見出し画像

手を伸ばせば届くかな?と思うことこそ考えない


想像は人に希望を与え、妄想は人を崖に突き落とす。


子供の夏休みがあっという間に終わり、9月の試験が終わり、そして受験生である彼は登校が10月で再開される。その前のワクチン接種などは情報が錯綜している。手続きするべきことはやってるが、毎日無駄にエキサイティングだ。


このパンデミックになってからマレーシアでは一気に移動や人との人為的接触が難しくなった。今までなら外国人の自分一人で出来たビザ更新や手続きが一気に難しくなった。息子も気がつけば15歳。自立まであと数年ってことでこのような手続きに関しては常に同席してもらい手続きに参加してもらうことにした。私の英語が不安ということもあるが、彼だってこれから色々なことをやらなくてはいけないし、そして正直私がもう一人で色々なことを済ます自信がない。そのくらいしんどい時はしんどい。まあなんとかなってるけど。


色々な懸案事項はなんとか進んでいる。しんどいけど。でも進んでいる。俺、偉い。でも、毎日定期的にものすごく落ち込む。なんだこの生活って。15歳の子をみてると、とてつもなく心配になる。


本来なら友達と出かけたり、街をぶらぶらしたりして色々な多感を磨くべき15歳。盗んだバイクで走らなくても、自由になれる気がするのは15歳のはずだ。


今までは子供が13歳、14歳ならこんなこともあんなこともしてほしいって数ヶ月先の予定を考えることが多かった。レースであったり、旅行であったり。一時帰国であったり。でも今はそういう数ヶ月先の予定を考えることがほぼ出来なくなった。だって感染症の広まり具合がどうなるか全く読めないから。どこかのスポンサーがお金を出してくれないととてもじゃないけど動けない。


そして大きな予定やビジョンを本人の意向最優先で選べる状況も変わってしまった。この状況なので大学入学資格試験が終わった後、そして進学したい大学をどこの国にするか、大学入学前のステップをどうするか、本来なら子供本人が熟考して選ぶべきなんだろう。時間的、環境的に選択できる範囲が狭まる可能性はとても高い。


うちは別に湯水のようにお金を使えないので「現状でできることは何か」を考えてリサーチしないといけない。その点の制約があるのは本当に申し訳ない。同時にこの15、16歳の多感な時期に家に縛り付けている、行動を制限させてるこの環境が心配でならない。うちは徒歩圏内で運動でも出来るし、精神も安定してるだけまだマシなのは十分わかってる。でも心配で仕方がない。この多感な時期に運動クラブと親と一緒に食材の買い出しに手伝い行くくらいしか外出させられないのが本当に申し訳ない。ここで個人として自分が責任を感じてもしょうがないんだけど。でも、本当に、本当に申し訳ない。


今は「こうやったら楽しいかな?」「どうかな?」という仮定について安易に考えてはいけない。だってほとんどが思い通りいかないから。2020年の私は2021年にはせめて国の行き来は出来るだろうと思っていた。今の私は州越えも出来ないし、15歳の子供に至っては外食はもちろん、試し履きして靴も買えなくなった。(やろうと思えば)そんなの想像もしてなかった。


今日明日のことと、受験終了という必ず見えてる明確なゴールだけを考えて生きていくしかない。


ただ、これは別にパンデミックだから、って思うのは違うと思う。その国の政治状況、国民性、何を重要視して政策が決められてきたか。ここは根本的に変わらない。歴史をみればわかることだったのに。近未来ばかり見ていたからだろうか、全然見えてなかったな感を感じている。自分的には「政治が安定していない」「個の主張が許されていない」国は自分の思い通りいかないことが多い、そこでどう生きていくかは自分次第って思った方がええんやなと実感している。


今は「歴史を振り返る」「◯年後の未来を考える」「今日、明日を生きる」そして「自分が勝手に想像する未来を考えない」で生きていくのが一番無駄にストレスがないのかもしれない。


そして同時に感じるのは「辛い、しんどい時にこそ楽しい体験を記録に残す」。これ大事。だって、しんどいばかりだったら思い出したくないでしょう。。去年は数学を極めるために家庭教師の先生と契約、大学について色々教えてもらって本当に楽しそうだった。この夏は息子が欲しがるギター関係のエフェクターなどを購入。機材に関してはよくわかってないようなので、まずは最安値を買えと指導。そしてその安物を使った後に「ここをこうしたい」が見えてきたらそこを強化すれば良いのだと言う方針で選んでもらった。


今日、明日と、そして見えるゴールだけを考える。手を伸ばせば届くかな?と思う朧げな未来は考えない。私がパンデミックが日常になった世界で学んだことだ。


自由に妄想を楽しむ時がまた訪れることを願う。