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影響力は継続と欲望から産まれる。

いやあ忙しい。そして辛い。手続き系が続く日々、辛いです、マジで。今日も1つ大きなタスクが終わった。正直うまくいくかどうか不安で仕方がなかったのだけど、結果的にはうまくいった。

最終的に自分が出来る手を打って、全て丸く納めて終了。良かった。明日もこんな風にうまく落ち着くといいんだけど。。とかく自己卑下体質なので心配でたまらん。

そんな私だけど。

最近「影響力」というものを考える。自己卑下体質のわたしが人に胸を張って言えること、それは「美術館やギャラリーに行くのが好きなんですよ」である。

こちらの美術ブログは気がつくともう13年目である。13年というと、オリンピック四回開催。谷亮子もびっくり。そして日本を離れて5年、更新も不定期になり、対象も日本以外も増えてきてしまったのでそんなに読まれないかな。。って思っていた。止めようと思えば止めてもよかったのかも。でも好きだから、やめたくなかった。

誰かに何かを知ってもらいたい、有名になりたい、そういう意識は全くない。そういうことではなく「自分で記録に残したい」から。

息子が大学入ったら一旦終了して、自分で編集して本にしたい。そして数冊大事に作ったら1冊大事に取っておいて、自分の葬式の時に棺桶に一緒に入れもらいたい。だから本を作ろうと思ってる。なんてまあ自己満足。でもいいじゃない。にんげんだもの。

日本を離れてもう5年、私のことなど日本のアート界の皆さんは皆忘れていたと思っていた。しかし先日の一時帰国から最近、著名なアーティストさんやディレクターさんからとても暖かい言葉を頂くことが出来た。素晴らしい作品を産み出す人たちに「あなたの文が好きだ」って言われるなんてこのブログを始めた頃は夢にも思わなかった。とても嬉しいと同時に疑問も感じた。だって私、もう日本のアート好きが読みたい話題を書いてないと思うけど。。

いや、それ違うのかも。

私が思う「人が読みたいこと」と私のブログを読み続けてくれてる人が思う「人が読みたいこと」は同じじゃないっぽい。私が読みたいことを書くこと。これが「このブログを読みたい人が読みたいこと」なのかもしれん。

そういえば、そんなタイトルの本を読んだ。これはすごく気づきの多い本だから電子書籍と紙の本、両方買った。

だったら、このままでいいのなら、もう少しこのまま前に進んでみよう。

影響力というのはもしかしたら「影響させたい」と思うより、「自分の願望に素直に行動し、自分にも人にもわかりやすい言葉で伝えること」。なのかもしれない。

以前はもっと大きな媒体で、とか大きな発言力を持ちたいとか、いろいろ考えたりしたけど今はそういう願望は、ない。それよりも「おおおっこれを自分の言葉で残したい!」と思うような出会いを数多くしたい、そして自分の言葉で残したいと思う。そのほうが「おおおっ」を発信してくれた人も(人じゃないかも)、その場を提供してくれた人も、一緒に観てくれた人も、最後に私自身も絶対に後で読んで面白いと思うからだ。

幸い、今は「自分の言葉で自分のペースで(わがままに)記録を残す」ことが以前より相当容易な時代になった(だから恐ろしいことも多い)。この変化の波に乗らないなんて、もったいない。わがままに自分の書きたいことを自分の言葉で継続して残そう。

(「わがまま」で何かなかったっけと探したらこれしか見つからなかった。全世界のジュリエットさんが全員わがままって訳じゃないのにね)