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2022年5月23日(月)の日記

久しぶりの日記である。

毎日note更新を謳っていた3月が終わったあと、正直なところ私は腑抜けていた。

一回腑抜けてしまうと、元に戻すのはなかなかむずかしい。4月は走り去り、5月に入ってからようやく、徐々に元気が戻っている感はあったが、今もまだ取り戻せていない。

また、完全に3月と同じに戻す気もない。Wordpressでつくった創作小説サイトを公開にこぎつけるという目標と、note毎日更新という2つの目標に突き進んだ3月。サイトづくりだけが私の人生の目的ではない。というか、小説自体を書かなければ、サイトだけあっても仕方ないのである。

(↑無事、4月1日に公開にこぎつけたWordpress製の小説個人サイト)

ということで、じわじわと回復しつつある現在、5月。

2、3月に停止していた小説自体を書く創作活動も、軌道にのせるべくコツコツと作業中。私は、というか習慣というものはそうにちがいないが、軌道にのるまでがひと苦労で、軌道にのって慣性がつきはじめると楽に続けられるようになる。今はまだひと苦労の真っ最中。

そんなおり、一昨日、献血に行った。新型コロナでたびたび献血不足が話題になって以降、私は2回ばかり無職になり、まったく社会で働けていない状態がちょくちょくあるため、せめてもの社会貢献と思って行っている。

今回は腕のよい看護師さん? お医者さん? にあたり、スムーズに献血できた。それはよいのだが、問題はそのあと。

献血会場でさんざん警告されているような、献血後の体調不良というものは幸いなかった。しかし献血直後から、なんだかひどくお腹が空く(自明の理である)。歩くと少し息があがりやすい。果ては、ありがちな失敗に、妙に落ちこむ。

ありがちな失敗というのが何かというと、私は最近ハンドメイドデビューし、ワンピースをつくっていて、現在2着目。その作業中に、仕付けをせず襟ぐりを縫ったら、布に皺が入った。1着目は、裁縫の先達である母の指導のもと、変な皺が意図しない場所に入るという失敗はなく、初めての失敗だった。

「もうダメだ……私は何もできない人間なんだ」

ヨレた襟ぐりを見ながら、マジでそう思った。いま思いだすとアホみたいなのだが、本当である。

その失敗を直視してリカバーしようという気になれず、私は1日、作業を放棄した。それが昨日。

その翌日が今日。今朝、軽く散歩に出ながら、やはり少し息があがりやすいなと思った。そのうえで昼食に何をとろうか熟考し、

「肉が食いたい」

と、思いついた。血が足りない。息があがりやすいのはそのせいだ。血の滴る赤肉……牛肉。いま私に必要なのはそれ。

近所の精肉店で買った900円台の牛ランプ肉

どうせなら他の栄養も満たしたい。ということで、かつおだしをとり、野菜を刻みまくり、ナッツやチーズもサラダに加え、具たくさんスープにとろろ昆布までのせた。ついでながら、米は調布にぎわいの里の「深の水」(おいしい深井戸水)で炊いた。サイドメニューの準備が終わったところで、牛肉に塩胡椒して軽く焼き色をつけ、豪華昼食をつくりあげた。

必要以上に手間をかけた本日の豪華昼食

おいしかった。マジで。全身全霊でつくった甲斐があった。

午後は自転車30分のところに買い物。帰宅後、掃除したり歌の練習をしたり。本来は昨日の日曜日が掃除と決めている日なのだが、昨日は掃除する気になれなかったのだ。

もう、歩きも自転車もまったく息が上がらなかったし、掃除する気力もみなぎっていた。というか、いつもあまりやる気のないことを含め、すべてに対して気力がある。ここまでムンムンした自分、そうそうお目にかかれない。

その元気は夜になった今もまだ続いていて、この日記を書いている。ただひとつのことを、伝えるために。

(牛)肉……いいですね!!!

これじゃあ、世間が肉肉肉肉肉肉肉肉いうわけですわ。肉バルだの肉フェスだの、正直うるせえよバカのひとつ覚えか? って思ってました。人体には肉が必要なのだな……献血したから初めてわかりました。もしかして、ときどきくる気鬱の原因のひとつに、肉不足があったりするのかしらん……?

調べたら、牛肉はセロトニン効果もあるそうで。血の助けになるばかりではなく、セロトニンまで含まれているとは。最強じゃん。

なお、ワンピースの失敗だが、先ほど当該箇所をいったんほどいた。普通に明日やりなおせばいいじゃんと思っている。牛肉のあるなし、ここまで考え方に影響するんだ……?

進行中のハンドメイドワンピース

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