アナザー・バスカッシュ! #03
第三話『シング・ア・ソング』
月に向かって歌った。
エクセレントシティにあるダウンタウンの公会堂の裏。そこが彼女のステージだった。幼い少女は胸を張って言った。
「あたしの歌、月の人達に聞かせてるの」
人々は笑った。しかし彼女は真剣だった。月日が経ち、少女も恋をする年頃になったが、歌は辞めなかった。とはいえ、活躍場所は公会堂の裏ではなく、今では市庁舎そばの大通りが彼女のメインステージだった。
ヴォイス……人は彼女のことをこう呼ぶ。
「よおヴォイス、今日は何を歌うんだい?」
「そうね、今日は……よし、これで行こう」
ヴォイスは自作の歌を歌う。人々が彼女の声に惹かれて立ち止まる。手拍子を叩いて盛り上がり、或いは腕組みして聞き入る。歌い終わるとそれなりに拍手をもらい、道に置いた帽子に幾ばくかの投げ銭を入れてくれる者もいた。
しかし最近、彼女は考える。
(私、何で歌ってるのかな?)
昔は歌えれば良かった。月に向かって歌う、目的はそれだけで良かった。月まで自分の声が届くわけなんて無いということは、実はとうの昔に気づいていた。
「だけど歌うの、月に向かって」
そう言ってしまえば、楽だった。考える必要が無い、だから「そういう事」にして歌い続けた。
(そのツケが回ってきたのかなあ)
確かに歌うことは楽しい。だから意味なんか要らないと思っていた。でも――
(でも私……何で歌っているのかな?)
空を見上げる。緩やかに飛ぶ飛行船の横腹には三人組の少女達のPVが映し出されていた。一年前にデビューして以来、月でも地上でもその人気は絶大で、街の至る所で彼女たちの映像や歌が流れていた。
(あの子達は、どうして歌ってるんだろう?)
「そんな事は簡単だよ」
一緒にアパートをシェアしているニキは言う。
「あの子達はプロだもん。プロはお金を稼ぐために歌うの。あんただってプロを目指してるんでしょ?」
(プロねぇ……)
何だかピンと来ない。歌いたいから歌う、シンプルな理由が、彼女の中でどこか釈然としないものになっていた。
(ひょっとしたら……)
ヴォイスは首を振る。
(歌いたくなくなってる? 私が? 小さい頃から歌ってきた私が? ヴォイスと呼ばれている私が? そんな筈なんか無いじゃない)
道に置いた帽子の中には、すでに結構な額の小銭が入っていた。
「良かったぜ、ヴォイス!」
「ヴォイス、次は何歌う?」
ヴォイスは迷いを振り切るように再び首を、今度はブンブンと大きく振ってみせた。
「よし、今日の最後はこの歌で行ってみよう!」
そう言って歌い出そうとしたその時、通りの向かうから歓声が聞こえた。
「何?」
ヴォイスが振り向くと、ビルの影から大きく弾む球体が見えた。
(ボール?)
それは、直径が人の大きさほどもあるような巨大なバスケットボールだった。そのボールを掴むために二つの巨大な人影が跳び上がる。
「バスカッシュだ!」
「バスカッシュが始まったぞ!」
人々は人影めがけて走り出す。
「何、バスカッシュって?」
ヴォイスは近くにいる男に尋ねた。
「ビッグフットバスケのストリート版さ。最近流行りだしたらしいけど、ついにこの街でも始まったんだ!」
そう言うと男も走り去っていった。
「うわ、ステージは中止ね」
一人ポツンと取り残されたヴォイスは苦笑いをすると、帽子の小銭をカバンに入れる。
(商売敵の姿、見てやるか)
ヴォイスもまた、走り出した。
× × ×
巨大な人型工作機械・ビッグフット。これを乗りこなしてバスケットの真似事をする――そんな見せ物を、ヴォイスは以前、場末のスポーツバーで見たことがあった。
「新しい時代、新しいモータースポーツの幕開けだ!」
テレビの実況は熱く叫んでいたが、ヴォイスにはそんなに凄いもののようには思えなかった。
「だって生身でやればいいじゃない?バスケなんだから」
そう言うヴォイスに、シェアメイトのニキは笑って答えた。
「バカねえ。男はこういうのが好きなのよ。でっかいメカ、でっかいボール」
更にニキはニヤリと笑う。
「で、女はそんなでっかいものを乗りこなすカッコイイ男を好きになるの」
「そうかなあ」
ヴォイスは納得がいかなかったが、確かにバーの客、とりわけ男達はテレビに夢中だった。
(あんなロボバスケがいいんだ……)
ヴォイスには男達の熱狂がわからなかった。テレビの中継はビデオ加工のエフェクトや、効果音などが入っていて派手派手しい。しかしヴォイスにはそれは作り物に見えた。
(あれは全然生中継じゃない。ライブじゃない)
ヴォイスはライブにこだわる。こだわるからストリートで歌う。だけど最近はそのコダワリの意味が見えなくなっていた。
(だから見てやる! みんなが夢中なニセモノに、どんなコダワリがあるのか!)
通りを駆け抜け、隣の区画への角を曲がると、そこに「ニセモノ」達の姿があった。
「?!」
わき返るギャラリーが道端を埋め、その向こうには巨大な人影が跳躍し、疾走し、ボールを操る。それはテレビで見たビッグフットの鈍重な動きとは全く別物だった。
「違う……」
その動きは人のそれ以上に力強く、激しい。
「ニセモノじゃ……ない……」
ヴォイスはその迫力に気圧され、棒立ちになっていた。不意に声が飛ぶ。
「おい、危ないぞ!」
「え? あっ?!」
いきなり手首をつかまれると、建物の隙間に引っ張り込まれた彼女は、身の危険を感じた。力任せに残った手を振り回す。
「イヤッ! やめてよッ!!」
「おいおい、待てよ。助けてやったんだ!」
「え?」
ヴォイスは振り上げていた手を下ろす。見ると手を掴んでいたのは、自分よりも幼げな少年だった。先程までヴォイスが居た路上をビッグフット達が駆け抜ける。
「あ……」
「ギャラリーの安全ってのもあるようで無いもんだ。特に棒立ちのトロいヤツにはな」
「何ですって?!」
ビッグフットを追ってギャラリーが走る。
「おっと、いけね」
少年は駆け出した。
「早く来いよ! 置いてくぞ!」
「え? あ、はい!」
あわててヴォイスも後を追う。
(何なのよ、こいつ?!)
× × ×
ヴォイスは少年と共に走っていた。
「私、初めてなの。こんなの見るの!」
「ハッ、そりゃ運がいい!」
少年は、他のギャラリー達とは違う道を行く。
「道が違うわ!」
「いいんだ!」
走る先にはエクセレントシティで一番の摩天楼がそびえる。そしてその上部にはゴールらしき巨大な鉄の輪が取り付けられていた。
「あれ、バスカッシュのゴールだ!」
「ゴール?」
少年は更に角を曲がる。
「ゴールに行かないの?!」
「こっちだ!」
ヴォイスに構わず、少年は更に何度も角を曲がり、道を進んだ。
「ほら!」
「あ……」
そこはちょうどギャラリー達が陣取る場所とは正反対の位置だった。
「ここならよく見えるだろ」
「うん……」
両チームは互いにゴールを決める。切れ込んでのダンク、或いは遠く離れたところからのシュート、それぞれの実力を発揮しつつ、相手に決定的なポイントを決めさせない。決めたら決め返す、そんな状態がしばし続いていた。
「…………」
ヴォイスは呆然とゲームを見ていた。ボールを奪い合うビッグフットだけではなく、それを取り巻くギャラリー達。道端で、或いはビルやアパートの窓から身を乗り出して声援を送る人々……それはスポーツバーでビッグフットバスケのテレビ中継に声援を送る男達とは違う熱狂だった。しかし、ヴォイスには納得できた。
(これは……ホンモノ……)
ヴォイスも小さい頃に、誘われてバスケをしたことがある。しかし彼女は運動が得意では無かった。彼女はついに癇癪を起こしてこう言った。
「何よ、ボールをゴールに入れるだけじゃない。つまらないわ!」
負け惜しみだったのかもしれない。しかし、バスケよりも歌を歌うことが楽しかったのは事実だった。以来、彼女はスポーツというものに対して冷淡な態度を取っていたのだが――
「すごい……」
ヴォイスには、プレイヤー達がボールを通じて会話をしているように見えた。ビッグフットは無言だが、オフェンスやディフェンス、カバーに回るその走りに至るまで、操るプレイヤーの意志を感じた。機械の決められた動きではなく、人の決断する意志ある動き……勿論、ビッグフットは機械であるが、ヴォイスにそう感じさせる操縦者達の技量に彼女は感動していた。
「よし、今度はこっちだ!」
不意に少年が走り出す。
「え? 待って!」
ヴォイスは追いかけた。
少年は、手近なビルの非常階段をどんどん上っていく。普段なら文句を言いそうなところをヴォイスも後に従って上っていった。
「よし!」
二人は屋上に行き着いた。
「ここなら全部見える」
「うわ……」
確かにこの位置からは両チームの攻防がよく見えた。赤と青と黄色の機体のチームと、かたや黒一色の機体のチーム。初めてヴォイスはこのゲームが3on3で行われていることに気づいた。黒のチームは連携も良く、ボール回しも確実である。対する三色のチームは、プレイもバラバラでボールを追うのも投げるのもチグハグだった。しかし――
「どう見える?」
ニヤリと笑って少年が尋ねた。
「え?」
「どっちが勝ちそう?」
「ん、と……三色の方」
「ふーん、どうして?」
「どうしてって……三色は予想外だから……かな」
「予想外?」
「アドリブにアドリブで返すって言うか……こう来るかっていう感じで……そう! まるでセッションみたい。それが力強くて、意外で……」
「だから勝つ、か」
満足げに少年は微笑んだ。
「おそらく次のゴール辺りでタイムアップだ。見てみな」
「え?」
指さすビルは、その窓の明かりの数を増減することで、ストップウォッチさながらのカウントダウンを行っていた。
「相変わらず派手なことをするなあ」
少年は感心げにつぶやいた。
(この子……誰なんだろう?)
ヴォイスはあらためて少年の横顔をながめた。
「どこ見てる?」
「え、あ、ゴメン!」
思わずヴォイスは赤面していた。
「決勝ゴール、見逃しちまうぜ」
「う、うん」
恥ずかしさを隠すようにヴォイスは目を見開いてゲームを見つめた。ちょうどメインストリートに当たる広い道では、黒の一機と赤の機体の一騎打ちになっていた。
ドリブルする黒の機体。
ボールを奪おうとする赤の機体。
残る他の機体は、敢えて彼らの勝負を見守るかのように身構えている。
「何で手を出さないの?」
「man-Zが誘ってきたからさ。ダンはそれに応えた。だからみんな見てるのさ。こいつはビッグな1on1だ」
「わん……おん……わん……」
赤の機体は何度も黒の機体のふところに入ろうとするが、黒の機体は巧みにそれを回り込んでしのごうとする。しかし、赤の機体のステップがどんどん早くなっていく。
「すごい……」
そしてついに赤の機体のスピードに追いつけなくなった黒の機体のステップのリズムが崩れた。すかさず赤の機体はボールを奪う。
「オオオオオオッ!!」
そこらじゅうから歓声が上がり、再びゲームは3on3に戻った。見守っていた四機はそれぞれマークを再開し、或いは赤の機体の援護に向かう。
「さあ、どうするんだ、ダン!?」
少年は叫んでいた。
(ダン……あの赤い機体に乗ってる人?)
尋ねる間もなくヴォイスもゲームの行方を見守る。赤の機体は黄色の機体にパスをすると、そのままビルの壁を上り、或いは屋上を飛び移って、どんどん高いところへ上がっていく。その間に、黄色の機体は巧みにマークをかわし、駆け込んでくる青の機体にボールを手渡す。青の機体はそのままの勢いで大きく振りかぶると、ボールを投げた。大きくホップしながら上昇するボールの先には、赤の機体がいた。
(えっ?!)
ヴォイスが声を上げるよりも早く、赤の機体は跳躍した。唸りを上げて飛んでくるボールを掴むと、落下する勢いをそのままに投げた。しかしその方向は、ゴールの位置とはまるで違う。
「うまい!」
少年が叫ぶ。ボールはあちこちの壁にはね返り、思わぬ方向に飛んでいく。飛び降りた赤い機体は着地と同時に、これまた思わぬ方向へ走り出した。ヴォイスはハッと息を飲む。
(二つのジグザグ?)
再び跳躍する赤い機体。今度はその先にはゴールがそびえていた。ブロックをすべく跳び上がる黒い機体が二機。しかし、赤い機体はそれよりもはるかに早く、はるかに高く跳んでいた。そしてその手におさまるボール。反り返っていた赤い機体はため込んでいた勢いと共にボールをリムに叩き込んだ。リムが大きく揺れる。
(二つのジグザグが……一つに!!)
ヴォイスは、背筋を何かが貫くような衝撃を覚えていた。
× × ×
タイムアップ。ワンゴール差で勝負は決した。しかし、最後のダンクは、僅差とは言えないくらいの圧倒的な力強さだった。その結果を待っていたかのように警察のサイレンが鳴り響く。六機のビッグフットはいつの間にかその姿を消し、街は再び平穏が戻った。しかしその余韻はいまだ漂い、ヴォイスはいまだ屋上に立ち尽くしていた。
「どうだった? バスカッシュは」
「バスカッシュ?」
「今のゲームさ」
「……ありがとね」
「ん?」
「色々見せてくれて。すごかった」
紅潮したヴォイスの顔を見て、照れくさそうに少年は顔をそむけた。
「ああ、いいよ。いつものお礼さ」
「いつもの?」
「あんた、いつも歌ってるだろ? 道端で」
「うん」
先程までとは打って変わって、少年は落ち着かない感じだった。
「いつも聞いてたんだ。ちょっと離れたところでさ。いや、タダで聞くつもりはなかったんだけどさ……俺、金無いし、ね。だから、その……お礼というか」
「そんな! 気にしなくていいのに! 私は歌いたいから歌ってるんだから――」
言いながらヴォイスはハッとした。
(歌いたいから歌う……)
先ほどの衝撃が甦る。ゴールを揺らす、そんな単純なことにどうして自分はそんなに興奮できたのか? シンプルなものへの憧れ、力強いものへの尊敬、そして感動……ヴォイスは初めて月を見上げたであろう、小さい頃のひたむきさを思い出していた。
(そこに月があったから……歌った)
「おい、どうした?」
おずおずと少年が尋ねる。
「わかったの」
「わかった?」
「思い出したって言った方がいいのかな?」
ヴォイスは更に続ける。
「私、やっぱり月に向かって歌いたいんだって。この声が月まで届けって、そんな気持ち……ずっとそんな子供の頃の夢だって、自分で思い込んでたけど、今のゲーム見てたら、それが自分の本当の気持ちだったのかなって――」
まくし立てるヴォイスを見つめていた少年は更に尋ねる。
「思い出した?」
「うん」
「良かったな」
微笑む少年に、ヴォイスも満面の笑みで微笑み返した。
「ありがとう。バスカッシュと、君に」
そしてヴォイスは、歌った。
少年のために。そして今夜のゲームのプレイヤー達のために。
× × ×
夜道を二人は歩いていた。警察はなおも付近を探索している。しかし、それは敢えてやっているだけで、警官達の中には先ほどのゲームについて熱く語っている者さえいた。
「ところでさ」
ヴォイスは少年に尋ねた。
「何だ?」
「どうして君、バスカッシュに詳しいの? ベストポジションまでわかってて……おかげで凄いもの見せてもらったけどさ。でも、何で?」
「あれは……俺のお祝いなんだ」
「お祝い?」
「俺が上級の学校に合格したお祝いだって。だからみんなこの街にわざわざ来てくれたんだ」
「みんなって、知り合い?」
「昔の仲間さ」
少年は立ち止まるとあらためて月を見上げた。
「月にダンクをキメてやる……それをいまだに目標にしてる、俺の先輩。俺の友達」
「月にダンク、か……」
ヴォイスも月を見上げる。ムーニーズの灯りが消えていく。にぎやかな夜がようやく静寂へと姿を変えていく。
「そういえば……」
ヴォイスは少年を見つめる。
「何だ?」
「そういえば、名前を聞いてなかった」
「ああ、そうだ。忘れてた」
「私はヴォイス。そう呼ばれてる」
「俺は……トーイ」
「トーイ?」
「ダン・JDが俺にくれた名前さ。オモチャみたいだから、トーイ」
少年は、笑った。
初出:Blu-ray「バスカッシュ!」shoot:3(2009年10月21日発売)初回特典
(発売・販売元:ポニーキャニオン)
読んで下さってありがとうございます。現在オリジナル新作の脚本をちょうど書いている最中なのでまた何か記事をアップするかもしれません。よろしく!(サポートも)