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風景画のような歌をうたう事の心地よさ、井上陽水「リバーサイドホテル」

一人カラオケが趣味です。趣味でした。緊急事態宣言以降、近所のカラオケはどこも営業休止で長らくいけていない。

週一ぐらいで夫の車で買い物に行く時、車の中で歌うのが、唯一のうたう機会となっている。今日はそんな機会に恵まれたうちの1日。

久しぶりに声を出すと自分の声の衰えに悲しくなる。と同時に声を出せる喜びはひとしお。プロの音楽家、スポーツ選手とかどうしてるのかなと思う。ガチプロならトレーニング設備の整った施設を所有してるだろうけど、セミプロぐらいなら施設に頼らないとできない人もいたり、これからプロになろうとしている子供たちなんかどうなるんだろう。本当に今後の社会では格差の拡大が激しくなると思う。まあそれはそれとして。

歌うことは本当にたのしい

それで飯を食ってるのか、そうでないのか、これから食えるようになるのか、といった事とは全く関係なく歌うことは楽しいことなのである。私の中で歌を歌うということは、その時間だけその歌の世界の人になり切るということ。自分とは全く別の世界に入り切るということで、現実逃避であり別の現実を生きることでもある。

自分の代弁をしてくれるような歌を歌うことも楽しいんだろうけど、私の場合そういう歌を見つけることがけっこうむずかしいので私の方から歌によって行く。

歌にはマイブームがいろいろあったし変わるんだけど、ここ数年ずっと歌ってるのはフラメンコの曲と米津で、ここ数か月はまってたのは井上陽水。

川沿いリバーサイドとはなんぞ

陽水のリバーサイドホテルは、私が子供の頃にはやった曲で当時から好きではあったけど。カラオケで歌ったりしてたけど。この年になって改めて歌ってみると本当に歌詞が意味不明で笑える。出だしからして「だれもしらない夜明けがあけたとき」とかすごく人をバカにしているとおもう。夜明けがあけるって何。すごいドラマティックなアレンジとメランコリックで美しいメロディーだからよけい腹立つ。夜明けが明けるって何。

サビのホテルはリバーサイド、川沿いリバーサイド、とかもそうとうバカにしてる気がする。なぜそこ歌いあげる。なんでサビにその歌詞なんだよ。くっそなめやがって…とか思いながら歌うのがめちゃくちゃ楽しい。

でも同時に気が付かされるのは、意味はないけど自然の摂理にのっとってるようなところ。歌詞のイメージは、若い二人がキスをしたり、ホテルに行ったり、その看板を見たりしているような風景。

誰も知らないよあけがあけたとき、のAメロは、手元から飛ばした紙飛行機がよろよろ、ふわーっと飛んでいって落ちていく、ようなイメージの音程でとても心地がいい。サビのホテルはリバーサイドで高音になって張り上げる作りが最高に意味わからなすぎて笑ってしまうんだけど、意味わからないのは私の修業が足りないせいなのかも知れない。

陽水の楽曲の意味不明なドラマティック性といえば、傘がないとか氷の世界もたいへん面白いです。傘がない、とかは最近歌ってみたらこれは、メンヘラ彼女が死にたいって電話してきたからどうしても彼女に会いにいかなきゃいけないんだけど…雨だし傘ないしつらい。みたいな解釈できたりしてそれも歌ってて楽しかった。

あぁ、早くカラオケ行きたい。

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