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【新刊試し読み】桑原ヒサ子『ナチス機関誌「女性展望」を読む』「はじめに」先行公開

9月29日に桑原ヒサ子『ナチス機関誌「女性展望」を読む』を発売します! これに先駆けて本書の「はじめに」の一部を先行公開します。

ナチ党公認の唯一の女性雑誌「女性展望」とはどんな雑誌だったのか。研究を始めるきっかけ、目的などを書いています。ぜひごらんください!

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はじめに 

 国民社会主義ドイツ労働者党(以下、ナチ党と略記)公認の唯一の女性雑誌「女性展望」を収集し、集中して読み始めたのは二〇〇五年のことだった。ちょうどその年度から三年間にわたって「表象に見る第二次世界大戦下の女性の戦争協力とジェンダー平等に関する国際比較」という課題の共同研究(科学研究費補助金基盤研究B、研究代表者 加納実紀代)に参加したことがきっかけだった。研究目的は、女性が戦時活動に大規模に参加することになった第二次世界大戦期に限定して、雑誌・新聞・ポスターなど大衆向けメディアのなかの女性表象が当時のジェンダーのありようとどのような関係にあったのか、そして戦後のジェンダー形成にどのような影響を与えたのかについて国際比較をおこなうことだった。

 その後この共同研究は、継続して科学研究費補助金を数回獲得している。歴史記述では顧みられることがまれだった女性に注目し、メディア表象という新しい方法を取り入れ、共時的国際比較をおこなう研究に大きな期待がか
けられたからだ。ドイツを担当する私は、「女性展望」(一九三二年七月一日号― 四四/四五年号(1))を対象にすることにした。当時の女性雑誌市場で第一位の発行部数を誇る官製雑誌だったからである。

 この雑誌は、女性の編集・発行による、女性による女性のための女性雑誌だったという点でも特殊だった。というのも、十九世紀末から女性向けのさまざまな雑誌が発売されるようになって以来、女性雑誌の出版・編集に従事
していたのはもっぱら男性だったからである。「女性展望」を発行したのは、ナチ女性団によって組織される全国女性指導部の「新聞・雑誌・プロパガンダ」部門だった。そこでは女性カメラマンや女性の映画製作者を雇い、日刊新聞の編集者たちと連携を取りながら、「女性展望」を含めた何種類かの女性雑誌(2)を刊行し、女性問題をテーマとする自主製作の映画会や展覧会を開催していた。「女性展望」は官製雑誌として、社会的・文化的領域で家庭や職場の公的女性像に多大な影響を及ぼした。それと同時に、この雑誌はもともとナチ女性団の機関誌として発行され、ナチ党の政権掌握後に強制的同質化によってナチ化を受け入れた女性団体をまとめたドイツ女性事業団もナチ女性団のもとでともに活動を展開したことから、「女性展望」は彼女たちの活動報告の場であり自己表現の場でもあり続けた。
 
 今日のドイツでは、一部の歴史研究者を除いては、女性雑誌「女性展望」の存在を知る人はいない。敗戦後のドイツでは、国民社会主義の思想とそれに関係する事柄はすべて戦争犯罪であり、ドイツ人にとって深い反省の対象
になった。過去は振り返らず、荒廃した国土を再建することが先決問題だった。女性雑誌では、「女性展望」に次いで出版部数が多かった「主婦の雑誌」は、非ナチ的と判断されて継続出版されたし、女性雑誌の編集者で戦後、新しい女性雑誌を出版する者もいた。しかし、官製雑誌だった「女性展望」にその可能性はありえず、忘れ去られていった。
 そのため本論に入る前に、まず「女性展望」がどんな雑誌だったのか、基本情報を押さえておくことにしたい。

(1) 各号の発行年月日の表記には変遷があり、それに関しては、後述する「雑誌の形態」〈年度と号数〉を参照。
(2) ナチ女性団とドイツ女性事業団は、女性雑誌「ドイツの家政」や「母と民族」のほか、二種類の一般家庭向けグラビア雑誌、ここで取り上げる「女性展望」と「女性の文化」を発行した。「女性の文化」(一九四二年までの名称は「ドイツ女性事業団における女性の文化」)は月刊誌で、発行部数は二万三千部止まりだったが、成功を収めた有職女性を継続的にレポートしていた。読者層は教養市民層の女性たちだった。

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以上が『ナチス機関誌「女性展望」を読む』「はじめに」の一部です。本書の詳細、目次などが気になった方はぜひ当社Webサイトからごらんください! 全国の書店で予約受付中です。

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