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『春のがん走り』

本日の文章は大変悪趣味なものであり、がん罹患者。その家族におかれましては、あらぬ誤解をうむ可能性があります。当然、愚弄するものではありません。私とがんの付き合い方のひとつのあらわれではありますが、人によっては読むに値しません。ですから、他者様のマガジンには載せません。
二十年程前に『さわやかにかけぬけるようにあきらめる』という言葉が、ぱっと私の頭のなかで花開いたことがありました。その、『さわやかにかけぬけるようにあきらめる』の灰汁(悪汁)だけををすくいとったような文章になってしまいました。中身のないくだらない花です。勢いだけで書いてしまいました。それもまた、私です。そんな私を私は否定したくありません。そんなことから、前文を書くことにしました。それでは、短い文章ではありますが、ものずきな方だけお読みください。


春のパン祭りではない。
『春のがん走り』をしてきた。それは、『春のがん散歩』でもあった。私は「嫌なるくらいがんに夢中~」なのだ。宇多田ヒカルの『君に夢中』を「がんに夢中~」と口ずさみながら、『がん走って』きた。さあ、悪趣味でしょう。これは、自虐的にがんを連呼しているわけではありません。ただの、さかなクンリスペクトなのです。私は、「みなさん、おはようがんさいぼうございます」、という私のキレのよさに惚れ惚れしています。我ながら、パクリながら、見事というほかない。私はセンスの人なんだなと、改めて思う春の一日でした。さかなクンが『半ギョ人』ならば、私は『半ガン者』だ。これは、センスがない。ひねりが足りない。面白くない。『ガンバリ』が足りない。もっと『ガンセンス』を磨かなければならない。
「おはようがんさいぼうございます」を超えるなにかを見つけたい。
「おはようごがんさいます」でもいい。しかし、私のセンスでは前者のほうが、くだらなくてくどいので圧勝なのだ。さかなクンが『ギョ文体』を完成させたように、私に残された1000日足らずの間に『ガン文体』を完成させて、世の中を戸惑わせたい。「ギョギョッ」にあたる言葉も欲しい。いまのところは、「んがんがーん」なのだが、これはさかなクンに完敗だ。「がーん。死ーん」だとさすがに憚れる。いや、『がん敗』だ。そして、私の『ガン黒い』未来に『ガンパーイ』だ。しかし、私は禁酒中。アルコールは『ガンマン』だ。因みに私は癌細胞に『ガンサインボーヤー』と『がんさいん坊や』という擬人化を試みて、日夜語りかけている。「がん坊や(ガンボーヤー)なんの為に君はうまれてきたのだ」と。
この文章は問題作だという自覚もある。でもやめられないとまらない。
門外漢ではなく、『門癌漢』の無名の私だから辛うじて許される『ガン文体』だ。『ごめんがんさい(ごめんなさい)』


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