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『4クール。88』

88日目だ。スピッツの『8823』を語る良い機会だ。
私はスピッツの8823を名曲だと思っている。歌詞の一節、「くずといわれてもわらう」は、なんだか私にピッタリなのだ。こうありたいと思っていた。そんな曲なのだ。いま、振り返ってアルバムを聴いている。8823というアルバムはスピッツのなかでは、ロックに振ったほうだ。とても良かった。

スピッツの全盛期はいつなのか。音楽の専門家でも悩むのではないか、2024年になっても、このバンドのクオリティーはおちていない。名曲もあふれている。草野正宗氏の歌詞には諦観がある。諦観の先でもがいている。それが、音楽づくりに反映されているのだろう。諦めているようで、諦めていないのだ。あのクールの仮面の下では燃え滾るような、諦めの悪さがある。そんなふうに思う。

さて、このあたりで、スピッツの分析は音楽の専門家にまかせよう。
私は私のことを語ろう。抗がん剤服用から1日が経とうとしている。珍しことに、昨日は排便がなかった。これは、おそらく点滴のほうの副作用だ。
『腹止まり』に私の腹が傾いている。楽だ。吐き気止めの薬を飲んだ。数日つづく副作用のしゃっくりは『よゆうしゃっくしゃっく』で『弱副作用』だ。けれど、点滴中に漏れ伝わってきた情報の中には『吐き気』に悩まされている患者もいる。私は4クールに入ったばかりの新米患者だ。私に吐き気の兆候はない、けれど、一応決められた2日間は飲もう。

今回は点滴を手首あたりの甲側に打った。そのせいで、手首がかるく捻挫したような違和感がある。バイクに乗れるだろうか。まあ、しゃっくりが止まるまで外出はできる限り控えるつもりだ。『ピリピリバンバン』と命名した、しびれも『弱副作用』だ。聞くところによると、ずっとずっとしびれが治らない者もいるらしい。すべては、その者の体質なのだろう。『がんかわいがり』とは手探りで、確定的なことはあまりない。

主治医には、私の『腹下り』には減薬を薦められた。けれど、断った。4クール目、5クール目は通常量を内服して、『腹下り』と、乗り越えたい。私を使った人体実験もしたい。『ジャンクなフードでゴー』はやらない。
やるのは完全な民間療法、『ドクブスパワー』の実験に本腰を入れよう。せっかく父の故郷から送って貰った『ドクブスブドウ』の焼酎付けだ。肝臓がんの患者に『焼酎』はいいのか、という疑問は残るが、面白そうなので、この実験を本格的にスタートしよう。

昨日は、朝、夕と飲んだ。当然バイクには一日乗れない。
『ドクブスブドウ』のお湯割りだ。何度もいうように『ドクブスブドウ』は正式名称ではない。野ブドウが一般的らしい。しかし、『ドクブスブドウ』としたときの語の佇まいが良い。ので、こちらを押している。
『がんかわいがり』の幅をひろげよう。『がんかわいがり』とはもっと幅のある語のはずだ、抗がん剤の代用語ではない。多方面から、どうやって、がん細胞を『いじめしごく』か、それが、『がんかわいがり』の正しい姿だ。なんでも試していいのだ。

この幅を人生にまで広げると『むずむずディストラクションスロウガンズ』になるのだ。和訳すると、『さわやかにかけぬけるようにあきらめる』かも知れない。


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