宮本浩次(エレファントカシマシ)『60代を前に宮本浩次として進化し続ける』(後編)人生を変えるJ-POP[第31回]
たったひとりのアーティスト、たったひとつの曲に出会うことで、人生が変わってしまうことがあります。まさにこの筆者は、たったひとりのアーティストに出会ったことで音楽評論家になりました。音楽には、それだけの力があるのです。歌手の歌声に特化した分析・評論を得意とする音楽評論家、久道りょうが、J-POPのアーティストを毎回取り上げながら、その声、曲、人となり等の魅力についてとことん語る連載です。
今回はエレファントカシマシのボーカル、宮本浩次です。エレファントカシマシと言えば、1980年代から活躍している日本の代表的なロックバンドであり、宮本はそのボーカリストですが、近年、彼はソロ歌手としての活動を広げています。ソロアーティストとしての宮本浩次に焦点を当て、彼の音楽や魅力に迫りたいと思います。
(前編はこちらから)
椎名林檎との音楽の“ぶつかり合い”
ソロ歌手として宮本浩次が最初に歌うことになった『獣ゆく細道』は非常にインパクトの強い曲です。
椎名林檎という稀代のプロデュース力を持つアーティストとコラボした世界はいきなり宮本浩次のボーカリストとしての実力を広くアピールするのに十分だったと言えるでしょう。
『獣ゆく細道』は単に二人が掛け合いで歌っているというものではなく、彼曰く、「歌セッション」が繰り広げられた世界だと。
よくあるフィーチャリングの世界ではなく、それよりももっと1歩も2歩も踏み込んだお互いの音楽のぶつかり合いとでもいう世界。
何の打ち合わせもなく、その瞬間に椎名林檎が出してくる歌に対して、宮本浩次が反応し、自分の歌を出してセッションしていく、まさに歌と歌との掛け合いによって生まれてくる1つの音の世界ともいうべきものがMVに収録されているのです。
この世界が実際に再現されたのが、音楽番組「ミュージックステーション」での2人の共演でした。
「動」と「静」のセッションが、奇跡の音を奏でる
このパフォーマンスに於いて、印象的なのは、「動」の宮本浩次に対して、あくまで椎名林檎は「静」を貫いているところです。
冒頭からの全身を使って激しいパフォーマンスで歌う宮本に対し、椎名林檎はそばに立って、淡々と歌う。林檎の歌に合わせて、隣で宮本がどんなに激しいパフォーマンスをしても、林檎はビクともしない。
ただその場所に佇んで歌い続けていくのです。
そういう2人の歌のセッションは見事にリズムや音程が合わさり、綺麗なハーモニーを奏でています。
この時の宮本の歌が濃厚な響きの歌声だったのに対し、椎名林檎は響きも声量もそれほどないストレートボイスです。宮本の濃厚な響きに透明感のある林檎の歌声が乗っかって、絶妙なハーモニーを作り出していました。
さらに2人のリズムの刻みが見事に一致しており、非常にバランスの良い音楽になっていたと言えるでしょう。それぞれの音楽をしっかりと持ち、オリジナリティを確立している2人だからこそ、成立した世界だと感じます。
多様な歌声で、女性ボーカリストのカバー曲に挑む
このようにセンセーショナルな楽曲で始まった彼のソロ活動ですが、2枚目のアルバムに当たるカバーアルバム『ROMANCE』は女性ボーカリストの曲ばかり12曲を集めて発売しました。
収録された楽曲12曲は、以下の通り。
あなた(小坂明子)
異邦人(久保田早紀)
二人でお酒を(梓みちよ)
化粧(中島みゆき)
ロマンス(岩崎宏美)
赤いスイートピー(松田聖子)
木綿のハンカチーフ-ROMANCE mix-(太田裕美)
喝采(ちあきなおみ)
ジョニィへの伝言(ペドロ&カプリシャス or 髙橋真梨子)
白いパラソル(松田聖子)
恋人がサンタクロース(松任谷由実)
First Love(宇多田ヒカル)
このアルバムの歌声を聴いていると、彼は実にいくつもの歌声を持っていることがわかります。
例えば、1曲目の『あなた』に収録された歌声は、非常に若々しい歌声です。これは、4曲目の『化粧』にも同じ声が使われていて、声の響きをわざと抑えることでビブラートや濃厚な響きを消し、直線的な歌声を作り上げています。
ストレートボイスで歌うことで直線的なロングトーンを強調する歌になっています。また、このことによって、ことばのトーンを統一した歌に仕上げているのです。
特に『化粧』は、中島みゆきがドラマティックに歌うことで有名ですが、彼の歌声は最後のサビの部分までずっと破綻することなく、淡々と歌い続けています。
『二人でお酒を』の歌声は少しハスキー気味な低音が中心です。この歌声もビブラートを消して直線的な歌声に作り上げています。男性の歌声というよりは、中性的な歌声と言えるかもしれません。これは『ジョニィへの伝言』にも『First Love』にも同様の歌声が使われています。
また、女性ボーカリストの楽曲の為、どの曲もキーが高く、ファルセットを多用しているのも新しい魅力を発見できる部分と言えるでしょう。
宮本浩次といえば、パワフルでエネルギッシュな歌声と独特のパフォーマンスの人という印象でしたが、カバーアルバムに使われている歌声は、エネルギッシュな普段の歌声の響きとはかけ離れ、新しい魅力に溢れている歌声でした。
ことばを丁寧に、ピュアな響きへの意識
カバー曲というものは、その歌手の感性や歌への解釈が強く反映されてきます。
忠実にオリジナルに沿った曲作りをして歌い、リスナーやファンが抱いている曲の印象を大切に守る手法を取る歌手もいれば、オリジナルの歌からは離れて、独自の解釈で歌う歌手もいます。
宮本浩次の場合は、1枚目のカバーアルバム『ROMANCE』でも、2枚目のカバーアルバム『秋の日に』でも、彼独自の解釈によるカバー曲という作りをしているのが特徴です。その為、各曲の印象はオリジナルの曲とは違ったものになり、宮本浩次独特の世界というものが強く広がっています。
そういう中でも『ROMANCE』で多用されていると感じた音符を長く伸ばして歌い、直線的な歌声を強調したり、メロディーラインをオリジナルのものとは微妙に違う形で歌うことなどを、2枚目の『秋の日に』で多用していないのは、彼の中で、ソロで歌うことが当たり前になり、気負いが消えたことを感じました。
このように彼は、女性ボーカリストのカバーを歌うことによって、ことばを丁寧に扱い、歌声を混じりっ気のないピュアな響きにすることを意識するようになったのではないかと感じます。
その傾向は、3枚目の『縦横無尽』でも現れており、丁寧にピュアな歌声を使って全体的に歌われていて、歌手として進化したのではないかと思います。
60代を前にますます新しい歌声を披露していく
エレファントカシマシの宮本と言えば、私の中では歌声よりも強烈なパフォーマンスと共にエネルギッシュな歌声という強い印象を持っていたのですが、今回、彼の歌を数多く聴いていくと、非常にピュアな響きの歌声の持ち主であるということをあらためて感じました。
57歳とは感じられないほど、若い歌声の持ち主であり、混じりっ気のない響きは、音域によって、さまざまな音色に変化します。
低音域の太めの幅広い濃厚な響き、中音域から高音域にかけての中性的で若く直線的な響き、そして、高音域に現れる再び濃厚な響き、さらにはファルセットなど、まさに多くの歌声を持つアーティストだと感じるのです。
「自分の感覚は、小学生の頃からずっとソロ歌手だった」と言う彼は、「自分のやりたいことを全力でやる」「今までやったことのないことを全部やる」という挑戦によって、歌手としての器をさらに大きく広げたと言えるでしょう。
バンドのボーカリストとしての顔と、ソロ活動をすることで身につけたアーティストとしての顔。この2つが混ざり合うことで、さらに彼の世界は広がっていくことでしょう。
2つの軸を持つことで、宮本浩次というアーティストはさらに進化し続ける。そんな気がします。
「あなたは大器晩成だから」と、最初のレコード会社から契約を解除されたときに母に言われたことばを忘れることなく、これから迎える60代、彼がどのような歌を歌っていくのか、どのように歌手として完成されていくのか、評論家として非常に興味深く見守りたいのです。