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日本の美の風習のもとで生きてきた自分が留学先で得た感情は。Part 3

さぁ、留学先で得た感情の最後のPartに入ろうと思います。留学期間で最も深く学んだのが失敗から学んだ言い訳です。詳しくは、失敗というより間違えることです。最後は長々と語るので、少々お時間ください。

留学に行く前に海外は一度だけしか行ったことがなかった。クリスマスに家族で行ったグアムだけだ。そんな俺が3ヶ月半もの留学に挑戦した。行く1週間前くらいから、不安ばかりが大きくなり、伊丹から羽田に行き、羽田から次の目的地はトロントだった。エアカナダ、羽田発トロント着。この飛行機に乗れば、3ヶ月半の生活がスタートする。約14時間の長いフライトを終え、トロント空港に到着し、いきなり試練が待ち受けた。入国審査で何かスタンプを押されたからそのまま出口へ向かい、カナダにゅうこーーくと思ったその時、めちゃくちゃ怖いおっちゃんにあっちへ行けみたいな指示をされた。そして、銀行の窓口カウンターみたいな場所に連れて行かれ、そこには色んな国籍の人たちがいた。何がなんだか分からなかった俺は、このまま日本に強制送還かと思ってた。まじ焦っていた。受付みたいな姉さんに、番号札が渡され、30分後、その番号が呼ばれた。すると、ゴリゴリマッチョの体型の人が俺を呼んでた。そこに恐る恐る行った。すると、いくつか質問された。その質問は一般的な入国審査で聞かれた内容と同じだった。なぜ何回も聞く。パソコンで何か入力している。このまま、終わりか?別室行きか?すると、その人が何かスタンプを押した。そして、Go awayと。恐る恐る、また怖いおっちゃんに入国書類を見せた。Bye〜と言われた。入国できた。なんかのしかかってた不安が一気になくなった気がした。しかし、その不安は一瞬で消された。そんなトロント空港からまた、飛行機を乗り継いで行かないといけない。空いてる時間に、カナダで有名なTim Hortonsというカフェ屋さんに食べ物を買いに行った。店員さんの英語が早すぎて聞き取れない。とりあえずてきとうに、メニューに書いてる番号を言った。その後てきとうにYesを連呼した。なんとか商品が出てきた。全然美味しくなかった。再び、不安に溢れた留学生活の始まりだった。

そして、2週間くらいのオリエンテーションを受け、いよいよ授業が始まった。周りの英語力に驚かされた。なんだこいつら。めちゃくちゃやばい。自己紹介ですら、何を話せばいいか分からなくなってきた。圧倒された。寮では2人部屋で、一緒に行った日本人学生と一緒だった。さらに、その子がめちゃくちゃ英語できる子で発音がもうネイティブレベル。こういう人たちが留学に来るもんだよなと思った。自分が情けなかった。留学に行けば、英語を話せるようになるとか嘘やんとも思った。まず、日本人でこれだけ差があるのに、ネイティブとの差はどんなんやねんとか思うと、もうやってられなかった。周りの英語力に圧倒されながら、どんどん授業が進んでいく。授業は日本人学生のみで構成されたクラスだったから、ネイティブの友達を作るには、外部でコミュニケーションを取って作るしかなかった。そう、Part 1に書いたように俺にはサッカーという特技があった。あいにく、寮対抗でサッカー大会があり、それに参加し、周りが何言ってるかほとんど分からなかったが、とりあえず全員は勝ちたいという思いだけわかった。とは言っても、寮対抗だから、半分遊びかと思って、守備に専念したり、キーパーやったりと誰もがやらなそうなことをやっていた。でも、試合にずっと勝てなくて、全員がなぜか悔しがってた。ひょっとして、楽しむとかより結果が大事なのか?と思いが伝わってきた気がした。そうなったら、本気で勝ちにいこうじゃないか。次の日、2得点を取り、チームの勝利に貢献した。点を取った時、全員が喜んでくれた。ベンチから自分の名前を呼んでくれた。試合が終わった瞬間、みんな笑顔だった。この時初めて、

言語の壁を越えた、

世界の繋がりを感じた。

英語は喋れないが、サッカーを通じて友達ができた。うまく会話はできないが、かろうじてサッカーの話はできた。毎日会うたびにちょっとした会話をした。それしか俺にはできなかった。

そして、これを繰り返し続けていくうちに何か感情が芽生えた。それは、ある授業の時だった。1人20分間のプレゼンをして、その後にディスカッションをするという授業だった。俺は毎回ディスカッションで発言するが、単語が間違えたり、文法がめちゃくちゃだった。鬼のスローさで言葉を伝えた。みんなも笑っていた。俺も恥ずかしかった。でも、先生をチラッと見た。そして、こう言った。

No problem. Nice challenge.

何かが吹っ切れた。そうだ、俺は英語が誰よりもできない。それが俺の強みなんだ。それは弱みではない、それが強みなんだ。誰よりもバカだ。それをうまく利用すればいいんだ。なぜか、どんどん発言できるようになった。当たり前のように、単語を間違えた。文法はぐっちゃぐちゃ。でも、それが俺の強みなんだ。間違えまくった。相手に伝わらないことなんて無限にあった。ましてや、日本人同士が話す英語すら理解できなかった、理解してもらえなかった。でも、気にしなかった。俺が1番バカだから。しかし、そのままでいいなんて一度も思ったことはなかった。バカなら、バカなりに努力しかない。留学1日目からずっと俺は毎日日記を書いていた。この留学中日記を書くことだけは決めていた。最初は日本語でずっと書いてた。でも、それを頑張って英語にしようと思った。それだけは絶対にしようと。どんだけ眠たい日も出来る限り毎日投稿した。毎日日記を書くには、毎日書くためのネタを探さないといけなかった。だから、毎日必死に学んだ。1番バカだからをモチベーションに、見知らぬ人にも話しかけた。相変わらず、伝わらずに無視された。少しは落ち込んだ。でもいい、この人とは二度と出会わないから大丈夫。という自分を立ち直すための理由も付け加えた。でも、そればかりやってたって英語が話せるわけがない。どうすればいいんだ。考えた。
素晴らしいことに日本人1人ずつ現地の人がサポート役としてパートナーとなってくれていた。毎週会うことが条件だった。ただ単に会うだけではもったいない。絶対に話さないといけない状況をこっちから作ってしまえと思い、買い物に連れてってもらった。大学からショッピングモールは車で30分だ。少なくとも、往復で1時間英語を話さないといけない。頭の中にある、英語をフル活用し、会話をした。なんか色々弾んできた。さらに、ショッピング。お店のものや商品、店員さんが俺らの会話のヒントを与えてくれる。めちゃくちゃ学ぶ材料を得れた。でも、1週間に1度だけでは足りなかった。

1番バカがみんなと同じではいけない。

答えはすぐ見つかった。どんだけ俺が英語を間違えても、どれだけちんぷんかんぷんな文法でも、真摯に耳を傾けてくれる人がいたじゃないか。それは、

先生たちだ。

言葉は悪いが、うまく利用した。毎週金曜は午前で授業が終わるから、午後からたわいもない話をしに行った。最初は1時間くらい話してた。それでも、会話が途切れることはなかった。留学生活が終わろうとする頃になると、3時間以上話してた。しかも内容は人生について。英語で人生について、語れるようになるなんて、3ヶ月前には考えてなかった。そして、ちゃんと相手の英語も聞き取れた。俺もなぜかほんぽん英語が出てきた。普通に会話できてるやん。なんかめちゃくちゃ嬉しくなった。でも、お世話になった先生は、あと2、3年で教師を辞めるらしい。なんか悲しくなった。もうおばあちゃんくらいの歳の先生だった。2、3年後か。そう、俺が大学卒業する頃くらいと一緒に教師生活を先生も卒業する。俺は決めた。卒業旅行で必ず会いにいくと。
俺の留学にとうとう終わりが近づいていた。卒業式が行われた。最初は友達もいなかったが、留学で出来た友達が卒業式には足を運んでくれた。めちゃくちゃ嬉しかった。もう出会わないんだなと思うと悲しくなった。俺の留学生活から考えると、ネイティブの友達が出来たことは奇跡でしかない。日本人の俺らと仲良くなるために日本語を覚えてた。日本語で話しかけてくれた。礼儀として、その人がネパール人だったから、ネパール語を少し覚えた。言語ってこうやって学んでいくんだなと思った。そして、ついに旅立ちの日が来た。先生たち、サポートくれた人たちとお別れした。涙が出そうだった。みんな笑っていた。輝いていた。いや、今いる自分が1番輝いてる気がした。トロント空港に到着した。俺には最後にやらないといけないことがあった。それはもう一度Tim Hortonsに行き、3ヶ月前との自分を比較することだ。ついに注文の時が来た。なんと、相手の英語が聞き取れた。食べたいドーナツとパンを注文できた。嬉しくて3個も買ってしまった。めちゃくちゃ嬉しかった。ここでも泣きそうになった。莫大な不安から始まった留学生活が人生で最も濃く、深く考えさせられた3ヶ月となった。そしてついに、日本に着いた。税関は信じられないほどスムーズだった。夢から覚めた気分だった。

めちゃくちゃ長くなりましたが、俺の留学生活は失敗間違いから始まったのです。最初は、無力感がすごいし、周りとの差に圧倒されるし、センテンスも完璧で言いたいし、順調に生活したかったです。今でも、英語は全然できません。でも、自分と向き合い、自分に足りないことから逃げてはいけません。出来ないを、言い訳にするのです。いいんです。言い訳にしていいんです。言い訳にして、その言い訳をどんどん活用していってください。自分が1番バカだから、間違えていいんだと。いつか、その言い訳が人生を変えるきっかけに変わります。しかし、言い訳言い訳のままにしてはいけません。言い訳を自分のモチベーションへと変えるのです。絶対成長できます。いつか、この3ヶ月間が俺の人生の分岐点と言える日が来るまで頑張ります。

最後までご覧頂きありがとうございました。

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