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『金木犀と豚』

私は、関東平野の北の縁をカワサキW650でゆらゆら走っている。日本中がそうだろうが、この土地にも金木犀の香りがいっぱいに満ちている。
秋うまれの私にとって金木犀はとくべつな樹木だ。私がうまれて最初に嗅いだ匂いは、あるいは、金木犀だったかも知れない。だからというわけでもないのだが、暗示にかけられたように、この香りに郷愁をさそわれる。

私はこの文章を、赤城山の麓にある古墳群、『大室公園』の木陰で缶珈琲を飲みながら書いている。持ち込んだヘリノックス(アウトドアの椅子)に座り。力いっぱい金木犀の香りを吸う(同時に珈琲の香りもだ)。脳にいきわたらせた金木犀の香りから誘発されたことばに従い、スマホでポチポチしている。

今日は平日だ。北関東の田舎の山道は、じつに長閑で道のながれも良好だ。フルフェイスのヘルメットの中にも、金木犀の香りがぐんぐん入り込んでくる。と、同時に、もうひとつの匂い、獣臭も入り込んできた。

北関東の山道には豚舎、鶏舎、牛舎、堆肥の匂いがいたるところから、虚をついてあらわれてくる。ゆめが覚めるようだ。が、それも人間の業だ。
とくに手強いのは豚だ。鶏舎、牛舎は、花盛りの金木犀には敵わない。金木犀とせめぎあえるのは、豚舎だけだ。勝負は五分五分だろうか。

私はいま、信号待ちで止まっている。目の前には『豚トラ』が止まっていた。『豚トラとは、美味しそうな料理の名前ではない。豚が美味しくなるのは、もうすこし後だ。平気で残酷なことを言う。これも金木犀がそうさせるのだ。『豚トラ』とは、単に豚を乗せたトラックのことだ。また、私が勝手に命名してみた。それの後ろに私のカワサキW650はぴったりついてしまった。

花盛りの金木犀は負けた。「相手じゃないよ」と豚が私に鳴いていた。

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