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地元には錆びと死が多い


私が隣町の高校に行く電車。
この電車を降りずにいたら東京に行ける。
事実でしかないのにどこか半信半疑だった。 

干支が一周まわった今、わたしはそんな半信半疑だった場所の方をホームと感じている。

久々の地元で駅から家まで歩く。
東京では駅徒歩15分でも遠いのに、この町では駅までは車で行くもの。
20分程度歩くけどまだ近い方だ。

地元は物理的に錆びたものが多い。
錆びた茶色、東京でこんなに見ることあったかな。


「県下で一番元気な商店街」と書いてあるシャッター街。
小さな頃は「おまち」と呼んで、子供だけでこの場所に行くことが最大のステータスだった。
買いもしないのにファンシーな文具を眺めたり、本屋に行って小中学生がモデルの雑誌を立ち読みしたり。
そんなことが特別だった。
なけなしのお小遣いは友達とのプリクラで消える。
高校生にまじってプリクラを撮るのは少しの恐怖と高揚感。

もうそんなドキドキを味わうことは沢山の刺激物を知ってしまった私には難しい。

幼稚園の時に先生が結婚式をあげていたホテルはセレモニーホールとなり、仏壇や墓を売ってた。
生と死。
もう死の方がこの街には多いという証拠を見てしまった。
死の方がお金になる街。


地元にいると生き埋めされてたような高校時代を思い出す。
何者かになりたくて、特別な才能があるんだと信じていた。
自分が思う、その時最大限できる1番オシャレで個性的な服を着て、こんな所だから私は誰にも見つからないんだ、と思って東京に出たけど未だに何にもなれちゃいない。

変わった人だ、特別な人だと思われたかった。
今は自分の好きな格好をしても目立たない東京という街が好きだ。


好きな格好をして帰る地元、こんな服を着ている30代はいない。
できるだけ奇抜な格好をして特別じゃないことをバレないように武装していた15年前と変わったようで変わってない。
強くなったようでなってない。

思い出すと別の人間のことくらい遠いようで、しっかりと地続きに今の自分に繋がる。
東京と地元が一本の電車でつながっているように。

マンションを買った。
また地元と私の距離感は遠のく。
でも切れるわけじゃない。

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