秦基博『日本語の情感を見事に描き出す“鋼と硝子の歌声”の歌手』(前編)人生を変えるJ-POP[第38回]
たったひとりのアーティスト、たったひとつの曲に出会うことで、人生が変わってしまうことがあります。まさにこの筆者は、たったひとりのアーティストに出会ったことで音楽評論家になりました。音楽には、それだけの力があるのです。歌手の歌声に特化した分析・評論を得意とする音楽評論家、久道りょうが、J-POPのアーティストを毎回取り上げながら、その声、曲、人となり等の魅力についてとことん語る連載です。
今回は、『鱗』や『ひまわりの約束』などの楽曲で知られる秦基博を扱います。アコースティックギターの弾き語りのスタイルで有名な彼と音楽との出会いや抜群の声質を持っていると言われる歌手としての魅力に迫っていきたいと思います。
独学でギターを弾き始めて…
秦基博(はたもとひろ)は、1980年生まれの現在43歳。宮崎県で生まれ、横浜市で育ちました。彼は3人兄弟の末っ子です。
そんな彼と音楽との出会いは、12歳の頃というのですから、小学校6年生の頃でしょうか。6つ違いの一番上のお兄さんが3000円ぐらいで譲り受けてきたアコースティックギターを弾かせて貰ったのが始まりとのことです。
その頃、お兄さんが持っていた長渕剛の弾き語りの本を見ながらコードなどを覚えていった、というのですから、全くの独学で弾き始めたと言えるでしょう。
中学生になり、Mr.Childrenやエレファントカシマシ、ウルフルズなど、自分の好きなバンドの曲をコピーしては、彼は、次々、コード進行を覚えていきます。
そうやっているうちに、自然の流れとして、やがて自分でも曲を作るようになっていくのです。(※)
この頃のことを彼は、「とにかく楽しかった」と話しています。好きな人達の曲をコピペしては、自分の中に取り込んでいく、というように、自分のために、自分が楽しむために曲を作っていたのが中学生の頃と言えるでしょう。
軽音部に入っていた中高校生時代の頃は、自分でバンドを組むという気持ちにはならず、「音楽は1人でやるもの」という考えだった、と言います。あくまでも音楽は自分のためにある、というか、自分が楽しむために行うもの、という認識だったのでしょう。
ですから、最初から、自分1人のソロでの弾き語りというスタイルが、自分の音楽のスタイルとしてイメージされていたのかもしれません。そんな彼が初めて人前で演奏することになったのが、高校生最後の卒業ライブのときでした。
横浜のライブハウス「F.A.D YOKOHAMA」に定期的に出演
軽音楽部の卒業ライブで、30分くらい余った時間を埋めるために、当時、作っていた曲を中心にひとりで4〜5曲弾き語りをしたそうです。
それを会場で聴いていた人の中に横浜にあるライブハウス「F.A.D YOKOHAMA」でバイトをしている人がいて、「弾き語りの日があるから出てみないか」と誘われて出演するようになったのでした。(※)
そうやって彼は、「F.A.D YOKOHAMA」のステージに立つことで、誰かのために音楽をするようになったのです。
このライブハウスは、メジャーアーティストやインでディーズアーティストなどが数多く出演する、横浜で最も大きなライブハウスの1つです。彼は、ここに1999年から2005年までの6年間、定期的に出演していました。
このライブハウスで数々のアーティストを見てきた社長は、彼の初ライブについて、「非常に鮮明でバランスの取れた声質に驚いた」と話しています。
社長の話からも、彼はこの頃、既に圧倒的な歌声を持っていたことがわかります。(※)
この社長は、当時、主に邦楽を聴いていた彼に洋楽を聴くことを勧めたり、音楽だけでなく、本を読むことや絵画を鑑賞することなど、さまざまなことをアドバイスしたのです。
アウトプットばかりしていた彼に、さまざまな情報をインプットし、自分を見つめ直す時間をくれたのでした。
これが後に、彼が作り出す作品の引き出しになっていったようです。今では、圧倒的な歌唱力で有名な彼ですが、この頃の彼は、最初から自信満々という感じではなかったとか。
社長は「君の声に匹敵する人はいない」とずっと励まし続けたと言います。どんな人でも最初から自分に自信があったわけではない、ということの良い例ですね。
2006年『シンクロ』でメジャーデビューを果たす
アーティストは基本孤独です。彼のように1人でステージに立つ人は、特に孤独ですね。そういうとき、誰かがそばで励まし続けてくれるだけで、どれほどの勇気になるかわかりません。
そういう意味で彼の背中を押し続けてくれた社長の存在は大きかったと言えるでしょう。今でも家族のような付き合いをしているという社長のライブハウス「F.A.D YOKOHAMA」で、メジャーデビュー後の2007年に凱旋ライブを行ったとか。
メジャーデビューするまでの彼のライブは満席になったことは一度もなく380人程度が入る客席に観客が5人ほどしかいなかった、と言うのですから、どんな人も最初の一歩は小さく、そこからコツコツ積み上げていくということなのだと思います。
その後、彼は2006年に、シングル『シンクロ』でメジャーデビューを果たします。圧倒的な歌声は、“鋼と硝子で出来た声”と称され、その後、弾き語りのソロアーティストの道を歩み出していくことになるのです。
2007年には、1stアルバム『コントラスト』を発売。また、シングル『鱗』も発売します。さらには2009年に日本武道館で単独の弾き語りライブを成功させ、同年5月より、初の弾き語りツアー『GREEN MIND 2009』を全国21ヶ所で開催し、順調に活動を積み重ねていきました。
『ひまわりの約束』が大ヒット
2014年に発売された、映画『STAND BY ME ドラえもん』の主題歌『ひまわりの約束』が大ヒット。これにより、世代を超えて、広く彼の名前と歌唱力が認知されるようになっていきます。
この『ひまわりの約束』を収録した弾き語りベスト・アルバム『evergreen』は、同年の第56回日本レコード大賞企画賞を受賞しました。
『ひまわりの約束』は、ある韓国人アーティストが日本ファンとの約束の象徴として歌う曲で、このアーティストが歌うときは、会場は、ひまわりの造花を持ったファンで埋め尽くされ、一面ひまわり畑になるということでも有名です。
ひまわりの明るさと「約束」という切なさを伴うことばが何とも胸に響くタイトルです。
ドラえもんのアニメと共に世界に配信されたことで、一躍、歌手秦基博の名前と歌唱力の認知は広がったと言えるでしょう。
後編では、“鋼と硝子で出来た声”と称される彼の歌声の魅力がどこにあるのか、曲の歌唱分析などと共に、彼の魅力を紐解いていきたいと思います。