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熊本、水の旅

 それは、10月のはじめ。月末に仕事を辞める少し前のこと。

 いいかげん、コロナコロナで限界だった。
 毎年、青春18きっぷの時期になると必ず行っていた最愛の湧き水地帯、三島と富士宮(富士宮の記事もそのうち)。移動自粛でかれこれ1年半以上行けていない。前々職在職中から、癒しが欲しくなるとこの2都市で心の洗濯をしていたのに。三島と富士宮が私を生かしていたといっても過言ではないのに。

 そこで、自粛中は仕方なく、都内の湧き水スポットを探しては訪ね歩いていた。
 たしかに、都内にもなかなかよい湧き水はある(これもそのうち記事を略)。新型コロナがなければ、都内にもよい場所があるということを知る機会はなかった。
 都民におなじみの山、高尾山ひとつとっても、有名なコースをなんとなく歩いているときは、あれほど豊かな水を内包する山とは知らなかった(これも略)。
 身近にある美しい場所を知ることには、たしかに意味がある。

 しかし……それにしてもだ……いいかげん、都外の湧き水に行きたい

 都内の美しい場所は、それはそれで美しいのはわかった。それはともかく、都外の湧き水に行きたい

 もう、きれいごとを言ってはいられないメンタルだった。
 そんなとき、ようやく緊急事態宣言が解除された。

 私は即座に旅の予定を立て、航空券をとった。行き先は熊本。

(前の阿蘇旅のインスタ)

 熊本への旅は、湧き水ファンになってから2回目。前回は「湧き水といえば阿蘇」と思い、阿蘇付近の湧き水を巡った。熊本地震以前の話である。

 あのとき自分が訪れた湧き水のひとつ、塩井社湧水は地震のあと涸れたという。そのときは行かなかった熊本市内の水前寺成趣園でも、池の水(湧き水)が涸れて話題になった。いずれも水は戻ったものの、湧き水も永遠ではないのだと思い知った。
 そのころ勤めていた都内の職場でも、東日本大地震のあと敷地内にある湧き水の流れが変わり、前より豊富に水が出るようになった、ということもあった。

 それはさておき、阿蘇方面では移動にたいへん時間をとられるため(目的の湧き水までタクシー2時間とか)、熊本市内観光の時間がなかった。それで、次行くときは市内! というのが念願だった。

 さらにもうひとつ気になっていたのが、こちら。

 坂口恭平さんというアーティストの方が描くパステル画だ(坂口恭平さんのtwitterより)。

 こちらの絵を見た瞬間、湧き水ファンの血が騒いだ。
 透明な水色は、明らかに湧き水の色だった。きれいな浅い湧き水の下に、さらさらの砂。阿蘇で見た川の色に似ている気がする。

 湧き水ファンはこういう場所に行きたいのだ!(主語がでかいが、湧き水ファンなるものが何人存在するかは不明)
 坂口恭平さんは熊本市在住で、しばしば絵の題材となるこの場所は「江津湖」というようだった。
 それで、熊本行きを決めたとき、とにかく江津湖だけは行くことにした。

 熊本旅1日目は、佐賀から熊本に移動。

 旅の初日は所用があって、まずは羽田から佐賀に飛ぶ。
 午後すぎに用を終え、九州新幹線で熊本に移動。市内のビジネスホテルにチェックインして、馬肉居酒屋の人気店「むつ五郎」でたんまり食べ、初日は終了。

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(むつ五郎、居心地よくて何もかも美味で最高でした)

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(旅2日目の朝、ホテルの部屋からの眺め)

 2日目からが旅の本番。これまた長年の念願、通潤橋の放水を見にいくのだ。

 通潤橋とは、熊本県上益城かみましき山都やまと町にある、1854(嘉永7)年竣工のアーチ式水道橋だ。国の重要文化財に指定されているが、熊本地震でダメージを受けた。修復を終えたあと、新型コロナによる延期を経て、2020年7月に一般公開が再開された。
 地震以前から、ときどきテレビで雄大な放水の眺めを見ては憧れを募らせていたのだが、ようやく機会が巡ってきたというわけだ。

 熊本市内から通潤橋へのアクセス(車なし)は、バスで1時間30分。バスの本数が限られているうえ、そもそも肝心の放水が1日1回または2回しかないため、綿密なスケジュールが必要となる。

 私が放水を見にいった2021年10月9日(土)の場合、放水は1日1回、13時のみ。
 13時に通潤橋にたどりつくためには、11:20に桜町バスターミナルから「通潤山荘」行きバスに乗り込み、12:54に「通潤橋前」到着、放水を見物してから14:07のバスに乗って桜町バスターミナルへ折り返し、15:43に到着。というあわただしいスケジュールだった(2021年11月現在)。
 通潤橋の近くで宿泊しない場合、次の帰りのバスは17時台となってしまうので、暗くなる前に市街地に戻りたければ、他に選択肢はない。

 11時過ぎまで時間が余っていたので、まずは熊本城観光へ。ところどころ震災の痕跡が残っているものの、全体に制作者の愛と気合を感じる展示で、特に日本の城への思い入れがなくても楽しめた。
 顔ハメまで実行してしまい、テンションの高さがうかがえる。

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(顔をPhotoshopで潰したら、もはや私の要素が皆無)

 桜町バスターミナル内(同じビル内にたくさんのオシャレテナントが入っている)でサンドイッチを調達し、バスに乗り込む。通潤橋では通潤橋を見る以外に何かする余裕がないので、恐縮ながらバス内でサンドイッチを食べた。せめて高速バスだったらよかったのだが、通潤山荘行きは思いっきりローカルバス。ちょっぴり気まずかった。
 それにしても、ローカルバスで1時間半は、なかなか疲れた。高速バスはやはり長時間乗っていられる形態なのだなと思う。

 バスは出発時、うっかり早く出発してしまってから一度ターミナルに戻るというちょっとしたミスがあった。そのせいかバスは少し遅れ、通潤橋前に到着したときすでに13時をまわっていた。
 バスが通潤橋に近づくと、放水が始まっているのが見えた。始まっている! でも……間に合った……!

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 バスはほぼ田舎道を進んできたが、通潤橋のまわりだけやたら人が集まっていた。水田の脇を進んでいくと、近づくにつれてしぶきが飛んでくる。

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 そばにいくと、しぶきはすさまじいものがあった(記事下方のインスタに動画あります)。スマホを守りながら、無我夢中で写真を撮る。

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 脇の水路もすさまじい勢いの流れだ。それに水が大変美しい。さすが火の国熊本。火山あるところ、必ず美しい湧き水と温泉がある。当然、地震もあるのだけれど。ついでに、だいたいおいしい酒もあるし。

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(通潤橋脇の水路)

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(虹を発見)

 約30分ほど、少しずつ細くなっていく放水を見守った。
 終わりのころには集まった人々はまばらになり、管理するスタッフの方が橋の上に現れて水を止めるところまで見届けた。

 バスの時刻までは、30分ほど残っていた。
 私は、先ほどからちょくちょく通潤橋の横の小さい山を登っていく人たちが気になっていたので、余った時間を軽く散歩することにした。

 城址跡らしい山を登っていくと、ごく低い山なのに、坂道を上がるにつれて空気が澄んでいくのを感じた。長時間のバスでこわばった身体がほぐれていき、私は急ぎ足に山を登りながら、満腔によい空気を吸いこむ。

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(登りつつ、来た道を振り返る)

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 山の上には通潤橋を見下ろす展望スポットがあった。なるほど、先ほど登っていった人々は、ここから放水を見ていたらしい。しかし空気がおいしい。

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 山都フットパスなる散歩道も整備されているらしく、看板が立っている。もう少し時間があったなら、このおいしい空気の中を歩きまわることができたのだけれど。もし機会があれば、いつか歩きに来てみたい。

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(通潤橋へ注ぎこむ水)

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(妙に心地のよい道だった)

 軽く低山を登り下りしただけで、私はすっかりリフレッシュした。バスの時間10分前に、私は小走りで元来た道を戻っていった。

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 バスが来る前に、自販機で買ったチルアウトで一服。リラックス効果があるというふれこみの清涼飲料水で、健康マニアなので?けっこう好きなのである。すっきり甘い炭酸水だ。
 ほどなくして、折り返しのバスに乗車。また1時間半揺られて、私は市街地に戻った。

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(桜町バスターミナルのあるビル、サクラマチクマモトのクリスマス飾り)

 桜町バスターミナルで、カフェ・モロゾフに立ち寄ってひと休み。
 実は、モロゾフのカフェに行くのが今回の旅でひとつ大きな目的だった。東京ではなぜかカフェ・モロゾフがすべて撤退してしまい、関東圏には1軒も残っていないのである。この甘さ控えめのムース入りチョコレートパフェ、子どものときの大好物で、食が細かった時代に完食できる唯一のパフェだった。

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 パフェに癒され、熊本2日目は終了。

 3日目の最終日は、くだんの江津湖に行く。ついでに、一回は行っておきたい有名庭園「水前寺成趣園じょうじゅえん」へも行くことにした。

 水前寺成趣園と江津湖。
 個人的なイメージでは、水前寺成趣園は街中にある庭園で、東京でいう六義園。一方、江津湖は街から少し離れた場所にある湧き水地帯。なんとなく、勝手にそう思っていた。
 しかし、現実に行くことになって調べてみると、明らかに地図上で水前寺成趣園と江津湖はつながっていた。同じ川をたどっていけばいいのは、行く分には楽でいいが、六義園と湧き水地帯がつながっているというイメージはもちにくい。

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(水前寺成趣園内にある周辺マップ。水前寺成趣園〜江津湖はひとつながりだとわかる)

 あとで気づいたのだが、湧き水ファンである私のブックマークには「名水百選選抜総選挙」なる環境省のWebサイトが保存されており、「水前寺江津湖湧水群」は「観光地として素晴らしい名水部門」第4位に堂々ランクインしていた。
 けっこう前にブックマークしたきり、すっかり忘れていたのだが、坂口恭平さんのパステル画で再会したという次第なのである。

 水前寺江津湖湧水群は、阿蘇の伏流水が湧出したもので、湧出量は一日40万トン。湖を形成する「江津湖」のほか、熊本藩主・細川家ゆかりの庭園「水前寺成趣園」、熊本市の水道をまかなう最大の水源地「健軍けんぐん水源地」が含まれる。
 熊本市は水のキレイな地域あるあるで、「(湧き水ファンの私がしているように)あちこち駆けずりまわってわざわざおいしい湧き水を汲みにいかなくても、そもそも水道がおいしい天然水」という、うらやまけしからん地域なのである(ちなみに私の最愛の湧水地帯、三島と富士宮もそうだ)。
 今回は、そんな水前寺江津湖湧水群のある一帯のうち、水前寺成趣園と、江津湖のうち「上江津湖」近辺を歩いた。

 宿泊したビジネスホテルの最寄り駅「辛島町」から市電に乗り、「水前寺公園」下車。市電停留所から公園までは徒歩ですぐだ。

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 正直なところ、入場料を支払って園内に入ったときは、さほど期待していなかった。前述のとおり、東京でいうところの六義園だと思っていたからである。

 しかし、熊本地震のときに涸れたという例の池の前に立ったとき、そんな考えはぶっ飛んでしまった。

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 池の水、透明!!!

 池の水がキレイだから、当然、空気もキレイ!

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 全然、六義園じゃありませんでした。すみませんでした。いや、六義園も水質を除けばすてきな庭園かと思う。しかし……この水は!

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 キレイすぎる。あまりにも透明すぎる。
 完全に湧き水です。よく見ると、そこここでポコポコと水泡が立ちのぼっており、今まさに目の前で水が湧いているのがわかる。水深は浅く、たしかにこれは少し地殻変動があればすぐ涸れてしまいそう。

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 ついでに、庭園そのものも徹底したつくりこみっぷり。かなりの管理費がかかっていそう。庭園は、おおむねかけた金が景観に直結という印象がある(※偏見です)。

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(湧き水ファンなので、水前寺成趣園のスッポンになりたいです)

 あまりに快適な公園なので、一度、池のほとりに座りこんでしまうともう立ちあがりたくない。熊本市民が心からうらやましい(旅に出るたびこんなことを言っている気がする)。

 とはいえ、水前寺成趣園だけで貴重な一日を使い切るわけにもいかないので、行動を再開した。川沿いを行けば江津湖にたどりつくことはわかっていたが、念のため受付スタッフさんに道を聞いてから庭園を出る。

 教えてもらった近道に入ると、たどっていけばいいはずの川を発見。
 川といっても、きっちり護岸工事がされており、東京でいうところの神田川らしい街中の川だと私は思った。しかし……水前寺成趣園があれほどの湧き水なのだ。あれほどの湧水から、神田川が出てくるものか?

 橋の上から、加勢川というその川をのぞきこむ。

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 ハイ、青い〜!

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 神田川のふりして、完全に湧き水〜!

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 もう本当にキレイすぎますね。どうかしている。

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(周囲は完全に街中。道路の真ん中に市電が通る)

 右見ても左見てもまぁまぁの街中なのに、川だけド透明ですよ。ずるすぎる……。

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 そんな感じで、水前寺成趣園、加勢川と極めて透明な水に直面した湧き水ファンこと私は、もはや「すごい!」「青い!」「キレイ!」などと叫ぶだけのけだものと化した。加勢川沿いは、こんな調子の美しい遊歩道がずっと続いていく。

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 私は、美しいものも飽和するということを、この熊本で久しぶりに思いだした(以前、大阪でイケフェスと呼ばれる近代建築の一斉公開イベントに行ったのだが、美しい近代建築を見すぎて頭が死んだ)。

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 コロナのせいで強まっていた美しい水に対する飢えが、加勢川の流れを前にして満たされていくのを感じる。

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(これは坂口恭平さんのパステル画によく出てくる芭蕉園。絵で見たとおりの光と影でした。遊歩道の途中にあります)

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 もう、言葉はいらない。ひたすら水の風景をご覧ください。

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 徐々に川幅が広くなっていき、川の風景が湖の風景へと変わってきた。

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 その日は好天に恵まれ、青い空と透明な水、よく整備された公園の緑がまぶしかった。沖縄の三線(さんしん)を弾いている方がいて、これほどの平和が存在したのかと思うような光景だった。

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 湖畔に昔ながらのボートハウスがあり、そこでランチにした。
 明らかに昭和のころから生きのびているボートもあったが、その形状はスワン→アンパンマン→くまモンというようにアップデートされていま一堂に会しており、ボートハウスという役割を守りつつ更新を重ねている様子がおもしろかった。

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 食堂は窓が開け放たれており、江津湖の風を受けながらハンバーガーと紅茶を味わうことができた。水がおいしいのだろう、何の変哲もない紅茶が妙においしい。ハンバーガーもフライドポテトもとても味がよかった。
 ここでまたしても二度と立ちあがりたくないという気分になったが、そろそろ帰りの飛行機の時間も考えなければならない。

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(なんという色でしょうね、江津湖の水の色は)

 江津湖の下半分(下江津湖)をまわる時間がないのは残念だったが、もう十分に湧き水を堪能したという気分だった。食事を終えて、心からの満足感とともに同じ道を戻っていった。

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 復路も加勢川を満喫し、近くにある夏目漱石旧居(第3の家)にも寄った。ここでは、熊本地震で全壊した近代建築「ジェーンズ邸」について、アクセスのよい市電近くに移築して復元するという話を聞かせてもらい、またしても熊本の気合を見せつけられた気がするのだった。そうかぁ、見てもらうためなら場所も変えるんだなぁ……! 柔軟!

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(夏目漱石旧居、第3の家の内部にて)

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 熊本市——あまりにも充実した水の街。
 その力強さに、湧き水ファンたる私は打ちのめされるほどだった。

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(帰りの飛行機からの眺め)

今回立ち寄った施設
馬肉料理 むつ五郎:熊本市電「花畑町」徒歩3分。ここの馬肉料理は何もかもおいしく最高でした。
サクラマチクマモト:熊本市電「辛島町」そば。桜町バスターミナルの入っている2019年オープンのオシャレビル。車のない私にとって、熊本観光の移動拠点になりました。ビル内で何でも買い物できるので助かりました。
通潤橋:熊本市電「辛島町」の桜町バスターミナルから「通潤山荘」行きバスで1時間半。バスの本数が少なく、放水の回数も少ないので要注意(2021年11月現在)。できれば通潤橋近くに泊まり、山都の風光明媚さを堪能したかった。周辺にキャンプ場もたくさんあるようです。ステキすぎる。
水前寺江津湖湧水群:熊本市電「水前寺公園」から有名な水前寺成趣園にアクセスできます。でも、そこらへん一帯の数駅はどこからでも水前寺江津湖湧水群にアクセスできるっぽいです、広いですからね。水前寺成趣園にある出水神社内に「長寿の水」という名水があり、汲むことができます。ちなみに我が母は「今までの水でいちばんおいしい」と。娘(私)のせいで、母まで湧き水ソムリエになってしまった。
えとうボートハウス:江津湖畔にある老舗のボートハウス。てっきりボートハウスというのは昭和の産物だと思っていましたが、1881年開業のマジもんの老舗だそうでおったまげました。上に書いたとおり、どんどん内容をアップデートしているのが、見事に生き残っている老舗らしい凄みを感じました。江津湖を満喫しながらおいしいハンバーガーを食べられる素敵スポット。バーベキューやグランピングもできるそうです、すごいなほんと。正直やりたいし、また行きたい。
レフ熊本 by ベッセルホテルズ:今回利用した宿。こちらに2泊しました。熊本市電「辛島町」そば、つまり桜町バスターミナルに速攻アクセスできるド便利立地です。手頃なうえに大浴場もあり、2019年のオープンで設備はピッカピカ。さらに、朝食ビュッフェは熊本の名物をあますことなく突っこんでます。とにかくやり手感のあるビジネスホテルでした。朝食おいしすぎた。何だよ赤牛ハンバーガーって。太平燕もここの朝食で食べました。朝食会場から見える風景が商店街のアーケード内のパチンコ屋なのが玉に瑕ですが、部屋からの眺めはよかったです。

(熊本旅の直後に更新したインスタ)

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