見出し画像

小説『空生講徒然雲22』

夏と秋の間の終電の終わった東京の空を、地方へ下ってゆくあらゆる路線の架線上をつなぎ合わせるように私たちは走っている。「慣れるまで酔う者もいます」と、シマさんには伝えた。サイドミラーから見える笑顔からするとその心配はないようだった。酔う酔わないは体質の問題ではない。跨がるオートバイとの相性が大きい。心を許しあったヤマハSR400とシマさんには関係のないことだ。それは、私とカワサキW650にとっても同じことだった。「なぁ」とタンクを撫でると「ドッドッタリドタリ」とうれしそうに煙を吐いた。後ろのシマさんに「すまない」というかわりに左手で合図をした。「ん?」後ろのシマさんの胸から偉大な膨らみが失われている。先ほどまでは襟元から顔だけ出していた青猫タルトの顔が見えない。架線上から落下するようなドジな青猫ではないだろう。と、いうことは私の頭の上の『?』で丸くなっているのだろう。いつのまに。私は合図した左手をそのまま頭上に翳すと、ぬるくて柔らかいふさふさの手触りを感じた。青猫タルトは「みや」と啼いた。このぬるさは青猫のぬるさなのかシマさんのぬるさなのか。
そんなくだらないもの思いにふけりながら私たちは東京をぬけた。

県境を越えた辺りで丁度いい鉄塔があった。そこで私たちは休憩をとることにした。御師にも、行者にも、2台の鉄塊にもクールダウンが必要だった。青猫はどうだかわからないが。暗い鉄塔にひかりが集まってくる。青猫タルトの回りの宙空を泳ぐホタルイカもゆ魚も青猫タルトへの興味が抑えられないようだ。フシギな客人だ。いや、客猫か。鉄塔が巨大な猫のジャングルジムになったように、「みやっ」と啼きながら遊び回っている。
宙空を漂うひかりがシマさんの顔を照らす。
「へんてこりんな子たちでいっぱいですね」とゆ魚を両の手の中に収めて、あらゆる角度から覗きこんでいる。
「ほんとにぜんぶ右向きなんて」
「その、あり得ないことばかりなのがこの空生講徒然雲くそこうツーリングなのです」
「はぁ、ずいぶん遠くまで来たもんだアタシは」
「みや」と青猫タルトが返事するように啼いた。
「ピンクムーンレコードにいく途中だったんです」
ヤマハSR400をキックスタート三発目で起こして、ピンクムーンレコードに行こうとしていた。もう、すぐ、その角を曲がるとあるはずの、ピンクムーンレコードがなんだかどんどん小さくなって、「あっ」と思うと、もう、シマさんはストロベリーチョコの湖でぷかぷかういていたそうだ。しばらく途方に暮れているとピンク色の空から青猫タルトが「みやおう」と落下してきた。することもないのでストロベリーチョコの湖を飲みながら「うまいうまい」と泳ぎ着いた先に「もの生む空の世界」の私がいたそうだ。
「私はこちらの世界とあちらの世界の入口と出口の話がすきなんですよ。小腸から大腸のね。シマさんはなかなか良い方の小腸の出口の話をもっていらっしゃる」
「これが、よい話なんですか?」
「はい、かなり良い方の話です。うまく、記憶がまだらになっています」
もの生む空の世界に来た者の記憶は、まだらや目ぬけになっていなければならない。今までも、もの思う種の世界の出口の話をぜんぶ記憶している者はいなかった。例えば、暗やみのなかで両耳のすぐそばで洗濯機の脱水音がぶうんぶうん鳴りつづけていたという行者がいた。すこしその音でいらいらしたそうだ。不愉快な思いといえばその程度のものだったらしい。そして、気づけば東京タワーの宙空だ。
「その暗やみはハイカカオ味のチョコレートにちがいない」そうシマさんは自身の願望を語る。ほろ苦い暗やみにぶうんぶうん鳴る機械音はカカオ豆を潰している音ではないのか。それとも、収穫したカカオ豆をチョコレート工場に運ぶ為のトラックのエンジン音ではないかと推理した。ちなみにその行者は、ホンダCB400SFボルドールのオーナーだった。もの生む空の世界ではオートバイの話が潤滑油のかわりになる。幾つかあるだろう趣味のひとつが一致しているのは御師としてもありがたい。だから、私が御師に選ばれたのだろうが。
「東北地方に入る前に立ち寄るところがあります」
シマさんの凸のつのを取らなければならない。『角とり』の儀式をしなければならないのだ。行者は凸から口になり、もっとまだらに、もっと底ぬけにならなければならない。
「砂時計をひっくり返すのね」
私たちはこれから『角とり地蔵』のある新潟の北部、福島との県境の寒村に向かわなければならない。もの生む空の世界の『きつねの嫁入り』の縄張りに踏み込むことになる。
「底のない砂時計を」、シマさんはそう言って両の手から、ゆ魚を宙空に離してあげた。

この記事が参加している募集

私の作品紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?