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いわき回廊美術館の眺めを「聴きながら」考えたこと


人の話は、聞かなきゃ始まらない。例えそれが完全でなかったとしても。


2019年の7月、私は濡れた浴室の床に滑って転倒して後頭部を強打。8針縫う怪我をした。頭部を縫うと毛刈りされる。凄まじいハゲを隠すため、ターバンを大人買いした。そして約1ヶ月後の8月、髪が生えて私はターバン生活を卒業した。

その数ヶ月後、新型肺炎によるロックダウンでこの時のターバンが役立つなんて全く想像もしてなかった。


ロックダウンが終わった後も私の住むマレーシアでは基本的に外出は緊張が続く。つい先日から始まったマスク着用の取締りは思った以上に厳しく、いきなりRM1000罰金が各方面で勃発しているらしい。恐ろしい。


そんな時は摘発される場所に行かないのが一番。。。ということで8月も学びの月として色々な配信を拝聴している。今回はみちのくアート巡礼2020。いわき万本桜プロジェクト代表の志賀忠重さんとジャーナリストの津田大介さんのトークを拝聴した。

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私の父は会津若松の喜多方出身。父の墓は会津若松にあり郡山から長距離バスに乗って行く。現在、喜多方の記憶はかなり薄れてしまったがその分、会津若松に親子3代で行くと言う新しい思い出が上書きされている。

母にとって「孫と訪れる会津」は「嫁として訪れた会津」とはまた違った印象になったようだ。高齢の母にとっては結果的にそれは良いことだったように思える。


そう、人は行動によって変わる。


いわき回廊美術館のことは恥ずかしながら知らなかった。同じ福島県でも山間部なので雰囲気は随分違う。そして同じ福島県でも山間部と沿岸部がある福島県の移動は結構大変だ。

だって東北新幹線の郡山から会津若松だって長距離バス、長いで。。。

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ちなみにいわき駅は郡山駅からなら電車で行ける。

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いわき回廊美術館に関しては何も知らなかったのでこちらを読んでからトークを拝聴した。


志賀さんの話し方になんとなく、亡くなった父のイントネーションを思い出す。こんな風に力強い部分なんてどこにもない人だったのに、人は人をいいようにしか思い出さない。都合のいいもんだ。


聞き手の津田さんのお顔がとても元気そうなことに救われる。去年、本当に大変でしたよね。。。


今回は志賀さんの活動に関してと、アートプロジェクトの進め方についてのお話とのこと。いわき回廊美術館のこと、よく知らないけどわかるのかな。。。って心配だったのだけど


全然心配する必要なかった。学びが多すぎた。


プロジェクトで周囲を巻き込む、巻き込む際に感謝の態度を示しましょう。というお話はなるほどと思った。私自身が「芸術を記録すること」を好きでやってるけど、それをやってどうなるって思うことなんてないんだ。自分がやってみたいことを自分のやってみたい方法で続けること。これが大事なんだと再確認。


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志賀さんの紡ぐ言葉はパワーワードばかりだった。特に印象的だったのは「阻害」に関して。


地震で大変だった時、関東圏に行くとみんな「普通の生活」をしていることに猛烈な阻害感と怒りを感じたと言う旨の話。

これ、今、すごくわかる。

私はマレーシアに住んでいるけど日本語が母語だし、日本のアートが好きだし、日本に家族も住んでいるので日本語のコンテンツを読むことがとても多い。日本と東南アジアは新型肺炎対策はかなり違っているので「日本ではこんな活動が行われているのになんで私は出来ないんだろう」「なんで飛行機に乗れないんだろう」など阻害に憤る気持ちが多くて思考回路がおかしくなる時がある。


志賀さんはその気持ちをそのまま受け入れていいと言うスタイルのようだった。自分がこんなに辛いと感じてるのに、ちょっと移動したら普通の生活をしてる。その普通の生活に対するどうしようもない怒り。憤りを人に向けるより、そんな普通の生活をしている人たちが「一度は行ってみたい」と思うような場所を作る!!と言うエネルギーの転換。新しい場所を作るぞ!という前向きな気持ちと「絶対にまた来たいと思わせてやる」という怒りの気持ち。この2つをエネルギーにして動かす意思が、私の中にも必要なのだろう。


そして志賀さんの言葉でとても重要に感じたのは

「記録は大事。記録された瞬間から別物になる。」


以前私は「あなたの書きたいものはうちのメディアに不必要」と言われてすごくショックを受けてしまい書けなくなったことがあった。正直その時のショックは今でも傷として残っている。自分のアウトプット行為に多大な影響を与えられた。まだ、リハビリは終われていない。

私のような前世代の人間はどこかで「自己卑下がスタート地点」的な部分がある。このタイプは過度な承認要求に行くか、承認要求が消滅するかどちらかに大きく触れる。もちろん、私は後者だ。

後者の人間は人に頼れないし、人に褒められたら動揺してしまう。そして周囲を見て過度に探ってしまうことを止められない。

まだまだダメなお母さん、まさにマダオ。それが私だ。

そんなマダオな私はマダオのままでしかいられないのか。そんなことはないと志賀さんが教えてくれた。どうしたらいいのか。それは「記録」だ。

どんなことでも記録を取り、続ける。続けることが大事。記録を読み返せば、かならずそこに道がある。そこから全て始まる。志賀さんのお話には「自分ができることから始められる世界を変えること」が溢れていた。


私は今度、いつ父の墓参りに行けるのだろうか。私はなぜ家族に会いに行けないのか。アジアを移動できない今、私がここにいる価値があるのか。


憤ったり、阻害を感じたり、悩んだり、泣いたりしたらそんな自分を記録しながらまずは自分の出来ることを続ける。続けることを記録する。まず出来ることから始めよう。これしか出来なかったではなく、出来たことに対して感謝しよう。


志賀さんのお話と共に聞こえる虫の声は日本でしか聴けない虫の声だった。私はいわき回廊美術館から見える風景からたくさんの声を聴いた。そしてたくさんの気づきが私に届いた気がする。


少なくとも、前向きな気持ちになった事は確かだ。まずは前向きな気持ちになったことを感謝してることを記録したい。みちのくアート巡礼キャンプ2020は今年からこのようなアバター参加が始まったとのこと。この活動の開始のおかげで私は大きな道への小さな一歩を始められたことをここに記録したい。


ありがとうございました。