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今を感じて、最近観た作品のこと。


私の趣味は物語に触れること。
その時間は誰でもない私になって夢中で物語を楽しむことができる。
最近観たものの感想を書き溜めていたので
ここで静かに公開しておこうと思う。

○映画「ドライブマイカー」

舞台俳優で演出家の家福悠介は、脚本家の妻・音と幸せに暮らしていた。しかし、妻はある秘密を残したまま他界してしまう。2年後、喪失感を抱えながら生きていた彼は、演劇祭で演出を担当することになり、愛車のサーブで広島へ向かう。そこで出会った寡黙な専属ドライバーのみさきと過ごす中で、家福はそれまで目を背けていたあることに気づかされていく。(公式より)
監督・脚本:濱口竜介 原作:村上春樹

「画質が綺麗」とはまた違う、フィルムを通したような色合いの映像が私はすごく好みだった。

お互いを愛しているのに、何か影がある夫婦は娘を亡くしていた。妻も亡くした家福が2年後、広島で出会ったのは、娘とほぼ同年齢のドライバーみさきだった。
広島で上演予定の「ワーニャ伯父さん」
家福は演出を務めることになっている。
なぜこんなにも昔の戯曲のセリフが心の深いところをついてくるのだろう。一つ一つが刺さる。
誰にも見られたくない、自分でさえ覗き込みたくないところに。

ワーニャ伯父さんと姪のソーニャ。
2人の関係性を描いているような家福とみさき。
傷を抱えながらも生きていく。

「自分の心から目を逸らすな」

7カ国後が飛び交う本作。
言葉の違いなど心でどこまでも超えていける。
映像だからこそ描ける目線や仕草さから感じる
その微細な心の揺れ、流れが3時間という長さを感じさせない。
暗闇とここから先の世界の光を覗き込んだような映画に思えた。

サーブの中、家福に語りかける高槻は、まるで映像と感じさせないこちら側に語りかけてくるような、不思議な体験だった。


○小説「某」

ある日突然この世に現れた某(ぼう)。
人間そっくりの形をしており、男女どちらにでも擬態できる。
お金もなく身分証明もないため、生きていくすべがなく途方にくれるが、病院に入院し治療の一環として人間になりすまし生活することを決める。
絵を描くのが好きな高校一年生の女の子、性欲旺盛な男子高校生、生真面目な教職員と次々と姿を変えていき、「人間」として生きることに少し自信がついた某は、病院を脱走、自立して生きることにする。
大切な人を喪い、愛を知り、そして出会った仲間たち――。
ヘンテコな生き物「某」を通して見えてくるのは、滑稽な人間たちの哀しみと愛おしさ。
人生に幸せを運ぶ破格の長編小説。(公式より)


「誰でもない誰かになりたい」と思ったことはないだろうか?
今作の主人公、某は「誰でもない者」であった。

擬態することが唯一の特徴であり、7人もの人物に変わってゆく。
擬態する人物はそれぞれの個性があり、その体に擬態してしまうとその人の"持っているもの"が某の主な性格になる。

外国人の見た目をしたラモーナに変わった時、それまでの人物は日本語を話していたにも関わらず、第一言語が英語に変わったことは驚くべき適応能力だ。

そして、何よりも「目」が違うと感じた。
器は某であってもそこに入った性格という中身が変われば、世界の見え方が違った。
前編で描かれる閉ざされた学校生活を過ごした、3人の目線の違いがそれを描いているのだろう。

某は生まれ方は特殊であったが、
今作の中で世界や人間のことを学んでいく。
その姿は子供が大人になっていく様と変わりはないのではないか。

SF的でありながらどこまでも人間的な愛のある話で、疲れた心をどこか遠くまで運んでくれるような落ち着きと、少しの非現実感のある話だった。


○舞台「近松心中物語」

物語は元禄時代、大阪・新町(遊郭街)で始まる。
真面目な飛脚屋亀屋の養子・忠兵衛は、新町の遊女・梅川に出会い、互いに一目で恋に落ちる。
梅川に、さるお大尽からの身請け話が持ち上がる。
金に困った忠兵衛は、幼馴染みの古道具商傘屋の婿養子・与兵衛に金を借りにいく。与兵衛が快く貸してくれた50両で、梅川の身請けの手付金を払い安堵する忠兵衛と梅川の元に、大尽からの身請けの後金300両が届いてしまう。一方お人よしで心優しい与兵衛は、与兵衛に恋い焦がれる女房のお亀、舅姑とともに、大店の婿養子として身の置き所のない想いを抱いて暮らしていたのだった。
忠兵衛と梅川/与兵衛とお亀。華やかな元禄の世に生きる境遇の違う男女二組。
恋い焦がれる人と共にいるために心中を選ぶ、それぞれの恋を描く…。(公式より)

今作は江戸幕府が栄えた時代であり、
現代のようにすぐに海外やSNSで遠くへ行けるような広い世界ではない。
まるでそこしか世界がないという学生時代の頃のような閉塞感を感じた。
だからこそ、盲目的な恋は生まれ、心中に至るまで突き進めるのか、と考える。

物語ということは置いておいたとしても。

だがこの時代でやるからこそ、近いものがある、ということをインタビューで読んであぁそうだなと思った。
前述した通り私達はSNSや陸海空の交通の広がりで広い世界を生きるようになったが、"今"という瞬間においては以前よりもとても狭い世界、閉塞感をどうしても感じてしまっているからだ。

梅川の洗練された美しさと忠兵衛のまっすぐすぎる恋、
お亀のほとばしる若さにのらりくらりと流される与兵衛の恋?(この2人の掛け合いに沢山笑わされたのはいい思い出に)

2回目の近松心中物語(初めで観た時は2018年国立劇場)観る時や演じる人それぞれの色がある、だけど変わることのない筋書き。
次に観ることができた時、私はどんなことを思うだろうか。


○ブランニューオペレッタ「Cape jasmine」

演出家不在のまま始まった記者会見。

昨日まで稽古をしていた舞台が中止になり、この会見で歌だけを披露するというなんとも謎な展開で女性だけのキャストでドタバタと進むコメディのような物語。

それぞれ個性爆発の歌、歌、掛け合い。
とにかく笑って笑ってもう無理、と思った時、明かされた真実。

ここは実は、主人公横山由依の妄想の世界だった。

「自分が決めつけられたくないと思っているのに、勝手に他人のことを決めつけている」

それまで繰り広げられていた演者達の叫びのような、"本音"だと思っていた歌は全て由依が勝手に決めつけて歌わせていたことだった。


先入観やイメージだけで物事を捉えてはいけない。人には色々な面がある。だけど、考えているだけでは伝わらないから、心は誰にもわからないから、自分の言いたいことを言う。
由依は口下手で、なかなか自分のことを言えない。そんな姿が自分と重なって見えて、一つ一つの言葉が届いた。


最後のシーンで由依とスタッフ(根本さんの二役目)が話すところから、この作品全体が今の叫びのような風に思えた。コロナ禍で生まれた苦しさであったり、やるせなさであったり、そんな苦しみを分けあっているかのようなエピローグ(と私は認識した)肩を寄せ合う2人がとても素敵だと思った。


ここからは少し個人的な話。
以前から気になっていた根本宗子さんの舞台。
初めてチラシを見たのは下北沢によく通った高校生の頃。去年コロナ禍で読んだ、「どうしようもないこの性」は女子のキラキラさとドロドロさが描かれ痛快な切り口に笑ってしまった。

今回はそんな根本さんと先輩である横山由依さんの共演。これは観に行くしかないとずっと楽しみにしていたから、根本ワールドに浸れて幸せな時間だったなぁと。またこの演劇に触れられますように。


この時代だからできた作品や、"今"だからこそ感じられること、その一つ一つをしっかり見つめたいなと思った作品たちだった。


9月、10月に観たもの、好きだった作品、備忘録。