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『十年ぶり三度目の詩と暮らす』

詩と暮らすのは十年ぶり三度目なんです
恋をしていないときに詩と暮らしたことがないので
なぜ、また、いまさら
49歳になってとつぜん詩と暮らし始めたのかわかりません
詩が恋をいらないと判断したのでしょうか
詩がとうとう自立したのでしょうか
十年寝ていた癖に私に詩を書けと急かせるのです
恋をしてもいないのに詩なんて書けるもんか
そう、つっぱねては
詩に突きかえされているこの二月ふたつきでした

「詩よ。なんのまねだ。私は小説を書こうとしていたんだぞ。ついでに、エッセイまで書いてる始末だ。それを知りながら、また私と暮らしたいと言うのか。恋をすると詩を書く癖のある私は、さんざんぱら詩を書いてきたではないか。それを知らないきみではないだろう。それは、ただひたすら恋した女を楽しませるため。振り向いてもらうためだった。恋を実らせるために百の詩があった。その恋を終わらせるためにも百の詩があった。あれから十年経った。私は今、何に恋をして詩を書いているのだ。詩よ。気まぐれに私を起こしてくれるな。また、一緒に暮らしてあげてもいいけれど、目的を教えてくれ。あの恋の終わりは酷いものだっただろう。その衝撃で私はカワサキw650の運転を一瞬忘れたほどだった。国道の脇にw650を止めて、『オートバイの運転方法』を検索したくらい、私の脳はポンコツになってしまったではないか。あれから十年経って、また私と暮らしたいのか。三度目だぞ。足掛け二十年だぞ。詩よ。恋いらずの詩が私に書けるのか。詩は女を口説く道具ではなかったのか。なぜ十年ぶりに覚醒した。なぜ、いたずらに私を起こしたのだ。私の詩は何処へ向かうというのた。詩よ。私と再び暮らしたいというのなら、恋を連れて来なさい。恋を連れて来れば百でも千でも詩を書こう。私はその程度には狂っている。さあ、冬がはじまる。冬の恋を連れて来るんだ。」


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