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不幸はいつか幸福に転じるのか

雨のち晴れ

明けない夜はない

やまない雨はない

不幸な現象が続いた時。その現象はいつか終わる、あるいは幸福に転じると励ます言葉は多くある。

その言葉が真実なのか、根拠のない、ただの励ましの言葉なのか。考えたことはあるだろうか。私は暇人なので、こういうことについてだらだら考えたりする事がある。今回は、このことについて、思うところをだらだらと書いていきたい。

「雨のち晴れ」「やまない雨はない」。これらは、雨はいつか止んで晴れるという意味だが、それは真実だろう。延々と、無限に雨が降り続くということはおそらくない。

「明けない夜はない」。これは極夜という言葉があるが、地球上の限られた場所のみだ。太陽光が一方向から差していて、地球が自転している以上、多くの場所では必ず朝が来る。これも真実だろう。

https://www.polewards.com/whitenight-and-polarnight/

何が言いたいかというと、これらは幸不幸や運勢とは全く関係がないということだ。物理的に、無限に続くはずのない現象を取り上げて、「それはいつか終わるのだから、あなたの不幸もいつか終わるはずだ」と、主張しているのだ。

それは果たしてどうだろうか。この世には多くの名言・格言があるが、その言葉を信じたが故に、逆に報われないと感じることはある。「努力は必ず報われる」などはその最たる例だ。努力したのに報われなかった場合、この言葉が間違いであることの証明となってしまう。もしくは、努力が足りなかったことの証明にもなるかもしれないが・・・

いやいや、こういう格言やことわざは物理法則とは違うんだから、いつも成立するとは限らないじゃないか。そう反論する声が聞こえてくる。しかし、そうだとしたら、あえて格言やことわざにする必要はないではないか。

「努力は報われることもあるが、報われないこともある」が真実だとしたら、それはあえて言葉にしなくても、そりゃあそうだろうなというだけの、なんの有り難みもない事実である。動物が異常行動を起こした後、地震が起こることもあるし起こらないこともある。そう言われたら、そりゃあそうだろう、何言ってんだとなる。それと同じである。じゃんけんをしたら、勝つこともあるし負けることもある。だから何?

毎回必ずとは言わなくとも、多くの場合、高確率で成立する現象でないと、こういうものは意味がないと思うのだ。

さて、こう言うことをだらだら考えては口にしてしまうのが、私が理屈っぽいと言われる原因なのは存じている。だがもう少しお付き合いいただきたい。本題に戻ろう。不幸はいつか幸福に転じるか。

まず幸福と不幸を定義しておこう。現在、世界人口は80億人を突破しているらしい。私が学生の時は60億とか70億とか教わった記憶がある。凄まじい勢いで増えているようだが、とにかく80億人が地球上には住んでいる。

そのうち60億人が平均で、10億人が幸福、10億人が不幸と考えてみる。地球上に存在する幸福と不幸の数が等しいと仮定するのである。

この辺の定義は難しいところだと思うが、たとえば自分が幸福だと感じる場合、それはきっと周りの人を見渡して自分が恵まれていると感じる時だろう。逆に、不幸だと感じるなら、それは周りの人より自分は恵まれていないと感じる時だろう。その割合は、不幸な人がいれば幸福な人がいるというように、同じと考えるのが妥当ではないだろうか。みんなが幸福だったら、それはもう幸福ではないと思うのである。(それはそれで素敵な考え方とも思うが)

つまり、地球上のある人間が、幸福である確率は、10/80=0.125で、12.5%。
同様に、不幸である確率も、12.5%。
幸福でも不幸でもなく、普通、平均的である確率が、残りの75%である。
また、これは1日とか、1ヶ月とか、その期間が幸福もしくは不幸である確率と考えてみよう。

これはあくまで仮定である。実際はもっと複雑であろうと言うのはその通りだと思うが、そういう細かい話は今回していないので、ご容赦いただきたい。

というわけで、こう考えてみてはどうだろう。たとえば、今日からの1ヶ月、つまり2023/02が、不幸だったとしよう。その確率は12.5%である。また、2023/02が不幸で、かつ2023/03も不幸である確率は、

0.125×0.125=0.015625

となり、1.5%程度まで小さくなる。

つまり、今月不幸な人は世界人口の12.5%いるわけだが、今月不幸で、来月も連続で不幸になる人は、世界人口の1.5%しかいないのだ。これが3ヶ月連続で不幸な確率を考えてみると、

0.125×0.125×0.125=0.00195312

となり、0.19%程度。0.2%を切っている。比較するのは適切じゃないかもしれないが、降水確率が0.2%以下だとしたら、あなたはその日、傘を持って行くだろうか。持っていかないだろう。つまり、そんなことはほとんどあり得ないと考えられるくらい、小さな確率だということである。

以上のような考え方をすれば、ざっくりではあるが、「不幸はいつか幸福に転じる」もしくは「不幸はいつかは終わる」というような考え方が、一定の部分で納得できるのではないだろうか。

もちろん、厳密に考えれば(厳密に考えることが可能かどうかも不明だが)、たとえば比較的良い家庭環境で育った人は、幸福である確率が上乗せされるかもしれない。逆だと平均よりは落ち気味かもしれない。結婚相手がそうだとしたら、そういう影響も複雑に絡み合っているだろう。

だが、不幸になる要因が重なり続けるということも、あり得なくはないが非常に小さい確率となりそうと思えないだろうか。

サイコロを振ると、1〜6の目が必ず出る。1が出る確率ももちろんある。2回、あるいは3回連続で1が出ることもある。あるが、とても確率は小さいのだ。

そう考えることで、ちょっとした不幸や恵まれないことがあっても、それほど辛さを感じなくなると思う。そう考えた方が、幸せに生きられるのではないだろうか。

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