スペイン巡礼2018回想記(16)サント・ドミンゴ〜ベロラド
2018年5月21日。
私が「フランス人の道」を歩きはじめて2週間。おそらく、このころのことだろう。
日常の毒素を出し切るのに、だいたい2週間が必要で、1週間では足りなかったと、私は後日、元同僚と会ったときに話している。
しかし、巡礼中は毎日美しい風景を見ながらひたすら歩き、食事する場所を探し、足腰を休められる場所を探し、泊まる予定の宿を探し、洗濯室で壊れていない洗濯機を探し、清潔な状態のシャワーを探し等々するのにいっぱいいっぱいで、日々の記録は最小限しかしていなかった。
そのため、あれが巡礼中のいつのことだったのか、今でははっきりしない。
(サント・ドミンゴでの朝食ビュッフェ。パラドールなのに野菜がほとんどなくて残念だったが、その代わり果物が豊富だった)
その朝、部屋の窓から日がさしこみ、私は目が覚めた。
気持ちのいい目覚めだった。何か理由があってのことではない、ただ幸福に目覚めたというだけだ。私はなんて幸せなんだろう、とそのとき思ったのを覚えている。
隣に大切な人がいるとか何とかいうわけではない。私はひとりでスペイン巡礼をしている。
昨日は確かに一日楽しかったけれど、何か格別いいことがあったわけでもない。スペイン巡礼の日常として、歩き、食べ、寝ただけの話だ。
それだけなのに、その朝、私はとてつもない多幸感に襲われたのである。
就職してから10年以上、私にはそんな感覚はついぞなかった。
30歳に近づいてからは、症状は大したことないにせよ睡眠にも難があり、なぜ自分は生きているのか、と思いながら、まだ暗い時間に目が覚めることもあった。30歳を過ぎたら、もう幸せな気持ちで目覚めることなんかないのか、と思ったこともある。
歌の先生に漢方クリニックを教えてもらい、体調はかなり改善したものの、また職場を眺めていると嫌な気分になってしまう。
自己啓発本の類いには、他人を変えるより自分(の見方)を変えろと書いてあることが多い。それはもっともである。他者に過剰な期待をして、いいことはない。しかし、それはそれとして、場所を変えたほうがいいときもある。
そうして仕事を辞め、ただずっと仕事を辞めたらやろうと思っていたからやろう、と思ってやってきたスペイン巡礼。
歩きだして2週間で、圧倒的な幸福がやってきた。
自分にはもう二度とないのかもしれないと思っていた、幸福な目覚めだった。
この幸福が何なのか考えてみると、まずはずっと悩みの種だった肩こりと首こりが消えていることに気づいた。
気疲れしやすい人間は首のうしろがこわばっているとよくいうが、私はまさにこのタイプだ。要するに自律神経が調子を崩しやすい。もちろん、よく消化不良を起こしたりする。
スペイン巡礼に来て、気にいらない上司等に気をつかう必要がない状態で、歩く、食べる、寝る、のシンプルな生活を送った結果、自律神経が復調したらしい。
さらに、在職中は、働きながら小説を書くために、朝5時台に起きて早めに出社し、空き部屋で少し小説を書いて9時に仕事場に下りる、という生活を送っていた。
その生活は1年続き、無事、長編小説を書きあげることはできたのだが、完結したとき私が思ったことは「この生活をまた1年繰り返すのはムリだ」ということだった。
それは、すでに職場のストレスが臨界点を越えようとしていたことと、何より睡眠負債を抱えていたことが考えられる。小説の完成後、もうしばらく職場に勤めたが、新しい小説に手をつけることは一切できなかった。
スペイン巡礼は、基本的に朝早く夜も早い。
朝5時、6時に出発し、昼すぎに目的地に着くことをめざす。20時〜21時には就寝している巡礼者が多い。
私も、朝は6時〜7時ぐらいに起床し、8時ぐらいに出発。夕方に到着すると、夜は軽食だけとり、疲れていれば19時すぎには就寝していた。そうなると、10時間〜12時間眠っている日もある。
連日そんな生活を送っていたので、睡眠負債を返済できたのだろう。
あとは、歩くことによって分泌されるセロトニンの効果もあるだろうか。
私は、スペイン巡礼中ある日突然やってきた、「多幸感にあふれた目覚め」という経験をして、睡眠と歩行がいかに人体にとって大事か痛感した。
さて、その経験がこのサント・ドミンゴの朝だったかどうかは定かではないのだが、何にしても私はこのころすっかり元気になったらしい。
この日更新したインスタを見ると、巡礼も序盤が終わり、歩くのに飽きてきたと書いてある。体が回復してきて、頭に余裕が出てきたと思われる。その後、私は歩きながら、小説のことや、巡礼から帰ったらブログにこのことを書こうとか、そういったことをよく考えるようになった。
この日、あまりにも快適なパラドールを泣く泣く出発し、22km歩いて目的地ベロラドに到着した。
予約しておいたアルベルゲ・デ・ペレグリーノス・クワトロ・カントネスは、若いバックパッカー風の巡礼者が多く、青春っぽい雰囲気があった。
到着は15時過ぎで、遅いほうだと思うが、予約のおかげでベッドの下段をもらえたのはうれしかった。
私のベッドにはWi-Fiが届かないので、キッチンに下りてネットを見ていると、若者たちがなぜか私まで仲間のテーブルに誘ってくれた。
若い巡礼者は、私が荷物運搬サービスを利用していると聞くと、「自分の荷物を他人に預けるの!?」と驚いた。若いなほんと……。
肩を痛めたという話をすると、ザックは腰で持つんだ、ウェストベルトをきつめに締めないと、と教えてくれた。とりあえずうなずいた私だったが、すっかり年寄りモードになった私は、その時点ではザックを自分で持つ気はさらさらなかった。しかし、変わろうとしていなくても、人は自然に変わっていくこともあるのだ(大げさ)。ザックの話は、また後日。
なお、ベロラドには一か所ユダヤ人スポットがある。
コロ地区という場所が旧ユダヤ人街だ。しかし、例によってここも何てことない通りである。ユダヤの旧跡は、こういう地味な場所が多い。
プラハのシナゴーグ(ユダヤ教礼拝堂)はド派手らしいので、一度そういう華々しいユダヤ人スポットに行ってみたいものだ。
(スペイン巡礼2018回想記(17)に続きます)
(リアルタイムで更新していたインスタ)
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