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夫婦生活で大切だと思うこと

子供が生まれてから1年を迎えた。

それはもちろん子供が1歳を迎えた日であり、また僕たちが親として1歳を迎えた日でもある。

これから結婚や出産を迎える夫婦は、新婚生活、子供との生活をどう夢見ているだろうか。愛するパートナー、可愛い子供との楽しい日々を想像しながらも、ぼんやりと、大変なこともあるだろうと想像はするだろう。

しかし、まあ想像以上に大変なことも多いのである。その中で、僕が個人的に、夫婦生活を送る上で大切だと思うこと、気をつけていること、これから注意していきたいことを、書いてみたいと思う。


1.自分の方が大変、自分の方が頑張っている、と思わないこと

ワンオペ育児、ワンオペ家事、などという言葉が最近流行っている。旦那が家事も育児も手伝ってくれず、妻が1人で家事も育児もこなしている場合によく使われる言葉であろうと思う。そうなると当然、自分の方が大変だと思うのは当然のことのようにも思えるかもしれない。

あるいは、家事も育児も夫婦で分担し、協力し合っていても、ちょっと俺の負担の方が多いんではないかとか、私の方が頑張ってるとか。もしくは、世の中の旦那達に比べれば俺は頑張ってる方だ、なんて思う人も多いかもしれない。

そういう考え方を否定するつもりはない。しかし、そういう考え方は基本的に相手(夫や妻)の事情を考慮していない。なぜなら、誰しも自分の気持ちしかわからないはずであって、相手の事情や気持ちを真に理解することは不可能だからである。

同じ家事をしても、妻より不慣れな旦那の方が精神的な負担は大きいかもしれない。旦那が大したことないと考えている家計の管理は、数字に弱い妻には負担かもしれない。平日頑張って働いてるんだから週末くらい飲みに行かせてくれと思っていても、相手も同じことを考えているかもしれない。「私料理好きだから、楽しくやってるよ、大丈夫」と言っていても、それは本心ではないかもしれない。あなたは確かに「世の中の旦那達に比べれば頑張っているほう」かもしれないが、妻のほうが「世の中の妻達に比べてより頑張っている」かもしれない。

特に自分が頑張っているとき、相手がサボっている(ように見える)ときには、こういう思考に陥りやすいと思う。俺はこんなに頑張ってるのに、私は大変でも必死にこなしているのに、どうして自分だけ。。。しかし、相手は今、これまでにないくらい仕事が大変なのかもしれないし、経験したことのない同棲生活、家事、育児に必死に奮闘しているかもしれない。無自覚に、明確な根拠なしに相手を「サボっている」「手を抜いている」「自分に比べて楽をしている」と断ずるのは、夫婦間の信頼関係にヒビを入れかねない。「自分も頑張っているつもりだが、相手も頑張っているのだろうな」とまずは思える心のゆとりを持っていたい。

2.親しき仲にも礼儀あり

ごめん、ありがとう、大丈夫?、嬉しい、すごいじゃん、やるねえ、すごい助かる、お疲れ様、などなど。。。夫婦生活に限らないが、自分以外の人と暮らしていれば、助けてもらうことも迷惑をかけることも多々ある。

ビジネス上の関係であれば、多少嫌な人間関係があっても、それを成立させることも含めて仕事だ。しかし、夫婦生活はそうはいかない。お互い好きあっているとはいえ、生まれも育ちも異なる他人と一緒に暮らしていかなければならず、そこに給料は発生しない。そして、お互いに最もリラックスする家庭という場所だからこそ、ふとした一言が気になることもある。

妻が夫にゴミ捨てを頼むとき、「何もしてないんだからゴミくらい捨ててよね」ときつい顔で吐き捨てられるのと、「いつもゴミ捨てありがとね、いってらっしゃい」と笑顔で見送られるのでは、当然のことながら旦那の気持ちも違うだろう。妻が作ってくれたご飯を食べるとき,「ご飯作りはお前の仕事だろ?」とぶっきらぼうに言われるより「美味しいご飯を毎日食べられて俺は幸せだ」なんて言われれば妻のモチベーションも上がるだろう。

別にお世辞を言えというわけではない。もしそう思わないのであれば言わないほうがいいし、それで夫婦生活が破綻するなら仕方ないと思う。しかし、お互い好きあって一緒になっているのだから、そうした相手を思いやる気持ちはどこかにあるはずだと思うのである。そうした思いに改めて耳を傾けて、多少照れがあるとしても口に出して伝えたほうがいいのではないだろうか。


3.義務だと思わないこと

SEKAI NO OWARI のHey Ho という曲の中に、こんな歌詞がある。

「誰かを助ける事は、義務じゃないと僕は思うんだ。笑顔を見れる権利なんだ。自分のためなんだ」

この歌詞は、まさに僕が言いたいことを代弁してくれている。夫婦で助け合い、協力して生きていくこと、これは義務ではない。自分が好きで結婚して、好きで一緒に暮らしているその相手が,「ありがとう」と笑ってこっちを向いてくれる、その日常生活を送るための権利である。

もし、パートナーと2人で生きていく、または子供と一緒に家族で生きていくために、家事育児をするのが苦痛だと感じるとか、それを義務として捉えないとやっていけないなら、それは本末転倒だと思う。パートナーと、家族で楽しく生きていきたいから結婚したのであって、家族であるために辛い家事や育児をただ必死にこなすというのは順序が逆ではなかろうか。

たとえ今はそれでできたとしても。今後何十年も一緒に暮らさねばならないのだ。長続きしないかもしれない。


4.建設的じゃない嫌みをちくりと言わないこと

「どうしてこんなこともできないの?」

と,お互い言い合っていないだろうか。そのとき,言う側が期待している返答は何だろうか。

「こういう理由でできない」のように,できない理由を理路整然と言われれば満足するだろうか。多くの場合は違うだろう。要するに,ちくりと嫌みを言いたいだけだ。

そう言うことで何が解決するだろうか。結局,何も解決しないどころか,夫婦の関係は悪化するだけだろう。自分が全てにおいて完璧であるわけでもないのに,自分ができないことは棚に上げて,相手ができないことにはチクリと言いたくなる。これも人情だろうとは思うが,自分が言っていることが非建設的であることを自覚すべきだ。


5.まとめ

以上,4点について個人的な考えを述べた。

こうした問題はケースバイケースだと思うが,結局の所,肝心なところは「思いやりの心」という言葉に集約されているように思う。

「家事の分担を明確にルール化して分けるべきか否か」などのよく見るルールは,結局のところ夫婦によると思う。それより,やはりお互いがどれほどお互いのことを思いやれるか,が肝心なのだと思う。

一度は人生をともにすると心から誓い合った仲である。それができないはずはないと思う。

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