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ガチの殴り合いに巻き込まれて生きる勝算を見つけた話ーTRANSLATION for ALL関連プログラム  contact Gonzo × やんツー 「jactynogg zontaanaco ジャkuティー乃愚・存taアkoコ」は必見

これは絶対に「実際に」」観るべき。実際に観ると自分の中でAIとのガチバトルに勝つ方法が見えてくるから。


 こちらのパフォーマンスを超楽しみにして久しぶりにANOMALYにやってきた。

 今回のこのパフォーマンスは息子の大好きなcontact Gonzoさんと六本木クロッシング2023で印象的な作品を出展していたやんツーさんのコラボである。これは見逃すわけにはいかない。(ちなみにChim↑Pom from Smappa!Groupのメンバーがサボテン売ってるのも息子は超楽しみにしていた)。

サボテン売ってます。現金のみなので注意!


 なぜcontact Gonzoが好きなのかは後述するとして、今回のパフォーマンスに関してネタバレしない内容でこの熱い想いを書き記しておきたい。このパフォーマンスは絶対に実際に見た方がいい。それはなぜかと言うと「AIをはじめとしたテクノロジーに勝つ方法は存在する」を実感できるから。
今、私は戦わないでどうする!って気持ちが超奮い立ってる。気分はAKIRAのチヨコさんである。


 なぜこんなに熱く語るのか。まず、公開済の今回のパフォーマンス作品のポイントを引用を再読したい。

【作品のポイント】
POINT①
近年、著しく進化している人工知能は、人間が到底扱いきれない膨大なデータから解を導く生成的な知性として社会に認識され、実用レベルで浸透しはじめています。本作では、入力画像に対してそれが何であるか説明する文章を生成するイメージキャプショニングという手法を用いて、身体表現を言語へと置き換えようと試みます。かつて誰もが鑑賞した経験のない身体の動きに、人間も人工知能も等しく混乱しますが、「意味」という包囲から逃れた未知なる身体の動きをアーティストは創造することができるのでしょうか。
POINT②
本作は、precogが主催をする「TRANSLATION for ALL|トランスレーション フォー オール」の一環として行われるものです。「TRANSLATION for ALL」では、身体表現を文字や視覚情報などに翻訳することにより、視覚や聴覚障害をお持ちの方々に向けてアクセシビリティを高めることを試みています。本作では、むしろ身体表現を翻訳することの意味を等しく万人に問うことを目的に、アクセシビリティを作品表現の中に組み込みます。

contact Gonzo × やんツー公演 (パフォーマンス)
「jactynogg zontaanaco ジャkuティー乃愚・存taアkoコ」

 我々人間が言語という文化がある限り、すべての出来事は「言語による可視化」が可能なはずである。しかし実際に言語化して果たしてそれが事実にどれだけ近づいているのか?
 実際は言語化すればするほどかけ離れていかないか?という現実をこのパフォーマンスがガチで見せつけてくれる。

 数々の身体的な、物質的な事実の映像、そしてそれをAIが分析してブラックボックスの中から選択してきた言語。この組み合わせのなんとチグハグなことよ。同時にこの「無機質な違和感の日常化」はまさにインターネット社会で勝手に組み合わせてフェイクがファクトに作り出される現在の社会そのものでは?


 人間と機械が同じ場所で時には共存、時には妨害しながら同じ時間を過ごす。この環境を作り上げたやんツーさんの自走する機械の生々しさに痺れた。この機械は人間が惚れてしまいそうになると同時に一緒に心中したくなるような包み込む力を感じる。恐ろしい子!


 では、このフェイクがファクトに作り出される現在の社会で我々は潰されるしかないのか。そんなことは、ない。


 私がそれを実感したのはある体験から。まずcontact Gonzoさんのパフォーマンスを確認したい。ガチの体と体のぶつかり合いである。


 正直、知らないで遭遇したらガチ喧嘩そのものである。そのくらい超ど迫力である。今回も、ものすごい迫力だった。


 今回のパフォーマンスでは各場所にモニターがあり、そこに映し出される画像からAIが文字を判断して映し出していく。目の前にぶつかり合いの事実があるのに、つい画面を追ってしまう。


 で、そのぶつかり合いが自分の近くでいきなり始まるといきなりファクトに連れ戻される感があるのである。


 パフォーマンスが私が着席した席の前で行われていた時、小さなアクシデントが起こった。なんとメンバーさんの一人が私の方にドンと踏み込んできてしまったのである。私は彼の体がぶつかったけど(おそらく)咄嗟に考えてぶつかってくださったので、全然痛くなかった。むしろおお!美味しい!と感じた。大相撲の砂被り席の快感ってこれじゃね?とか色々ワクワクした。しかし彼らは真の漢のパフォーマー。その時メンバーの皆様が「大丈夫すか?!」とパフォーマーではなく人間として私に強く問いかけをしてくれた(ように感じた)のだ。

 私ももちろん「大丈夫です!!」人間として強く返答した。観客としてではなく、人間として伝えた。なぜならそこで私も人間として答えなければ、彼らはパフォーマーとして戻れないのでは?と咄嗟に思ったからだ。

 私のその「人間としての返答」は伝わったように見えた。その後、パフォーマンスはより強く盛り上がり最高の盛り上がりで終了した。


 終了後、メンバーの皆様が「大丈夫でしたか?」と再度声掛けをしてくださった。私はここで気がついた。生き物は「生き物とバトルしてる」と実感することで生きてる感を感じられるのだと。生き物が生き物として発信してると双方が確認し合うことで私たち生き物は生きていけるのだ。その発信は交流だけでなく闘争の場合もあるだろう。そしてどちらから死ぬこともあるだろう、それは生き物だから仕方がない。生き物はダメージによって生きることを強制終了させられる場合がある。だからこそ生きてるもの同士、どう生きるかを見極めながら交流していく必要がある。先ほどの私とメンバーさんの衝突の後の確認はまさに「生きてるかの確認」の交流だった。そう、交流は死ぬことを見届ける可能性がゼロではない。だから、覚悟を決めなくてはいけない。そこの覚悟から逃げることだけを考えてたり、AIなどの機械に全面代用できるかとか思ってる時点でその生き物は生きる強さを失う。生き物として生き物とバトルすることで我々は生き続けるのだ。
 テクノロジーに全面譲渡でも、全面排除でもダメなんだ。我々は生き物として生きてる、ということを強みとして戦い続けてこそ生きていけるのだ。

 生き方は人それぞれ。人によっては視覚がない、聴覚がない、色々あるだろう。生き方に加点減点などない。その生き物が精一杯バトルしてるか。そこなんだなという気持ちにさせてくれるのだ。この生きてるぞ感こそ勝算の原動力なのだ。

 このパフォーマンスはAIに無駄に怯える無知な私に往復ピンタをお見舞いしてくれた。そうだ、生き物でこの世に生を受けた以上、生きるしかないのだ。


ああもう気分はチヨコさんである。
これで間に合うかどうかは判らないけどね、行くよ!


こちらのパフォーマンス、マジで必見である。ぜひ見てほしい。チケットはこちらから。


😆 😆 😆


ちなみに、なぜ、こんなにも我々が満喫できたのか。そしてどうしてcontact Gonzoさんが好きなのか。それは時は13年前まで遡る。私たちはある展覧会のアーティストに強い衝撃を受けた。

 この展覧会に参加してるアーティスト、contact Gonzoである。当時幼稚園児だった息子には「お友達を叩いちゃいけません。大人はそんなことしない」と言ったことがあった。まあ幼稚園児男子には大体こういうのではないか。そんな中、contact Gonzoのパフォーマンスを見て息子は「この大人達は一体???」と興味を持った。

 そういう興味に悪ノリする親であった私は、当時まだあった天保山のサントリーミュージアムのワークショップに東京から参加したのだ。


 当時は大阪まで行っちゃった!私ってすごい!と盛り上がっていたが、その後東南アジアに転居してからワークショップを体験しに飛行機で国境を越えることに全く躊躇しなくなったことを、この頃の私はまだ知らない。

 その時の衝撃は息子もいまだに覚えているそうだ。なので今回は本当に楽しみにしていた。同時にメンバーにぶつかるアクシデントを一番うらやましがったのは息子でもある。


終了後、お話しする機会を頂けたので写真撮影をお願いした。13年の時を超えて。


素晴らしい体験をありがとうございました。