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『音楽と共に時代を駆け抜けていくメッセンジャー』(米津玄師)人生を変えるJ-POP[第5回]

たったひとりのアーティスト、たったひとつの曲に出会うことで、人生が変わってしまうことがあります。まさにこの筆者は、たったひとりのアーティストに出会ったことで音楽評論家になりました。音楽には、それだけの力があるのです。歌手の歌声に特化した分析・評論を得意とする音楽評論家、久道りょうが、J-POPのアーティストを毎回取り上げながら、その声、曲、人となり等の魅力についてとことん語る連載です。

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米津玄師といえば、今は誰もが正確に「よねづけんし」と読めますし、パソコンにも「よねづけんし」と入力すれば、漢字に正しく変換されるほど、有名なアーティストになりました。間違いなくこれからのJ-POP界を牽引する存在です。

ですが、彼が多くの人に知られた2018年、楽曲『Lemon』を引っ提げてNHK紅白歌合戦に登場した時、いったいどれくらいの人が彼の名前を正しく読めたでしょうか。それは一部の世代に限られたことだったかもしれません。

『Lemon』はドラマ『アンナチュラル』の主題歌としてタイアップした曲ですが、唐突に何のイントロもなく「夢ならばどれほどよかったでしょう…」から始まる彼の歌声が余りにもドラマのシーンにマッチしてなんとも言えない切ない思いを抱いた人も多かったのではないでしょうか。

この曲のように彼の楽曲には独特のノスタルジーを感じさせるものが多いです。

10代の「ハチ」は、動画サイトでの配信から始まった

米津玄師は、現在31歳。『Lemon』以降の目覚ましい活躍は彼がまだ30そこそこの若者であることを忘れさせます。

本名である米津玄師の名前で活動する以前、彼は10代の頃から「ハチ」という名前でVOCALOID(ボーカロイド)を使って楽曲を制作、活動していました。

VOCALOIDというのは、ヤマハの登録商標名ですが、歌詞とメロディーを入力することで人の歌声を合成することの出来るシンセサイザーです。初音ミクの楽曲など、VOCALOIDを使って作られている楽曲をボカロイド曲と言い、今ではそれらの音楽の総称として使われることが多いです。

このVOCALOIDを使って、彼は多くの楽曲を作っていました。

彼が「ハチ」という名前で活動を始めたのは、2009年で、ボカロP(VOCALOIDを使って楽曲を制作する音楽プロデューサー)として多くの楽曲をニコニコ動画で配信し始めました。初音ミクの『お姫様は電子音で眠る』という楽曲は現存している一番古い動画ですが、当時、自作曲を動画サイトで配信する人はほとんどいませんでした。

そうやってインターネットを中心に活動していた彼は、2012年本名の米津玄師としてアルバム『diorama』を発表。2013年にメジャーデビューを果たしています。

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2012年、米津玄師としてメジャーデビュー

なぜ、彼は「ハチ」という名前から本名の「米津玄師」に変えたのでしょうか。

彼は元々、高校生の頃はバンドを組んで音楽活動をしていました。ところが、何度ライブを経験しても、彼の中に「バンドは上手くいかない」「楽しくない」という気持ちがあり、だんだん1人でも音楽が作れるVOCALOIDというものに嵌っていったのです。

そうやってハチの名前で活動していても、結局、心のどこかにバンドへの憧れのようなものを捨て切ることが出来ず、ボカロイドプロデューサーという肩書では満足できなくなった結果、2012年に自分の名前を出して活動を始めたのが『diorama』でした。

このアルバムは彼が作詞、作曲、編曲から歌、演奏、動画、アートワークやミックスまでありとあらゆることを全て1人で手掛けたもので、一連の作業を誰の手も借りずにやり遂げたという事実が大きな反響を呼びました。

しかし、このアルバムは、結局はVOCALOIDと何ら変わらないという感覚を彼の中に芽生えさせていました。それは、誰かと共同作業をして音楽を作り出す、という最もポピュラーな活動形式ではなく、1人で作り出した音楽の世界だったからです。

そうやって1人で作り続けていても同じことの繰り返しになる、という思いと1人で作ることには限界がある、との思いを彼は感じたと言います。そしてそこから抜け出すためにはバンド活動というものを避けて通れない、という思いが彼の考えを占めるようになりました。

このアルバムのヒットは彼をバンド活動へと再び戻していくことになるのです。そうやって1曲、1曲を丁寧に仲間とコミュニケーションを取りながら作り上げたのが2枚目のアルバム『YANKEE』でした。

このアルバムは、誰かに曲を手渡す、という感覚で作られたもので、それまでVOCALOIDで培ってきたものを手放し、もっとわかりやすくポップな楽曲を作るというテイストで作った一枚と言えます。

しかし、彼はこのアルバムを作り上げてもバンド活動とライブは全く別のもの、という考えを持っていました。

その理由として、それまで彼が1人で作ってきた音楽は、実際の人間が歌うという肉体で再現することを度外視した曲が多く、ライブでの演奏が物理的に不可能な曲が多かったことが挙げられます。しかし彼は、そういう音楽が気持ちいいと思っているうちに自分の肉体が置いてきぼりになっていったのを感じるようになったと言います。

それで『YANKEE』はあくまでも肉体で再現出来る音楽というものに固執して作り上げたと言えるかもしれません。また、「VOCALOID以降の音楽は聴いてくれる人と密接な繋がりを作りたい」と彼は言っています。そして、その延長線上にライブ活動があったのです。

「ひとり」から「誰かと音楽をつくる」へ

当時、人とのコミュニケーションを苦手としていた彼ですが、このアルバムのヒットによって、2014年6月には一夜限りのワンマンライブ、さらに同年12月に東京、大阪、福岡でライブを開催しました。

この初ライブの体験は、彼に1人で閉じこもって音楽を作るという内向的な形から、誰かと一緒に音楽を作っていくという外向的な共同作業への転換を促したと考えられます。また誰かと一緒に作ることの楽しさを感じさせたかもしれません。

2016年、彼が作詞し、さらに歌手として参加した中田ヤスタカとのコラボ曲『NANIMONO(feat.米津玄師)』は映画『何者』の主題歌になり、また、翌2017年、アニメ映画『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』では、主題歌の『打上花火』をDAOKOに提供するなど、対外的に多くのミュージシャン達と関わりを持つようになっていきます。

また、この頃にはライブツアーを開催するのは、彼の中では当たり前の活動になって行ったと思われるのです。

菅田将暉以外は考えられない

これらの活動の中で彼に大きな影響を与えたのは、俳優の菅田将暉の存在でした。今でも非常に懇意にしているという彼との出会いは、2017年11月発売の4枚目アルバム『BOOTLEG』の収録曲『灰色と青』でした。

この楽曲で彼は初めて菅田将暉とコラボしたのですが、音楽の「一瞬の美しさ」を表現したいと思ったときに、2人で歌うということが頭に浮かび、相手は菅田将暉以外に考えられなかったと言っています。

実際に菅田の歌声を間近で聴き、一緒にハーモニーを作っていく中で、彼はデュエットの楽しさを味わったと思われます。自分の声の上に菅田の声が重なってくることによって作り出される音楽は、大きなエネルギーを持っていて、1人で歌う世界とは全く違うということを体感したのでしょう。

そうやって米津玄師の音楽の世界は、多くのミュージシャンとコラボすることで歌い手としても新しい魅力を生み出して行ったのです。

2018年末の紅白歌合戦で、その年の大ヒット曲『Lemon』を歌う姿が故郷徳島の大塚国際美術館から中継されたことによって、米津玄師の名前はあらゆる世代で認識されるようになりました。そして、その後は間違いなくJ-POP界を牽引する立場になったのです。

耳に心地よい、濃厚な色彩の歌声

彼の歌手としての魅力は、その歌声にあります。

彼の歌声は男性の中声区であるバリトンで、全体に幅があり、歌声の色彩が濃厚で深く、耳に心地よい響きをしています。

特に彼の場合は、中・低音域に奥行きを感じさせる深い音色をしているのが特徴です。この歌声がイントロなしの空間に響いてくるとき、一気にその場の空気を彼の音楽の世界に引き込むほどのインパクトを持ちます。また高音域になると少し明るめの甘い歌声になり、混じり気のない綺麗な真っ直ぐな響きになります。

2021年に発表された『Pale Blue』は初めてとも言える本格的ラブソングで、彼はラブソングは一番苦手な分野と話していますが、この曲では伸びやかで明るく甘い音色が恋愛に伴う切ない感情をよく表しています。『Lemon』同様、イントロなしの唐突な始まりは、最初から最後まで彼の歌声が耳の中に残り、全体を明るい色彩が覆っていきます。

「今一度、ラブソングをポップソングとして強度のある形で作りたかった」という彼の歌は、力強いメッセージとなって切々と私達に想いを届けてくるのです。

大衆に音楽を届けるクリエイター

米津玄師の音楽の変遷を考えたとき、大衆音楽というものを新しい形で常に先取りして提示してきたクリエイターと言えるかもしれません。

「ハチ」という名前で当時発売されたVOCALOIDを使って彼は音楽を作りました。その発表の場所は動画配信サイトであり、1人でも楽曲を作れるということを証明してきました。

しかし、そこから彼は1人で音楽を作るということの限界を感じます。音楽というものは1人で作るのではなく、共同作業の中に本来の楽しさがあるのだということを知ったのかもしれません。

多くの人の中に浸透していく音楽を作るには、自分だけの世界に閉じこもっているのではなく他者との関わりが必須であり、他者を巻き込んでいくことで音楽自体は強くなり、メッセージは伝わっていくということを身をもって感じたのではないでしょうか。

コミュニケーションを苦手としてきた彼だからこそ、その殻を破り、大衆に近づき、密接な関係の中で音楽を手渡していくことの重要性を感じたのでしょう。それが1人で音楽を作るという世界から、広く大衆に音楽を手渡して行くポップな楽曲への転換だったように感じます。

『シン・ウルトラマン』のテーマソング『М八七』

現在公開されている『シン・ウルトラマン』のテーマソング『M八七』は、元々は『M78』というタイトルで書かれたものでしたが、実は初代ウルトラマンの企画段階ではM 87星雲からやってきたことになっていて、何かのきっかけでM78星雲に変わったという逸話を教えられ、『M八七』がいいという製作陣のアドバイスを取り入れ、原題になったと彼は話しています。

彼の世代はもちろんのこと、ウルトラマンはシリーズを通してあらゆる世代のヒーローとして君臨しています。しかし、今回の映画はヒーローが悪をやっつけるという単純にカッコいい物語ではなく、ウルトラマンという外星人から見た人間、さらにはその人間と合体することによって生まれるウルトラマンの悩みや迷いなど、深く内面を掘り下げた描写をしている映画とも言えます。

『M八七』は、このウルトラマンの抱く葛藤と人間への愛を壮大なストーリーとして音楽に載せた楽曲と言えるのではないでしょうか。

ゆったりとした流れるようなメロディーラインは、雄大で、宇宙の広がり、空間の広がりを感じさせるものです。また展開部分に現れる力強いメロディーはテンポよく音楽を前へ前へと運んでいきます。

このタテ刻みのメロディーと冒頭部分からの横へ流れるメロディーの対比が彼の言う「守るべき人間たちが強大な力を持つウルトラマンを利用しようとするし、外星人とも戦っていかなくてはならないというウルトラマンの孤独な闘い」を表しているかのように感じさせるのです。

この楽曲での彼の歌声は一つ一つのフレーズを豊かな声量を使って丁寧にたっぷりと歌い上げていきます。また、タテ刻みのフレーズでは、言葉のタンギング(発音のアクセント)を尖ったものにすることによって、音楽をさらに強く前へ前へと押し出して行く歌い方が取られています。

この相反する歌い方によって、ウルトラマンの抱える葛藤や孤独感をさらに表現していると感じさせます。

この楽曲は、困難なことがあっても勇気を持って前進していく人たちへの応援歌であり、そこに新しい形のヒーローの姿を落とし込んだと感じさせるものなのです。

映画館でエンディングロールと共に聞こえてくる彼の歌声は、映画の世界観にピッタリです。彼の楽曲の特徴の一つであるイントロなしの唐突に始まる歌声と共に映画の余韻をさらに強くするものと言えるのではないでしょうか。

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心に響く音楽は、いつでも「つながり」の中で生まれる

ボカロイド音楽や、動画配信という音楽のスタイルは、現代においては誰もが簡単に出来る非常にポピュラーな形です。

しかし、その形態を大衆文化に落としこんだのは紛れもなく彼であり、その魅力を知り尽くしているからこそ、ポップスという既存の形に戻ることで音楽を提示し続けることの重要性を彼は伝えているように感じます。

どんなにデジタルが発達しようと、いつの時代も、人々の心に響く音楽は、人と人との繋がりの中で生まれていくのだということを彼は私たちに教えているのかもしれません。

彼の作り出す音楽は、時代と共に変遷しながらも、私達に不変のものを伝えています。

音楽が生まれる限り、どんな形態であれ、それは国境を越え、言語を越えて人々を繋げていく大事なコミュニケーションツールであるということを彼は音楽を通して伝えているのです。


久道りょう
J-POP音楽評論家。堺市出身。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン元理事、日本ポピュラー音楽学会会員。大阪音楽大学声楽学部卒、大阪文学学校専科修了。大学在学中より、ボーカルグループに所属し、クラシックからポップス、歌謡曲、シャンソン、映画音楽などあらゆる分野の楽曲を歌う。
結婚を機に演奏活動から指導活動へシフトし、歌の指導実績は延べ約1万人以上。ある歌手のファンになり、人生で初めて書いたレビューが、コンテストで一位を獲得したことがきっかけで文筆活動に入る。作家を目指して大阪文学学校に入学し、文章表現の基礎を徹底的に学ぶ。その後、本格的に書き始めたJ-POP音楽レビューは、自らのステージ経験から、歌手の歌声の分析と評論を得意としている。
[受賞歴]
2010年10月 韓国におけるレビューコンテスト第一位
同年11月 中国Baidu主催レビューコンテスト優秀作品受賞