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15年後あなたは何を聴いて泣いているのだろうか。

サブスク愛が止まらない。以前解禁になった松任谷由美さんのプレイリスト、我ながら名作だと思う。これも毎回聴きながら泣いている。

そして泣きながらふと疑問を感じる。

こんな風な感情、今の若い子は感じるのだろうか?

息子に聞いてみる。「ねえ、今から15年後、同じ学年の○○君とニューヨークであったとするじゃん(まず設定がおかしいがこの設定は英語圏で生活する息子さんからするとそれほどおかしくない)、その時どんな曲がカフェで流れてきたら「懐かしい!」って思うの?」

同じ学年の○○君というのは優等生のマレーシア華人。仲良しではあるが、親からゲームの時間をメイドに管理され週2回家庭教師が来てそしてスポーツも勉強もとてもよく出来る青年である。親は裕福なので日本旅行にはよく行くけどチームラボとか森美術館に家族で行くような子だ。うちの息子さんのように歌舞伎町のクラブのステージに拉致られるような子とは明らかに違うタイプ。

でも、とってもいい子。なぜ彼を事例に出したかというと「同じ場で過ごしているけど共通の趣味がない子が聴く音楽って現在存在するのか?」って思ったから。

息子の答えは「。。。。思いつかない。曲はまじで思いつかない」

寂しいのう。

私たちの時代はテレビやラジオが共通の音楽を提供する役割を担っていた。優等生も、不良も、コミュ障も、みんな耳にした音楽があった。テレビCMの音楽などまさにそうだ。しかし、今の子供たちはテレビを見ない。YouTubeのCMもどんどんスキップされるし、そもそも音声をオンにして聞いていない場合も多い。

つまり、不用意に聞こえてくる音楽がものすごく、少ないのだ。

彼が好きな YouTubeで使われてる音楽はどうなの?と聞いてみる。著作権の関係でオリジナルの曲が多いとのこと。うむ、それは15年後に懐かしむことは難しそうだ。そもそもカフェで聞こえてこないだろう。

では、 Liveがその役割を果たすのか。うーむでも最近は温暖化を懸念して世界ツアーを中止するbandも出てきている。って思ったらこれ誤報だったのね。

音楽を聴き手に届ける手段が確実に変化している過程で生まれた誤報だと思われる。コールドプレイからしたらいい迷惑だこりゃ。

ただ、音楽を発信する手段が確実に変化してるのは紛れもない事実。なのでラジオアプリなどは本当に重要な役割を担うと思う。

私は最初の駐在がシンガポールだったということもあり、いまだにシンガポールのラジオをアプリでよく聴く。アジア全体のニュースを扱ってくれるのでマレーシアに転居しても情報源としてとても役立っている。

日本のradikoも有料でもいいから早く世界に解放してほしい。VPNサービスをかませないでも聴けるようにしてほしい。なんでダメなんだろう。聴けるようになればもっと文化の開放になるのに。

うちの息子さんは日本語の本は読めるし、丁寧語も使い分けられるし、日本語の漫才を観て笑うこともできる。でも、日本語の曲はほぼ聴かない。それは日本語の曲を聴く環境がないから。

人を形成する際、文化は重要なピースになる。そのピースは与えられたものより自分で集めた方がより強固になる。

彼は15年後、どんな音楽を聞いて涙するのだろうか。