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自己紹介(強迫症の経緯、私の場合)

全く嬉しくない長い付き合いの病気「強迫症」(強迫性障害、OCD、強迫性神経症)の、私の場合のあれこれについて書いてます。
強迫症そのものに関してはwikiでも読んでみて下さい。
また、これ以降の文章には、私の症状や経緯についてもそこそこ詳細に書いております。
人の体験談を読んで貰い不安や思い出し不安しやすい、感化されやすいタイプの人には向かない記事なのでご注意下さい。
因みに私は上記全てに当てはまるので、自分は強迫症について書くけど、人のそれについては極力見ないタイプです。




概要

がっつり診断がついたのは2011年2月だけど、思えばそれ以前から長い付き合いになっています。そんなに付き合いたくないのだけれど。

症状は2024年1月現在で、確認行為、加害恐怖、被害恐怖、縁起恐怖。たまに不潔恐怖。

酷い時は不安から夜中に車で徘徊みたいな事になっていましたが、現在は強迫観念は毎日顔を出すものの、強迫行為は日常生活に支障が出ない程度に収まっています。
あくまでも現時点はの話であって、寛解したかというと自分でも分かりませんし、また以前のように戻るのではという不安はいつもあります。
治療方針は服薬と認知行動療法です。



きっかけ~盛大にやらかすまで

幼少の頃から近所の子に苛められるなど気弱な部分はあったのですが、小学校卒業まではそれとなく過ごしていました。また、強迫症めいた症状もありませんでした。
きっかけは中学生の頃になります。細かい内容や理由は覚えていないのですが、軽く苛めめいたものを受ける様になりました。また、元々の気性で登校拒否までは行かないけれども、ただ何となく漠然と「学校に行きたくない」と思う事が常でした。ただただ何となく嫌。苛めめいたものがあるのだから当然と言えば当然なのだけれど、漠然としんどい生活が続いていました。
そして、私はこう思うようになります。「何か原因があって、こんな嫌な目に遭うのでは」「楽しい事をしたらその分、嫌な事が起こるのでは」「楽しい事を我慢すれば、嫌な事が減るのでは」と。
一種の縁起恐怖の始まりでした。そして、少しでも嫌な目に遭わない為に、特に嫌な事があるのが分かっている前には楽しい事(当時は絵を描く事)を我慢するようになりました。これは、思考だけなら今でも続いています。

そして高校へ進学。中学までの仲が良かった友人達と離れる事になります。
私は元々、人間関係を作るのが苦手、かつ受動的な性格。自力で友達を作れた試しがありません。何なら40過ぎた今でもほぼ無いに等しいです。
と言う訳で友達を作れず(完全孤立を防ぐ為にクラスの違う同中の人とつるんではいましたが、それは私の中では「友達」ではありませんでした)、あっという間に集団無視を食らう状態になりました。何というか性格的なタイプという意味で「人種が違う」人達のところに飛び込んでしまったな……というのもあったのですが、今なら分かる。見るからに陰キャで関わりにくそうって感じが漂っていたんだろうなって事。
それはさておき、その集団無視に加えて、特に何もしてないのに一部の人に一方的に嫌われていました。これは現在に至ってもそうなのですが、私が見た目にも能力的にもどんくさいからか、勉強や仕事が出来る人に嫌われやすいんですね。
集団無視と一部の人からの嫌われで性格もかなり屈折したのですが、同時に強迫症の縁起恐怖も順当に強化されていきました。性格が屈折した上に楽しくない環境、更に気弱で逃避的で打たれ弱いとなったら、すがるのはジンクス位しかありません。「ラジオを聴いたら良くない事が起きる」「某ゲームのサントラを聴いたら事故りかける」「自転車のハンドルの握り方は一定のものから変えてはいけない、変えたら嫌な事がある」「CDの再生時間や時計などで4分44秒や4時44分を見てはいけない」などなど。

そんな高校からも何とか卒業して就職。ここから盛大にやらかすまでの詳細は割愛します。強迫症以外にもちょいちょいあったのですが、今回のテーマである強迫症に関しては、縁起恐怖が順当に強化されていきました。「出勤時に特定の看板を特定の手順で見なければいけない」「くまのプーさんのぬいぐるみを出勤中に見たら良くない事が起きる」とかですね。
そしてある段階から確認行為、加害恐怖、被害恐怖が出てきます。
元々注意力が無いらしく、事務で書類作成の仕事をしていても何かしらやらかしている。なので「私は基本的に間違っている」という考えが構築されました。あれこれあって(と言うか、単純に私が無能で事務仕事は任せられないという事になって)製造の仕事に転向した後も数のカウントに自信がなくて、出荷の為に箱に収めても「大丈夫だろうか」と箱を開けて確認。確認したかどうかも不安になって何度も確認。何度も確認しないようにチェックシートを作って活用するけど、それも信用出来ない。
これまた元々私は「大体」「普通」という概念を理解出来ないのですが、それも強迫症に悪影響を与えました。製品に傷がついていた場合、それを良品として通して良いのか不良品と認定して破棄して良いのかの判断がつかない。勿論検査見本は存在しますが、良品と不良品のグレーゾーンのものに関しては、結局は「大体」「多分」大丈夫(良品)or不良品の判断を下さねばなりません。だがその判断が私には限りなく難しい。そして「不良品を出荷して会社に迷惑をかけてはいけない。かけたら更に風当たりが強くなる」という不安から大量の不良品を発生させてしまい、仕事にならなくなりました。また、それにより上層部との関係も険悪化。地獄が更に地獄になります。
他にも「並べた作業途中の半製品が倒れて不良品だらけになるのではないか」と荷台から中々離れられない、「寸法を測ったけど、私の測り方は本当に正しくて本当に正しい数値を出したのだろうか」という強烈な不安などに苛まれるようになります。
そして、病院へ駆け込む事態になるやらかしをしたのでした。



そして盛大にやらかす。

盛大にやらかしたのは2010年12月。
それ以前から前述の通り不穏なものはあったし既に仕事に支障は出ていたのですが、ここで病院に駆け込む程度の悪化を見せます。

年末、忘れ物に気づいてそれを会社に置いておくとそれが原因で火事が起きて忘れ物の持ち主が私とバレて処分されないか心配でネットであれこれ検索。最終的には終業後にこっそり忘れ物を取りに行くも、今度はその状況を誰かに見られていないか、そして会社に泥棒が入らないか、泥棒がもし入って理由が「私が終業後に会社に入った時のやり方を見たから」と判明して酷い糾弾を受けるのではと心配で、年末年始と毎日夜中に会社の周りを車でぐるぐる回って入口付近を何十分も見つめる事態になったのです。雪が積もっててもお構いなし。今思うと本当にヤバいですね。付近のご家庭がパトカーを呼ばなかったのは奇跡でしょう。
この一件で他の症状も一気に悪化。仕事どころでは無くなったのでした。
仕事以外でも確認行為、被害恐怖、加害恐怖が出るように。お店で自分の触ったものが穢れたのではないか、それにより食中毒が発生するのではないかと不安になり買い込んだり。通帳やキャッシュカードを失くすのではと確認を何度もしたり。
ガスコンロやストーブのスイッチを切っていないのでは、それで火事になるのではと何度も確認したり。「火事」への不安に関しては、盛大にやらかした時の引き金が火事への不安だったのもあり、今も続いています。
また、症状の辛さと、症状により仕事が今まで以上にこなせなくなった事による風当たりの強さから以前からあった抑鬱傾向も酷くなり、会社を休みがちになるように。

余りに休みすぎた事でクビ勧告を受けるも「このまま社会から切り離されたら、多分一生社会復帰出来ない」と判断し、2021年の4月から暫く休職して、以後2019年3月までは「こりゃフルタイムで働くのも無理だわ」と時短勤務に切り替えました。
なお、時短勤務切り替えに関しては、症状が酷いというよりは、盛大にやらかす前から休職までに気力体力を消耗しきって、HPMPゲージが常に黄色で働くに働けなかったという理由が大きいです。ちなみにフルタイム復帰して随分経った現在も、ゲージ自体はほぼ常に黄色です。えへへ。笑い事ではない。
一旦落ちた体力気力は、ちょっとやそっとでは元に戻らない。これはうつ病に限らないというひとつの例です。
時短勤務期間が長いのは、体力気力が中々戻らなかったのもありますが、強迫症を除いても職場の環境が色々とアレで、フルタイム復帰しようと思った先から心を折られていたのが大きいです。

本格的にやらかして1年程で日常生活に支障が出ない程度には強迫行為は減りました。
これは自力で認知行動療法を行ったのと(たまたま認知行動療法に近い行動を自分で考えて取ってた)、仕事がものすごく簡単で責任の少ないものになった事が大きいです。
(ただし、これで職歴で誇るものが無くなり、圧倒的自己肯定心の低下と、それによる転職活動での抑鬱傾向が長く続く事になります)
ただ、思考そのものはそこまで変わっていなかったので、時を経て二度目のやらかしへと発展します。



盛大なやらかし、2回め。

2回めに盛大にやらかしたのが2022年の12月あたり。
この頃には(最初に盛大にやらかした職場が他にも色々とアレだったので)転職していたのですが、前職では前述の通り「こいつは病気だから」と一応配慮を貰って簡単な作業ばかりだったのが、職場を代わり「普通の仕事」をする様になって責任も一応人並みになったのが理由。

(因みに現職場に採用されるまでオープンで就活をしたところ落ちまくったので、黙って入社した後に症状が酷くなってカミングアウト。たまたまそのまま使ってもらってるけど、本来はかなり悪手です念の為)

私は現在製造業の製造をやっているのですが、自分が仕事を間違って覚えてないか、それが原因で不良品が発生してとんでもない事故が起きて会社に損害が出て責任としてクビにならないか不安で仕方なくて、盛大にやらかした頃には20分おき位に責任者の人に質問してメモを取ってました。そしてそのメモを覚えようと何度も眺めてました。勿論頭には入らない。メモから目を話した先から不安になりまた確認の繰り返し。これも地獄ですね。私も地獄だけど相手する人の方が地獄でしたね確実に。

この状態になるまでにも自分がやり方を間違っていないか不安で、やった仕事を元の状態になるまで解体してはやり直すという事を繰り返したり、20分おきとまでは行かないけど同じ質問を繰り返したり、仕事を間違って覚えていないかトイレに篭って何度も確認したりと十分に不穏でしたが、本格的にヤバくなったのは2022年の12月でした。やっぱり人を巻き込むのはあかんです。
最初にやらかしてから10年以上医者に通っていましたし服薬も続けていましたが、それでも症状は出ましたし悪化しました。服薬の量を増やしても殆ど改善せず。この時は本当に辛かったです。症状もですが、風当たりが強くなるのが辛かった。
(なお、転職前の2倍の量を服薬し、現在もそのまま同じ量を服薬しています)

この2回目のやらかしは大部分が仕事に関するもので、私生活には余り及んでいないのが不幸中の幸いでした。



認知行動療法を本格的に開始、そして現在に至る

2023年の1月頃から、本格的に認知行動療法を開始しました。
それ以前から医者に相談したり、自分で関連書籍を読んだりして対策しようとはしていましたが、一番効いたのは「多少厳しくてもいいので現状を変える言葉を下さい」と言った私への医者の言葉でした。やっぱり、不特定多数への言葉より、直に言われる言葉の方が力強いと感じたものです。

内容としては「確認行為全般をしない」を貫くという、それだけの事でした。
それを可能にする為の考え方を自分仕様にしてひたすら言い聞かせ、確認行為をとにかく無くす。ひたすらそれを積み上げる。そんな感じです。
「それができりゃあ苦労はしないんだよ!」が当事者の方の気持ちなのは分かります。めちゃくちゃ分かります。でも、本当にそれでしか何とかする方法はありませんでした。私の場合。
その内、確認行為へと駆り立てる強迫観念(不安)が少しずつ弱まっていき、多少手綱を握れる様になって行きました。

そして、現在に至ります。
前述の通り、今でも強迫観念は仕事をしている限り毎日やってきます。
酷ければ休日にも忍び寄ってきます。一度不安が強くなればどんどん色んな事が不安になるし、それが仕事以外の事(ストーブ等の電源のオンオフなど)にも侵食してくる事があります。
それでもその強迫観念を時には適当に右から左に流し、時にはぶちのめし、強迫行為に至らない様に医者から言われた認知行動療法に関する言葉を心のなかで唱えながら、日々やっています。
睡眠時間が減ると不調が強まるのか不安も強くなってくるので、睡眠時間は毎日8時間以上必要です。
外出や家での頭脳労働(家で出来る事ほぼ全般)で無理をすれば翌日に疲れを残してこれまた不安が強くなる原因となるので、自分に甘々で、やりたい事やるべき事も全ては(まず負荷がどうのと考える以前に時間的物理的に)こなせず、常に山積してあっぷあっぷのいっぱいいっぱいになりながら過ごしています。
世間一般の健常人な人に比べればかなり不完全燃焼で精神的に不健康な生活を送っていますが、強迫症が酷かった時は休日は心身疲れ切って日永しんどい気持ちでベッドに転がっていたので、それに比べればマシになりました。
そんな感じです。

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