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秦基博『日本語の情感を見事に描き出す“鋼と硝子の歌声”の歌手』(後編)人生を変えるJ-POP[第38回]

たったひとりのアーティスト、たったひとつの曲に出会うことで、人生が変わってしまうことがあります。まさにこの筆者は、たったひとりのアーティストに出会ったことで音楽評論家になりました。音楽には、それだけの力があるのです。歌手の歌声に特化した分析・評論を得意とする音楽評論家、久道りょうが、J-POPのアーティストを毎回取り上げながら、その声、曲、人となり等の魅力についてとことん語る連載です。

今回は、『鱗』や『ひまわりの約束』などの楽曲で知られる秦基博を扱います。アコースティックギターの弾き語りのスタイルで有名な彼と音楽との出会いや抜群の声質を持っていると言われる歌手としての魅力に迫っていきたいと思います。

前編はこちらから)


鋼と硝子でできた声とは?

秦基博と言えば、“鋼と硝子で出来た声”を持った歌手というキャッチコピーで有名です。では、“鋼と硝子で出来た声”というのは、具体的にどのような歌声を言うのでしょうか。

先ず、「鋼」ということばからは、「力強さ」とか「ピンと張った」とか「硬い」というようなものを連想します。

では、反対に「硝子」ということばからは、何を連想するでしょうか。「硝子」には、「透き通った」とか「繊細」「壊れやすい」というようなイメージを連想します。

即ち、「鋼」と「硝子」ということばは、まるで相反することばなのです。
この相反する2つの特徴を持つ歌声とは一体どういう歌声のことを言うのでしょうか。

秦基博の歌声を音質鑑定してみると、基本的に以下のような特徴があるのがわかります。

  1. 全体に少しハスキー気味な音質

  2. ストレートの真っ直ぐな響き、ビブラートはない中・低音部

  3. 声の幅は細くもなく太くもない

  4. 透明的な音色を持つ高音部

  5. ピンと張った響き

  6. ストレートな歌声だが、尖った強さはない

こんな感じでしょうか。上記に書いたものは、彼が元来、持っている音質の特徴です。このように彼の声は、音域によって響きの異なるものを持っているのです。

力強さと透明感あふれる歌声を併せもつ

彼の歌声は、中・低音域では、ややソフト気味の真っ直ぐな響きのストレートボイスです。

ですが、力強くパワフルに歌うとき、ピンと張った強い真っ直ぐな音色に変わります。即ち、ソフトな響きは隠れてしまい、力強い音色が現れます。また、高音域は2つの音質を持ちます。

あくまでも表声(地声)のままで高音域を歌う時には、真っ直ぐな響きがさらにピンと張った細く繊細な透明的な響きになります。

また、裏声、いわゆるファルセットになると、さらに細く尖った響きの歌声に変わります。これが彼の声が「硝子の声」と呼ばれる所以です。

普通、歌手の場合、ファルセットになると、全体に声の幅が太くなり、ソフトでややぼやけた響きになる人が多いです。

ところが、秦基博の場合は、ソフトでぼやけた響きになるのではなく、細く尖った音質になります。このようなファルセットの響きを持つ人は珍しいと言えるでしょう。

また、高音部を裏声ではなく表声のまま歌い、その響きだけを細く出せる人もそう多くはいません。高音部を細く尖った表声で歌うのは、非常に難しいのです。

このように、力強くピンと張った鋼鉄のような力強さを持つ歌声と、相反する細く尖った透明感溢れる歌声。この2つを持ち合わせているのが、秦基博という歌手なのです。

持っているのは、非常にバランスがとれた音域

ライブハウスの社長が、「君の声に匹敵する人はいない」と言う理由がわかるような気がします。

また、彼の場合は、どの音域も非常にバランスが取れています。低音域から高音域までのバランスが非常に良いのです。

中・低音域の表声(地声)の部分ではボリューミーな歌声で、そのまま響きだけが細く尖った高音域を出すことも出来ますし、ファルセットで歌うことも出来ます。

多くの歌手の場合は、高音域のファルセットになった途端、ガクンとボリュームが落ちることが普通なのです。ソフトな音質になった上にボリュームもダウンする。

高音部のファルセットと中・低音部の地声に明らかな差があり、聴いている人にもボリュームダウンが伝わり、バランスの悪い歌になってしまいがちです。ですから、ファルセットでボリュームダウンするのが嫌で、表声の地声のまま声を張り上げて歌う歌手も数多く見られるのです。

その場合は、細く真っ直ぐな歌声が出せずに、パワフルに、がなって歌う、という歌手も多くいます。高音部を弱く細い歌声で歌うことができないのです。

ですが、秦基博の場合は、どの音域も彼が意識的にボリュームをコントロールして歌っています。その理由は、細く尖った響きのファルセットを出せるからですね。そういう意味で、彼の歌声は唯一のものと言えるかもしれません。

歌声の特徴を対比で体感する

声の音質というものは、基本的に大きく変えることは出来ません。どんなに練習してビブラートをつけても、元々、ビブラートの響きを持っている声のようには、ビブラートの響きを作り出すことはできないのです。

それと同じように、ストレートの響きを作り出すことも、ビブラートの歌手には難しいです。

また、ハスキーな音質の歌声になりたいと思って、タバコを吸ったり、お酒を飲んだり、大声で怒鳴ったりしても、一時的にはハスキーになっても、声を潰さない限り、ハスキーな声になれないのです。

よく、ハスキーな声がカッコイイからと言って、無理やり喉を潰す人がいますが、そうやって潰した声の響きは、決して心地よいハスキーな響きではありません。

声というものの本質は、どんなにしても変えることはできず、持って生まれたもの、天から与えられたもの、ということになります。

秦基博の歌声の特徴がよく表れている曲に『ひまわりの約束』があります。
数多く動画が上がっていますが、公式チャンネルの弾き語りのライブバージョンの動画が秀逸です。(

この動画では、彼の「鋼のような歌声」と「硝子の歌声」の対比がよくわかります。特に少しハスキー気味な中音域から高音域の力強い歌声と、細く透明的で尖った綺麗な響きのファルセットで歌われる高音部の違いがクッキリと浮かび上がってきます。

また、ギターの弾き語りによる伴奏のギター音と歌声のバランスが非常に良く取れていて、シンと静まり返った澄み切った空気の中に、歌声とギター音が響き渡っていて、この楽曲の魅力がよく伝わってくる動画です。

私が印象的だった一曲

この歌の他に私の記憶の中で彼の歌声が印象的だったものがあります。数年前にCMソングとして流れた『恋はやさし野辺の花よ』という有名な曲です。

この曲は、元々、大正時代に詩人であり、翻訳家でもある小林愛雄(こばやしあいゆう)という人によって訳された曲で、当時、オペラ歌手の田谷力三が歌ったことで有名な曲です。

ヘアケア用品のメーカーが自社の製品のコマーシャルに堀北真希を使い、この歌を秦基博に歌ってもらいました。CMソングとして映像のバックに流したのですが、CMの持つ世界観と、彼の歌声の透明感がピッタリで、一気にこの歌が若い世代にも知られることになったという出来事がありました。

大正ロマン溢れる雰囲気のC Mに彼の歌声のイメージがピッタリだったということなのでしょう。

オペラ曲として、オペラ歌手が声量たっぷりに朗々と歌い上げる『恋はやさし 野辺の花よ』とは違い、彼の歌は、非常に繊細な美しいことばで恋心を歌っている歌詞の切ない世界観を見事に表していて、記憶に残った1曲です。

ギターのシンプルな弾き語りがさらにその世界の透明感を伝えているようでした。

「鋼と硝子で出来た声」を持つ歌手、秦基博は、日本語の美しさや切なさを描き出すのに最も相応しい歌手と言えます。その歌声で、これからも日本語の情感溢れる世界や美しい風景を歌い伝えて欲しいと切に願います。


久道りょう
J-POP音楽評論家。堺市出身。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン元理事、日本ポピュラー音楽学会会員。大阪音楽大学声楽学部卒、大阪文学学校専科修了。大学在学中より、ボーカルグループに所属し、クラシックからポップス、歌謡曲、シャンソン、映画音楽などあらゆる分野の楽曲を歌う。
結婚を機に演奏活動から指導活動へシフトし、歌の指導実績は延べ約1万人以上。ある歌手のファンになり、人生で初めて書いたレビューが、コンテストで一位を獲得したことがきっかけで文筆活動に入る。作家を目指して大阪文学学校に入学し、文章表現の基礎を徹底的に学ぶ。その後、本格的に書き始めたJ-POP音楽レビューは、自らのステージ経験から、歌手の歌声の分析と評論を得意としている。また声を聴くだけで、その人の性格や性質、思考・行動パターンなどまで視えてしまうという特技の「声鑑定」は500人以上を鑑定して、好評を博している。
[受賞歴]
2010年10月 韓国におけるレビューコンテスト第一位
同年11月 中国Baidu主催レビューコンテスト優秀作品受賞