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COVID-19と共に生きる世界の「コミュニケーションとは」。


「コミュニケーションとは」。奥深い問題。


COVID-19という言葉を身近で毎日聞く世界になってもうすぐ1年になる。この1年で色々なことが変わった。私の中で大きく変わった点は「人との接点の減少」である。


特にリアル接点が著しく減った。本当に驚くほどに減った。それは自分の中で「自分拠点の感染の可能性をなるべく減らしたい」という気持ちからである。なのでビジネス的な要素があれば最大限の自己管理を行った上で出かけるけど、そうでない場合は極力人に会わないようにしている。


だって私が感染の原因になってしまったら申し訳ないし、目的を持ってここで生活してる家族の目的の障害になったら更に申し訳ないじゃないですか。


なので基本的に私は私個人の要望ではほんの少しの人のみ会うようにしてる。


自分が感じてる恐怖感を超える価値が「自分とのリアル交流に存在するのか」を常に考えてしまうようになった。これはもうしょうがないんですよ。自分卑下体質がもう身に染み付いてるんで。


幸い子供はもう小さくないので、私が付き添わなくても行き来できる世界ができている。同時に彼も自分が「外国で暮らす外国人で立場がとても弱い」ことを理解してくれてるので、所作に気を使ってくれているようだ。そして彼が構築してる友情では私が感じるような卑下な気持ちを持たないような関係が築き上げらている模様。親と違ってコミュ障ではないようで本当によかった。


私の中に変化があったんだと思う。以前は人と話すことをここまで避けなかった。嫌いだったけど別に出来ないわけじゃないって思ってた。しかし、新型肺炎と共に生きる世界がもうすぐ1年になり「話すことが極端に嫌いになった」。同時に無防備に書くことにもものすごく恐怖を感じるようになった。


俺の話なんて聞きたくないっしょから始まるのだ。今流行り(もうはやってないかもね)蟹家なんてとんでもねえ。


ソーシャルネットワークの世界を見ると世界の観点は2つに分類されてるようだ。あらゆる方法で繋がりを求める人と、繋がりを極端に減らす人。赤裸々な日記のような文章は減った。もちろん日記があるのだけど「読まれることを意識して書く」日記が増えてる気がする。きっと万人が読まれない形で紡がれているのだろう。


これから様々な思考や行動が分断されていくと思われる。経済的、環境的な階層社会に加えて思想的な階層社会が生まれるのだろう。経済的、環境的には階層社会の優越は今までの思考からの推測は可能かもしれないけど思想の階層社会は優越をつけられない。から尚更亀裂が深まるだろう。渡る勇気と行動力がない人は橋が掛かるまで、船が着くまでじっと待つ。そしてチャンスが来たときにそのチャンスを逃さない様に鍛えて待つしかない。


亀裂、断裂と言えばこの曲を思い出す。


加藤登紀子さん。マジで生き抜いてきた人ですよね。時代は移り変わり治安はどんどん悪くなっていくのにモルカーは、かわいい。

モルカーの世界はサバイバル。頑張って生きていくぞ。