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日本語思考論者が破天荒な苦情を減らすためにはまず親がコスプレを始めたらいいと思うの。

東南アジアに住んで6年目、外から語られる日本語思考論を興味深く拝見しています。そしてよく語られる「日本人の公共に対するクレームの多さ」について私は1つの仮説を確信しています。それは

「日本語思考論者が苦情を言うのは「その場で自分が目立ちたくないから」

いまいちピンときませんよね。順番に解説していきましょう。

ちなみに私は「日本人は」という言い方をあえてしません。なぜかと言うと多く語られる「日本人は〜」論は「日本語故」だと思うからです。なので「日本語思考論者」という書き方をしています。これは私の個人的体験に基づく私の出した1つの意見です。

1:自分で意見を言うことが怖い

そもそも日本語思考論者であると「この出来事に対して自分はこう思っている」と思う」ことを発信することがとても「集団の意向を尊重していない、よくない!」と考える傾向が強いと思います。それは集団の意向に個は従うべきという教育が長らく行われてきたこともあるでしょう。そして、近年は「個々の意見を持つこと」も大事と言われるようになりました。

では。なぜこの「怖い」感情は多くの日本語思考論者に取り巻くのか。まだ話は続きます。

2:自分が人と違ってることを悟られるのが怖い。なぜならそれは目立つから。

日本語思考論者だとこの意見を言うことは「人との違いが明確になる」、つまり「目立つ」ことに直結する感情が働く場合があります。この「目立つ」は「集団で異質な存在として他者に認識される」可能性が高まるという分析を持つことになります。そして「異質な存在」故攻撃されるのでは。。と恐怖感が働くのです。

そして!

この「目立つ」というは「自身が異質になる」場合でなくても発生する場合があります。それは「自分の近くの存在が異質である」ケースです。つまり自分のとの比較で「自分は異質な存在と明確な違いがある=目立つ=嫌っ」という思考が働くケースが発生します。

3:自分一人で意見を実際に言うと「目立つ」ので匿名か集団でクレーム。キーワードは「みんなもそう言ってる」。

自分が目立ちたくないから「集団と異質の存在」に集団を背景に修正を強要する。これが日本後思考論者に多いクレームです。特徴としては「実際に言わない(メールや電話」または「集団でクレーム」。「私が迷惑してる」ではなく、「みんなが迷惑してる」が頭につきます。この「みんな」に明確な定義は必要ないです。主語は自分ではく、仮定された「みんな」という集団。

つまり、その場で目立ちたくないから直接ではなく匿名形式(電話やメール)や集団でクレームを言う。そのクレームを受けた側は内容よりも「クレームを受けたこと」に注目してしまう。なぜなら「クレームを受けた行為は実際に起こった行為で「目立つ」から」。そしてその「目立つ」行為に過剰反応してしまい、クレーム数に関係なく行動が萎縮される。(「クレームが来そうだから」でクレームが来てないのに止めてしまったケースも去年実際にありましたね)

いかがでしょうか。日本語思考論者が苦情を言うのは「その場で自分が目立ちたくないから」説。これはとても納得できるロジックだと自分では思うのですが。

ではどうしたらいいのか。私たちに何かできることはないのか。それは「他者との違いに国を挙げて慣れる」、つまり、「目立つことに慣れる」ことだと思うのです。なので

「日本の義務教育の保護者会をコスプレ必須にする」

から始めるといいと思うんですよね。結構ガチで。親が視覚でまず「違い」を体感する。考えてみたら多民族国家なんてまさに民族衣装コスプレ大会を毎日やってるわけですよ。この視覚で「ああ違うわ」っていうことに慣れてる状況って大きい気がするんですよね。。。

ほら、どうこういいながらみんなハロウィンとか好きなんでしょ。なのでコスプレはいけると思うんです。過度な格好はちょっと。。という人にはぜひ地味ハロウインを。

日本語思考論者の沼から抜け出すためには「親からコスプレ」。結構効果あると思うんだけどなー。