スペイン巡礼2018回想記(11)エステージャ休憩日
2018年5月16日。
本日、歩かずにエステージャで一日観光。
まずは朝食。さすがは我らがアゴラ・ホステル様。
アルベルゲ(ホステル)にしてはなかなかの内容だ。「パンとコーヒーとジャムとバター」が関の山のスペイン巡礼中の朝食において、シリアル、ハム、サラミ、チーズ、オレンジジュース、リンゴ、パン・コン・トマテ(スペイン料理でパンにトマトを塗りつけたもの)用トマトペーストにオリーブオイルまである。
油断していると、大いに野菜不足、食物繊維不足になりかねない巡礼中の食生活だが、アゴラ・ホステル様はそうとうのレベルに達しているといえよう(愛)。
例のおじさんたちは、今日も次の街へ旅立っていった。おじさんたちも「ムリしないでときどき休む派」ではあるので、休憩日もときどき設定しているが、エステージャでは連泊せず、2日後の大きな街ログローニョで休憩をとると言っていた。
なお、巡礼者には、「早起きして歩き、アルベルゲのベッド獲得競走を行う派」「宿は予約して朝ものんびり、ゆっくり歩く派」「超強行軍派(一日50km近く歩いたりする)」「ムリしないでときどき休む派」「意地でも自分のザックは自分で持つ派」「預けて楽する派」などなど、さまざまな主義、スタイルがある。もっと根本的に、「歩き巡礼派」「自転車巡礼派」「馬巡礼派」なども。
各々の流儀があり、どんなやり方で巡礼を達成してもよいところに、私は魅力を感じる。「どの道を通ってもよい。山の頂上にたどりつければ」という格言めいた人生論にも通じる(言ったのは誰なんだろう、あれ?)。
ともあれ、おじさんたちを見送って、私はエステージャ観光にくりだした。
最初に、昨日チラ見しただけで通過してきた「新ユダヤ人街」旧跡へ。
看板によると、エルガセナと呼ばれた「旧ユダヤ人街」が12世紀に放棄されたあと、13世紀に「新ユダヤ人街」の場所に定住した。当時、ユダヤ人街を守るように巡らされた壁が、今も残っているこの壁だ(英語読みちがえてたらごめんなさい)。
エステージャのユダヤ人は、13世紀には500人ほどいて最大の繁栄期を迎えたが、14世紀には衰退。1492年のユダヤ人追放令布告後、1498年にはエステージャのあるナバラでも追放が決まり、エステージャのユダヤ人社会は消滅した。
ちなみに、私はトレドに行ったとき、セファルディム博物館と呼ばれるスペイン・ユダヤ人の歴史博物館で、スペイン各都市のユダヤ人社会の歴史が簡単にまとめられたペーパーバックを買った。それを読むと、かなり多くの都市でエステージャとそんなにちがわない記述が見られる(泣)。
続いては、エステージャの中心街に戻り、ビジュアル的本命である回廊や、通りすがりの博物館などを巡る。
こちらが最大の目的だった回廊。
博物館も、リノベーションはしてあるが、かなりよい感じ。
街並みもとてもかわいい(この感想ばかりである)。
昼食は、エステージャに流れる緑の水面を見ながら、牛肉煮込みがメインの「巡礼者メニュー」。
巡礼者メニューとは、10ユーロ程度というヨーロッパの外食にしては破格の値段で、パン、ワインないし水、メインディッシュ、前菜(サラダもあれば、店によってはボロネーゼやリゾットなども前菜だったり)、デザートあたりをひととおり食べることができる。巡礼者の強い味方だ。量はかなり多めで、食が比較的細い女性である私に、完食は困難。
余談だが、巡礼中、私はほぼ全日、この巡礼者メニューで栄養をとっていた。終盤になって巡礼スタイルが確定してからは、朝食はメニューが貧弱なことが多いので軽めに、少し遅めの昼食で巡礼者メニュー、夜は果物や軽いスナックなど、という食生活を送っていた。
スペイン巡礼では、アルベルゲに朝食がなくバルにも行きあわず朝食を食いっぱぐれたりして、空腹で歩きつづける方も多いと聞く。そのため、3、4キロ減量して帰国する方も多いとか。
しかし私は、朝食を意地でもとっていたのと、この巡礼者メニューを1日1回は必ず食べていたため、体重は一切変化しなかった。筋肉は増えていたとはいえ、ちょっと淋しかった。
それはさておき、エステージャで見たかったところはまわり終え、午後はエステージャの「有名スポット」に行ってみることにした。
どうせ明日出発してから通るのだが、そこには回廊もあるようなので、身軽ないでたちでゆっくり堪能したかったのである。
スペイン巡礼路最大の「有名スポット」、それは「イラーチェのワインの泉」だ。
サンティアゴ・デ・コンポステラ巡礼路といえばこの「ワインの出る蛇口」、というぐらい有名である。エステージャの中心部から、おそらく30分ぐらい歩いただろうか(うろ覚えですが、意外と遠かった気がします)。
記憶によると、ほとんど夕方といってもよい時間だった。
もちろんワインの出る蛇口といっても、毎日ワインをタンクに入れてくれている方がいるわけで、その量には限りがある。正確には、ワイン醸造会社「ボデガス・ イラーチェ社」のご厚意だ。
そんなわけで、私と、同時にたどりついた西欧系の女性巡礼者が蛇口をひねってみると、一滴たりともワインは出なかった。英語圏らしいその方は、Oh my God! と叫ぶ。
「神よ! どうして私たちにワインを下さらなかったのですか?」
みたいなことを言っていた気がする。
まあ、私は明日また来よう。と思いながら、嘆き悲しむ巡礼者のそばを離れ、すぐそこにあるイラーチェ修道院の回廊を見にいった。
そしてまた、エステージャの街に帰っていく。
カフェで夕食代わりの軽食をとり、アゴラ・ホステルに戻ると、またまた見覚えのある日本人がいた。
これまたオリソンで会った日本人女性と、もう一人も同じ日にオリソンにいた別の日本人女性だった(私はたまたま話す機会がなかった)。
二人と少し立ち話をしたとき、スビリでアルベルゲ難民になった話をすると、なんと二人もまったく同じ経験をしたという。
しかも、同じようにアルベルゲ「スセイア」のオスピタレイロ(スタッフさん)に助けられ、タクシーを呼んでもらったのまで一緒だった。私よりはスビリに近い街に泊まれたが、やはり宿のために巡礼路をスキップさせられていた。
そのオスピタレイロは、一連の人助けにより「カミーノの天使」と呼ばれているという。どうやら、助けられた巡礼者は無数にいるらしい。
女性が聞いたところによると、スビリではその日、公営アルベルゲが閉鎖されていたらしい。
何か町長がどうしたとか、いろいろ黒い噂(笑)があるようだが、記憶があやふやなのと、信憑性が不明なので書かないでおく。
しかし5月のスペイン巡礼ハイシーズン、しかも金曜日の夜だったと思うのだが、そういうときにはできれば勘弁してほしかったな……どんな事情にせよ思いやりがないよね(真顔)。
(スペイン巡礼2018回想記(12)に続きます)
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