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自分がどう感じるかで世の中の出来事の見え方が変わる

最近日本では非常に心苦しい事件が多いです。日々英語とやるべきタスクに追いかけ回されてる私としては本当に考え込んでしまうことが多いです。

特に自分と同世代の男性が関係する事件に関しては心が締め付けられます。それは私自身が本当にどうしようもない人格で人に嫌な思いをさせることが多いダメ人間なので(過去は本当に酷かった。今は少しは良くなったと思うけどやっぱりダメだと思う)自分がなぜ強行の実行犯にならなかったのか、気持ちが落ち込むと考え込んでしまいます。

今は人を傷つけるスイッチが入る機会を減らすために、会いたい人にしか会わないっていうスタンスです。でもそれも子供が中学生で、私自身が子供の交友関係で親が出る必要がないから出来ること。

日本にいた時、私は一度も子供の誕生会とか出来ませんでした。子供にちゃんと友達はいましたよ。私が出来なかったんです。今でも、人と話す時極度に緊張することも少なくないです。全く外に出さない自信がありますけど。

そんな風に私なんて生きてる意味あんのかなって定期的に思ってしまうというこのnoteを読んでいるそんな人いるの?と思ってるそこのあなた!

ちょっと考えてみましょうよ。例えば、癌を告知された人がいたとします。その人だって告知される前では「自分が癌患者になる」なんて考えもしなかったはず。

そう、誰にだって絶望のどん底に急に落ちる可能性があるんです。

そんなこと考えながら日々の所用に追われてたらこんな記事を見つけました。

ちょっとビーフボールヌードル食べながら泣いちゃいました。そう、ここには私が「俺みたいなダメ人間は生きてる資格ねえ」って定期的に思う自分がなぜ死なないかが明確に書いてあったから。

私は美術が好きなんですよ。本当に。私自身なんてダメな母親なんだろうって悩みまくってた時、何度も何度も美術に救ってもらいました。

そして「もっと面白い美術に出会えるかもしれないからやっぱまだ生きてとく」って何度思ったことか。。。

私はアートは育児を救うってよく書いてますが、それは育児というより「母親である私が生きることを諦めないように」してもらってるって感じなんですよね。

もっと書こう。書き記していこう。それが誰かのきっかけになったらこんな嬉しいことはないです。

友達100人できるかなとかうるせえんじゃボケ。薄っぺらいお茶会とかランチとかどうでもええ。俺は俺の道を行く。

久しく爆笑問題見てないけど、なんかすごく感動しました。ありがとう。