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読書記録。ピエール・ルメートル『悲しみのイレーヌ』

 ある種の犯罪者の言い分について、それを聞いたり読んだりした時に不快になる、この心理反応に何か名前はあるんだろうか? 自分が被害者でもないのにだ。義憤? 正義の人? あるいは公正世界仮説? どうもしっくりくる言葉が浮かばない。

 不快になった人間が思わず記事をタップしたり何かコメントしたくなる現象を利用したビジネスは、炎上ビジネスとかアテンションエコノミーとかいわれてここ十数年のネット界を席巻した。今でもしてるのかな。そろそろそんな風潮も終わりかなと思いつつ。
 この小説のエンディングを読んでただちに続編『その女アレックス』を手に取った私も、やはりそうしたやり口に嵌められた一人なのかもしれない。

 ちなみに日本での発刊はその女アレックスのほうが先だが、本国での刊行は『悲しみのイレーヌ』が先でシリーズ第一作となっている。アレックスを読むと第一作の結末がネタバレしてしまうので、これから楽しみたい人にはイレーヌのほうを先に読むことをおすすめする。

 数年ぶりにミステリ小説を読んだけど、あっという間に読み終えてしまった。サブスクサイトで目ぼしいサスペンス映画やドラマを見尽くしてしまい、なにかないかと探して手を伸ばしたのがこの作品だった。元来遅読な上、読んでる途中で気の散りやすい私なのだけど、これは一気に読み終えた。子供の頃に名探偵ホームズや明智小五郎シリーズ、アガサクリスティなどをむさぼるようにして読み干していたことを少しだけ思い出した。

 作中には、ミステリの名作とされているいくつかの作品(私は殆ど未読だった)や、名画とされているいくつかの作品(私は詳しく知らなかったものが殆ど)などが出て来て、微妙に勉強になったりもした。
 物語の終盤近く、事件の重要な鍵となる小説を複数の捜査員がそれぞれに読み解決の糸口を探るシーンがあるのだが、その読み方に個性が出ていたのも面白かった。かいつまんで読む人、ついついじっくり読み込もうとしてしまう人、ストーリーよりも書いた人間の心理をひたすら読もうとする人、読むどころじゃない気分の人などもいて。それがその人の性格や職業上の癖、置かれた立場などをよく反映しているようで。

 ちなみに私は本好きの遅読で、読書に割いた時間に対して読破した本の数が少ない方だと思う。そのことに気付いたのは高校生の時だけど、速読派の友人は「ページを斜めに読んでもだいたい意味と流れがわかる」と言っていて、私は「描写されている風景や登場人物の気分を頭に思い浮かべて、それがどういう感じなのか想像して味わいながらじゃないと読めない」と、そんな会話を交わしたのを今もおぼえている。彼女は「私だってそのくらいは考えながら読んでるよ」と怒っていたけどなんていうか、そういうことじゃないんだ。どうしてこんな考えになるんだろうとか、こうなる舞台の背景には何があるんだろうなどと思索を始めたり、生じた疑念から新たな本に知識を求めだしたりするから、私の場合は一冊の本をなかなか読み切れない。

 ともあれ、私が昔からミステリだけは読破しやすいのは、作者の手によって眼前に広げられたこの風呂敷がどう畳まれるのか、早く見てみたいという思いと、作中で新たな被害者が出るのではないかというひっ迫した不安を取り除きたいためであるような気がする。
 この心理反応に何か名前はあるんだろうか? 自分が被害者でもないのにだ。ましてやフィクション、被害者も実在すらしないのに。


以下ネタバレあり。

 第二部が始まって数ページ、私はしばらく困惑していた。え、今まで一部だったの? もうだいぶ本の終盤に近いけどという思いと、なんだか話の軸が見えなくなってしまったからだ。そして、もしかして、ずっと読まされていた第一部は全て犯人が書いた文章だったのかなと思い当たった時には驚愕した。いや別に犯人とか存在しないけど、フィクションだけど、そういう物語の建て付けに驚愕したのだ。
 極め付けは物語の結末だ。主人公のカミーユに与えられた地獄はあまりにも残酷すぎる。そして必死に捜査する警察や遺族の痛みなど完全に無視して、いやむしろその感情を愚弄しあざ笑うかのような犯人の弁が極めて不快である。煽りスキルが半端ない。

 しかしこんな風にして作者に騙されたり、怖い思いをさせられる経験というのもミステリの醍醐味のひとつで、心理的な意味での絶叫マシーンのようなものだ。フィクションという安全性の担保された作り物の世界の中で「うわああこわい!ひどい!」「だまされたあ!」と空騒ぎするエンターテインメント。
 あるいは一つのロールプレイのようなものだ。子供がごっこ遊びを通して何かを学ぶように、もしもこんなことが起きたらどうするか何を思うか? を疑似体験することによって何かを学習する。

 なんだか近年、こうしたエンタメの役割をSNSが担うようになってしまったような気がしてならない。それも極めてうわべだけの楽しみ方として炎上芸やバズマーケティングとして消費されているような。ネットのない時代なら火曜サスペンス劇場や名探偵コナンを見て犯人当てクイズを楽しんでいたような層が、今じゃ現実の事件や生身の有名人の不祥事を見てめちゃくちゃテキトーなことを言ってる気がする。いや別に火サスやコナンが悪いと言ってるわけではない。あれらはB級サスペンスとしては素晴らしい。ただ、例えばコナンくんのB級な面白さを味わうためにはまずコナンドイルを履修しないと。

 人はもっと、ミステリー小説を読むべきなんじゃないかな。数年ぶりに読んだ私が言うのもなんだけど。
 チャットGPTの方が面白いことを言えるからという理由でそのうち人間どもの話なんて見向きもされなくなって、炎上ビジネスみたいな商法も終焉を迎えるのかな。なんて思ったりした。


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