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Vol.10 タリバンを戦後史から

こんにちは西進塾国語・英語・歴史講師の島倉です。今日の東京は久しぶりの晴れです。

最近ニュースを賑わせている「ターリバーン」。そもそもターリバーンとは何なのか。今日は世界戦後史の観点から考えてみたいと思います。

戦後といえばアメリカを中心とする西側陣営とソ連を中心とする東側陣営の対立、いわゆる冷戦を基本の構図としています。戦後に起きた内戦や戦争の多くはこの東西対立を背景としています。有名なのは朝鮮戦争(1950-1953)やベトナム戦争(1965-1975)ですが、ターリバーンが政権を握ったアフガニスタンも東西対立の舞台の一つでした。

アフガニスタンは第一次世界大戦後の1919年にアフガン王国として独立しますが、1973年クーデターにより王政が倒れ、ソ連の援助を受けた社会主義政権が成立しました。しかし平等を目指し、革新的である社会主義的な政策は、大地主など既得権益を持つ集団とイスラームの伝統を守ろうとする聖職者らの反発を招き、アメリカなど資本主義陣営やサウジアラビアなどイスラーム国家の支援を受けて政権と対立します。結果アフガニスタンではソ連の支援する社会主義政権とアメリカやサウジアラビアの支援する大地主・聖職者中心の反政府側に分裂して内戦が勃発します。

内戦は難民を生みます。アフガニスタンでも米ソの支援を受けて争う両陣営の内戦の泥沼化は多くの難民(アフガニスタン難民)を生みました。彼らが落ち延びたのは隣国パキスタンです。パキスタンの難民キャンプで保護された若者が、外国の干渉で蹂躙された国を解放し、厳格なイスラームにも基づく国づくりを目指し結成したのが「ターリバーン」です。こうして「ターリバーン」は武力によるアフガニスタンでの権力奪取へと向かっていき、今に至ります。

「ターリバーン」は会見で「女性の権利をイスラーム法に則って尊重する」と述べましたが、かつて権力を握っていた頃は女子教育を禁じてきましたし、報道ではすでに会見と反する行為が行われているようです。国際社会はここから今まで以上にアフガニスタンの動向を注視する必要があります。

西進塾
国語・英語・歴史講師
島倉孝介

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