善玉と悪玉

体に良いことは、どのように習慣化すればよいか? - 養生大意抄11

1.養生の動機付け

養生の要は、体に良い事を習慣化することだ。ただ、それには強い動機付けが必要となる。

特に今現在健康な人は、健康になろうという動機が希薄になってしまうため、なかなか習慣化が難しいだろう。

一方で、体が弱いという自覚のある人や、大病をした後には、養生に対するモチベーションは、すごく高くなる。

そして、そういう人たちの方が、逆に体に気をつけ続けるので、一病息災というように、意外と健康的に歳をとれたりもする。

今回の『養生大意抄』は、この養生の習慣化について。どうやら江戸時代の人も、養生の習慣化には頭を悩ませていたようだ。

2.養生の習慣化について

【『養生大意抄』意訳】
○人には性と習の二つがあり、性は変えるのが難しいものである。

習にもまた二つある。その中でも貴賤風土の習は、改めることができないが、心の習は改めることができる。心において良い悪いを区別して、悪い事ならば改めるとよい。

例えば、こうしようと思うと、初めは苦しく感じても、これを無理にでも努力し、励む事を久しくすれば、この状態にに慣れて当たり前のこととなり、後には性のようになるものである。

古人も「習(ならい)、性と成る」といっている。

もし悪い事に慣れてしまった後、良い事につとめようとすると、苦しくて我慢し難いだろう。

だから養生の道では、良いことは速やかに我心を抑え、努力して堪えていかなくてはならない。後々大いに益がある。

儒教の教えに「己に克って礼に復す」とあるのは、自分の心の欲しいままの性を抑え、それに打ち克って礼法に帰ることをいうのである。

養生の道もそのようなものだ。私の欲念を抑え、それに克ち、父と母が恵んでくださった我が身を養い、天より授かった寿命を全うすると、堅く志を立てるべきである。

__
多紀元悳『養生大意抄』(国立公文書館内閣文庫所蔵)より、筆者による意訳。原文は最下部。

3.辛くて苦しい習慣の定着への道

良いことも悪いことも、続けていくとそれが習慣化し、その人が本来持っている性質のようになる。

「習、性と成る」という諺は、養生にも通じ、体にとって悪い習慣がその人の性質として定着すると、直そうと思っても難しくなる。

そしてその更生の道は「苦しくてこらえ難い」ので、体に悪い物事からは、早めに手を引きましょうという。

同様に、体に良いことは、それがたとえ辛いことであっても、辛さを我慢し続けて習慣化し、「性」にするとよいとのことだ。腹八分目だとか、適度な運動だとか、早寝早起きだとかは、体によいことでも、苦手な人にとっては確かに辛い。

4.悪事から足を洗うことに集中する

さて、良い事を習慣化するのと、悪事から足を洗うことと、どちらを優先させるとよいか。

当たり前のことだが、まだ試みたことのない良い事を習慣化する以外は、基本的に悪事をやめることを優先する方がよい。

言いかえると、無垢な子どもは別として、大人はすでに、何らかの悪事に手を染めているので、悪事をやめることに集中するだけでよい。

では、どうやったら悪事から身を引けるのだろうか。

5.養生とは善と悪の戦いだ

江戸時代の人だって、悪から善への移行するのは「苦しくてこらえ難し」といっているので、いきなりすぱっと悪い習慣から抜け出せる人は今も昔もいない。

なので、悪事の質と量を変えながら、徐々に善へ向かっていくというのはどうだろうか。

例えば、毎日必ずアイスを数本食べるという悪習慣があったとする。

この質と量を変えるとすると、濃厚なミルク系のアイスだったら、あっさりめのものに質を変えたり、毎日2本食べるなら、1本に量を減らしたりする。

アイスではなく、ヨーグルトに蜂蜜を入れて凍らせたものに質を変えて、徐々に量を減らすのもいいだろう。

妥協できる範囲内で、自分を甘やかしながら、ゆっくりと悪事からフェードアウトする。

それでも譲れない嗜好というのは誰にでもあると思うので、完全にやめることはそもそも目指さず、量だけ減らして、時々思い切り悪い事をするというのでもよい。

善玉と悪玉02

養生は善と悪の戦い

私は甘いものが好きで、ほぼ毎日、休憩時間に何かしら甘いものを食べる。

ただ、今年の秋からはほとんど食べていない。

なぜかというと、おやつの代わりに、ここ2ヶ月くらいほぼ毎日りんごを食べているからだ。

リンゴひとつ食べると小腹が埋まり、それで満足できてしまう。

これは意図してやっていることではなくて、実は今年は何故だかリンゴに恵まれていて、色々な方からリンゴを大量にいただく。

これで最後のリンゴだと思うと、なぜかその日にまたリンゴをもらうという感じで、一向に減らない。昨日もリンゴが7個増えた。

こうして2ヶ月か経過し、休憩時間のおやつは、意図せずして大幅に減った。多分75%くらい減ったと思う。果物は食べないと傷んでいくので、もったいないから食べなくては、という義務感が生じるのもよいところだ。

リンゴが底をつきたらまたお菓子に走ると思うが、果物で誤魔化すというこの習慣も悪くない。というかむしろ気に入っている。これからは果物とお菓子を織り交ぜて、この状態を維持しようと思う。


*****

6.【原文】

○人に性と習(ならひ)の二つあり。性は易(かへ)がたし。習に亦二つあり。貴賤風土の習は改(あらたむ)べからず。心の習は心にてよしあしをわかち、あしき事ならばあらたむべし。假令(たとへば)かくせんと思へば初めの程はくるしく思わるるものなれども、是を強(しい)てつとめつとむる事久しければ、此になれて常に成り後には性質の様になるものなり。古人も習(ならひ)成性(せいとなる)といへり。若(もし)あしき事になれて後によき事をつとめんとすれば、くるしくてこらへ難し。故に養生の道によきことは早く我心を抑へこらへてつとむべし。後に大(おおい)なる益あり。儒に克己(おのれにかつて)復礼(れいにふくす)とあるは、吾(わが)私(わたくし)の慾(ほしい)ままなる性を抑(おさえ)かちて礼法に復(かえ)るをいう。養生の道も左のごとし。私の慾念を抑え克(かち)て父母の恵み給(たま)へる吾身(わがみ)を養い天より授(さずかり)し寿命を悉(つく)すべしと堅く志を立べきなり。

多紀元悳『養生大意抄』(国立公文書館内閣文庫所蔵)より、筆者による翻刻。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?