において他の役者さんのセリフにセリフを被せるタイミングと近いのかな、とも思った。テレビドラマや演劇でのセリフのタイミングを注意して聞いてもらえばわかるけれど、お芝居では役者は直前のセリフの終わりに被せてセリフを言うことが少なくない。それは、お芝居としてはその方が効果的だと考えられている場合があるからだが、予め相手が何を言うかがわかっているお芝居以外では、あまり良いこととされていない。

 だが、もちろん程度問題とは思うが、今回の分析を見ると、自分の欠点と思っていた部分もそこまで浦沢さんとのコミュニケーションを妨げていたわけではないらしい。これについて演劇との関連を鍵に少し掘り下げて考えてみよう。

演劇はただ自分の番が来たら自分のセリフを言えば良いというものではなく、自分以外の役者たちの発するセリフとセリフの間も常に意識している必要があるし、セリフ以外の身体動作も重要な表現のメディアだ。つまり、演劇ではセリフと、セリフ以外の全てを総動員して観客を物語に引き込んでいくわけだ。仕事の時の僕の「ガヤ」は、役者さんではない仕事のパートナーの人びとを、より細かく見るならば彼・彼女らのリズム感を、ある意味では無理やりに役者のリズム感に引き込んでいく働きかけなのかもしれない。

言葉について

 次に考えてみたいのは、言葉そのものだ。
 僕は言葉について、どう考えているのだろう。

1:論理の言葉と感性の言葉

 今でも思い出すのだが、社会人になって1年目の僕は、電話の取り次ぎが全くできなくてよく怒られた。電話を受けても、誰がどのような用件でかけてきたのかが論理的にうまく把握出来ず、それが把握出来ないから、社内の誰に何をどう取り次げば良いのかもわからなかった。その頃はロジカル・コミュニケーションというフレーズが流行っていたので、僕もロジカル・コミュニケーションを身に着けろと散々言われた。

 だが、おそらく僕の言葉は本質的には感性の領域に根を生やした言葉である。この連載のパートナーとして、僕とは対照的に論理的な言葉の使い手である加藤を選んだのも、彼に僕の苦手とする部分を補ってもらうためだ。僕にとって言葉とは、相手を魅了することで説得する道具であるという感覚が強い。例えば僕は大学では写真を学んでいたけれど、写真はそれに添えられたたった一つのキャプションで、その意味や価値が大きく変わるものだ。その時、そのキャプションは僕たちを魅了することで、その写真の価値を僕たちに認めさせていると言えるのではないか。

 電話の取り次ぎのような、あるいはこの連載の中で加藤が書いているような論理的に精緻な言葉はとても重要だ。しかし、それとは別に、感性の領域で相手にどのように受け取られるかに注目した言葉は、たしかにある。先程、例として出したキャプションもそれだし、僕が昔からオーラルコミュニケーションで意識しているのは、真っ当なこと(それ故に耳に痛いこと)や言いにくいことこそ、明るいトーンで発話するというものだ。社員を叱る時や、クライアントに耳の痛いフィードバックをする時などが、まさにそれだろう。

 言葉が持つ論理の側面と感性の側面の関係を、僕はまだ上手く説明出来ない。感性の言葉とは演劇的に声色やリズムやタイミングを活用した言葉である、と言い切ることも出来ない。例えば写真のキャプションは文字だから、オーラルコミュニケーションと違ってトーンをコントロール出来る幅は狭い(それでも僕は2017年の「写真家沢田教一展 その視線の先に」のキャプションで試みたように、タイポグラフィや印刷という部分でのトーンのコントロールに挑戦している)。

それに、僕は根本的にはビジュアルコミュニケーションを選んだ人間だから、一枚の絵で全ての人が感動できるものを作りたいとも思っている。それは、僕が演劇を通して身につけた言葉と同じ部分に根ざす表現になるのではないか。つまり、感性である。

2:武器としての言葉

 僕はまだ、自分自身が使っている言葉についてメタレベルでの理解が充分に出来ているとは言い難いが、それでも言葉は僕の活動において最も大切な武器になっている。社員との間の意思疎通も、経営者同士の概念化されていないレベルにおける経営感覚の共有も、常に言語と発話を通して行われる。僕が取締役を勤めているJMCにおいても、重要会議とは別に「役員連絡会」と名付けた会議を週に必ず2時間設けて、4人の経営者が顔を合わせて対話をするようにしている。

繰り返しになるが、対話の相手の思考をトレースし、「舞台」をある程度作る。おそらくは、これが僕が仕事で使う言葉全ての基本だ。その上で、ラジオであれば相手の魅力的な話をより多く、より深く聞き出す。クライアントワークであれば、ミーティングの場で本質的な発言を意識しながらコンサルティングを行い、場を掌握してファシリテートする。自分が経営するいくつかの会社においては、新たな方針を魅力的かつ納得感のある形で提示する。

このように、「舞台」の性質の違いによって、「舞台」上で僕が展開するパフォーマンスは分岐していく。

3:ラジオのホストについて

 せっかく浦沢さんにゲストに来ていただいた回を詳細に分析したのだから、最後にあらためて、僕がラジオのホストをする際に意識していることをまとめておこう。

僕はゲストが来るタイプのラジオのホストを6年以上やってきた。その中で意識してきたことは、色々ある。

まずは大前提として、ゲストの知名度や年齢によってあまり態度やスタンスを変えず、毎回一定のパフォーマンスを聞いてもらえるようにしようというものがある。リスナーはホストである僕を通してゲストの方々と擬似的に対話するのだから、ホストのポジションが毎回ふらふらと不安定なままでは、リスナーに対して不親切だからだ。だから、浦沢直樹さんは僕にとっては物心がつく頃から読んでいたレジェンドのような人だけれども、そういった関係性を敢えてラジオの中では希釈して話をさせていただいた。

そしてもう一つ、多様なジャンル、多様な世代のゲストに来ていただく上で自分自身が意識しているのは、人間という存在を焦点として話すということだ。どんなジャンルも文化も、その中心にあるのはやはり人間であり、そのジャンル、その文化の本質を突き詰めれば突き詰めるほど、どの分野の人も同じようなことを、別の言葉で話してくれると感じている。だから、来ていただいたゲストの方々には、そのジャンルに固有の面白い話をして頂くというよりは、そのジャンルの中に置かれた人間とはどのようなものかという話をして頂くことを心がけている。これはまさに、演劇や文芸で培った考え方だ。別の言い方をするならば、人文学(humanities)である。

人文学の視点で話をしていけば、どんな分野の方、どんな年代の方、どんなパーソナリティの方でも、深い会話が成り立つと僕は感じている。これはラジオだけでなく、ビジネスの場でも同じだ。

さて、そうした前提を置いた上で、自分の話とゲストの話の量のバランスをどう取るのか。いかにしてゲストの話の中に、その人だけの魅力的な部分を見つけるのか。そして、その魅力的な部分にどのようにして話をたどり着かせるのか。ゲストの中にある最も魅力的な話の中に、どのようにして僕自身の話を入れ込むのか。僕はこうしたことを常に考えながらホストをしている。最後に挙げた「僕自身の話を入れ込む」というのは、僕がホストとして魅力的な人間であるために必要なことだ。それが出来なければ、僕にホストとしての価値は無くなってしまう。

もちろん、ラジオを始めた当初からこんなことが出来ていたとは思っていない。今の僕のスタイルは、5年間かけて作り上げてきたもので、自分としては一つの完成形だと考えている。その一方でヘビーリスナーの方々からは、ゲストをお呼びしない僕のソロ回が一番面白いと口を揃えて言われるのも事実だ。これは嬉しいことだが、その反面、ゲストの方々の魅力を引き出しきれていないのかなと考えないでもない。

4:さらなる探求と構造化へ

 今回、浦沢直樹さんとの対談という事例を使って分析したオーラルコミュニケーションの問題だが、このテーマは僕の活動の色々な場面を事例に、さらなる探求と構造化を目指していきたいと考えている。そこから、何らかの形で多くのデザイナーに共有出来るものを取り出すことが出来たならば、視覚的コミュニケーションと言語的コミュニケーションが更に深く融合した、ワクワクするようなクリエイションが世の中に溢れていくんじゃないかな、と思う。

 振り返ってみれば、重要文化財の奈良少年刑務所を通じた地域ブランディングの仕事、東京オリンピック組織委員会の仕事、日本で初めてデザイナーが業務執行の取締役として関わったIPOなど、僕が、僕自身まだよくわかっていないオーラルコミュニケーションの技法を使って達成してきたものは多いからだ。

(*23)アイスブレーキングについては比較のため、山崎の知人ではないゲストとして2020年9月13日放送(ゲスト:來住尚彦)の回の編集前の録音も確認してみたが、こちらでは冒頭から來住がかなり饒舌に語っているので、山崎は「語りを引き出すため」ではなく、共感や感嘆、驚愕といった山崎の感情を伝えるようなリアクションを序盤に多目に行っている。浦沢の回と共通するのは、トランスクリプト記号では\と\で囲まれているような「笑い」を伴った発話を冒頭で行っている点で、おそらくはこれがラポール構築の一つの技法となっているはずである。
(*24)シュッツ前掲書、第8章「相互作用関係」および第9章「コミュニケーション」
(*25)虚空文庫 http://suiseidou.cool.coocan.jp/index.html 著作権は著作者に帰属しているので注意。上演する場合は上演許可申請が必要。
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株式会社セイタロウデザイン代表、アートディレクター、デザイナー。株式会社JMC取締役兼CDO。FMヨコハマ「文化百貨店(毎週日曜2430−2500)」パーソナリティー。NPO ATRS WORKS理事。東京2020組織委員会スポーツプレゼンテーション・クリエイティブアドバイザー。