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小説『空生講徒然雲5』

 私はかつてライダーだった。と、思うのだ。だっていきなり乗れたから。
『もの生む空の世界』には、私の道連れがあった。『カワサキW650』だ。05年式のバーチカルツインの古めかしいオートバイだ。私はハンドルにつっぷすように気絶していたようなのだが、起き抜けに一発で、ブイブイ乗れてしまった。知らぬ運転だった。私の血と肉と骨が、そうさせた。
 あるいは『?』の仕業かとも思った。けれどそれは違った。
 私は、思い出したくないものをこのとき思いだしていた。私の悪癖は筋金入りだった。

『カワサキW650』は、『アオイオホシサマ号』でもあった。名付け親は私だ。シルバーのサイドカバーに、蒼い星型のステッカーをバチバチ貼っていた。それが、格好いいと思っていたのだ。
 数年はそれでブイブイ乗っていた。だが、稀に、人間の成長は一足飛びに階段を駆け上がるときがある。
 昨日まであれほど大切にしていた牛乳瓶の蓋が、あろうことか(ただの)蓋に見えてしまうのだ。蓋が蓋に見えてしまう。あの蓋がだ。どの蓋もだ。
我思う故に我あり。蓋使う為に蓋あり。蓋の使い方は一つのほうがいいのだ。そう、気づくときが必ずくる。天才以外は。
 世界中の子どもたちに伝えたいことがある。そのショックは、30歳半ばを超えても訪れる。油断しないでほしい。そのショックに打ちのめされないでほしい。『大人げないショック』だ。ただ、それを乗り越えた先には必ず光りがあるから。手のひらを見つめて「なんだこれ」と、幾つになっても突然飽くこともあるのだ。

 私はある日とつぜん。動けば雷電の如く、発すれば風雨の如しで、ステッカーをカリカリ剥がした。『アオイオホシサマ号』時代はこうして終わった。時代は移り変わり、私の美的センスもぐんぐん上がった。幾つかの号が生まれては消え、名前を次々変じていった。その思い出がフラッシュバックして今の私の顔を赤面させていた。
 御師の私の以前の記憶は、すべて忘れさられているわけではなかった。
 一方、行者はそうではなかった。





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